ヴェネチア・ビエンナーレ 国際美術展 53回 日本館展示概要

テーマ Windswept Women: 老少女劇団
コミッショナー 南嶌 宏(女子美術大学教授)
出品作家 やなぎみわ

やなぎみわは初期の「Elevator girls」以後、今日の「My Grand mothers」、「Fairly Tale」などのシリーズにおいて、少女、老婆といったトリックスターに「死」を抱えさせ、その「死」の血縁においてのみ姿を現す、「過去」、「現在」、「未来」という迷宮における人間の「生」のありようを、すべて肯定するという態度をもって表現に関わってきた作家である。

エレベーターもまたその時空間を旅する「死」のメタファーであり、「My Grand mothers」に語られる50年後の「私」もまた「死」そのものであるというように、やなぎはあたかも「死」の迷宮を旅する旅団の旅団長のように「死」に触れながら、逆説的に未生の「生」の真意を浮かび上がらせようとしてきたといってよい。

その痛みにも似た感覚は、少女や老少女に語らせる人間の不変の「死」のサンサシオンであり、と同時に、あらゆる存在が「死」の粒子の記憶として立ち現れ、あるものは瞬く間に、またあるものは永遠と思わせるような滞在を経て旅立っていくという、その終わりなき「死」の移動性、流動性にこそ、やなぎが「生」の契機を見い出してきたというべきなのだ。

合わせて「寓意」という、きわめてわかりやすい、子供から老人まで、世の東西を問わず、同じ純度をもってその網膜に浸み込んでいく、視覚の「語り」を通して、子どもが大人に、大人がもっと大人に、もっと大人がもっともっと大人に、そしてそれが転位して、もっともっと大人が今度は子供に読み聞かされるという、やなぎ独特の感覚世界もまた、芸術表現における高度なユーモアの位相において、高く評価されるべき地平であるといっていいだろう。

また、演劇的でありながら、「寓話」を視覚的に経験する、インスタレーションという表現方法を採用しながら、やなぎの作品に対する私たちの視覚の経験が「絵画」、もしくは「絵画性」の経験によって保障されているという事実も見過ごすべきではない。これは現代美術の祭典といわれるヴェネチア・ビエンナーレが、ほかでもない、「絵画」もしくは「絵画性」の経験によって、その骨格を形成してきたという事実を忘れてはならないからである。その意味においても、やなぎの「寓話性」もまたその歴史に符号すべく、絵画史の根源と結びついていることを強調しておきたいと思う。

出品作品

今回のヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示に、やなぎみわが提案する展示案は「Windswept Women: 老少女劇団」と題されたインスタレーションである。

ヴェネチア島はそれ自体、不断の海波に揺れ動く島であり、十字軍の侵攻以降、常に中継地、それは「生」と「死」を交換させ続けてきたシナプスとして、息づいてきたトポスであった。そこはいわば日常と非日常が交差する劇場空間であり、私自身、1988年に初めてヴェネチア・ビエンナーレを訪れ、1997年を除いて、毎回、ベルニサージュに「観察者」として参加してきたが、この島に一歩足を踏み入れた瞬間に私達を麻痺させる、ヴェネチアという磁場の、圧倒的な魔法力に狂気を付与されることで高まる感覚は、他のビエンナーレ、トリエンナーレでは求めても得難いものであり、そのある種の狂気を受けとめた芸術表現、芸術思想でなければ、このビエンナーレの歴史にその名を刻むことができないことを痛感し続けてきた。

しかし、実際に近年の各国の国別展示の多くは、いわゆるギャラリー・インスタレーションの延長線上にあり、ヴェネチアという狂気の磁場と作品との交感が希薄である印象を否定することができない。かつてのハンス・ハーケによるドイツ館のような、一瞬にして歴史を切り裂き、現在という時点を芸術の破壊的な力によって開示させてみせるような、作家選定と作品展示の視覚経験を通して、自身が語るように、ヴェネチアにおけるマリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンスや、蔡國強のインスタレーションが生まれてきたことを考えると、日本館展示のみならず、ヴェネチア・ビエンナーレ全体に歓喜をもたらすであろう、今回のやなぎみわの展示計画は、十分にヴェネチア・ビエンナーレの歴史へのリスペクトと、芸術家としての覚悟を改めて表明するものとして、歴史的な意味をもつことになるにちがいない。

吉阪隆正設計による日本館が黒い皮膜のようなテント、「死」の流動性、移動性を表すテンポラリーな時間の空間と化し、やがてやなぎの作品のお馴染みの登場人物である老少女たちが、マレビトのように、ここヴェネチアにやってくる。しかし、彼女たちはここでそれがそれまでひた隠しにしていたかのような、等身大としての巨大な姿を回復し、鑑賞者である私たちの小さな「生」を覆い尽くす。彼女たちが棲み込む、巨大な額縁に納められた写真は、そのまま「死」の等身大の形象にほかならない。小さきもののはずの老少女たちの内なる「死」が、その等身大を思い出すときに起こる世界の転位。その転位の覚醒の瞬間に姿を消し、再びのさすらいを始める劇場を、やなぎはヴェネチアに組み上げようとするのだ。

私たちは老少女たちの旅団に誘われるかのように、ヴェネチアの「過去」、「現在」、そして「未来」を旅する記憶の粒子となって、今度は旅団の一員として、さすらいの旅を始めることになる。

老少女とは年老いた少女ではなく、死なない「生」の力のことである。
やなぎみわの「Windswept Women: 老少女劇団」は、「死」の粒子となって生き抜く勇気を語る、きわめて今日的な、そして視覚的な寓話劇として、その姿を現すことだろう。

外観の写真
外観 © Miwa Yanagi2009

展示室内部の写真
展示室内部 © Miwa Yanagi2009

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主催 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)

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