第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2013年6月から11月にイタリアで開催される第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に関し、日本代表作家には田中功起氏を、また日本館キュレーターには蔵屋美香氏(東京国立近代美術館美術課長)をそれぞれ起用し、「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」展を開催します。

第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展において、日本館の展示(田中功起の個展、国際交流基金主催)は、特別表彰を受賞いたしました。
田中功起氏及び蔵屋美香氏の受賞コメントなどは、プレスリリース【PDF:371KB】をご覧ください。

a poem written by 5 poets at onceの写真
a poem written by 5 poets at once (first attempt)
2013
HD video 68 min 30 sec
Commissioned by The Japan Foundation
Equipment support: ARTISTS' GUILD

第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展概要

開催期間 2013年6月1日から11月24日
主催 ヴェネチア・ビエンナーレ財団
総合キュレーター マッシミリアーノ・ジオーニ
公式HP http://www.labiennale.org/en/biennale/index.html

日本館展示の概要

タイトル abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts
(抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)
開催期間 2013年6月1日から11月24日
主催 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)
会場 カステッロ公園内 日本館
(所在地:Padiglione Giapponese Giardini della Biennale, Castello 1260, 30122 Venezia
キュレーター 蔵屋美香(東京国立近代美術館美術課長)
出品作家 田中功起
特別助成 公益財団法人石橋財団
協力 大光電機株式会社、NECディスプレイソリューションズ株式会社
ARTISTS’GUILD
日本館HP http://2013.veneziabiennale-japanpavilion.jp/index.html

作家略歴

田中 功起(たなか・こおき)

田中 功起氏の写真 写真:名和真紀子

1975年生まれ。現在ロサンゼルス在住。日常のシンプルな行為に潜む複数のコンテクストを視覚化/分節化するため、主に映像や写真、パフォーマンスなどの制作活動を行う。
近作では、特殊な状況に直面する人びとが見せる無意識の振る舞いや反応を記録し、私たちが見過ごしている物事の、オルタナティブな側面を示そうとしている。
主な展覧会に森美術館、パレ・ド・トーキョー(パリ)、台北ビエンナーレ、光州ビエンナーレ、アジア・ソサイエティ(ニューヨーク)、横浜トリエンナーレ、ヴィッテ・デ・ヴィズ(ロッテルダム)、イエルバ・ブエナ・センターフォー・ジ・アーツ(サンフランシスコ)「Made in L.A.」(ハマー美術館、ロサンゼルス)などがある。今年 6 月には「2013 カリフォルニアパシフィックトリエンナーレ」(オレンジカウンティ美術館)に参加予定。

アーティスト ステイトメント

例えばぼくらは自分自身の中に複雑な問題を抱えている。それは個々の固有の問題なわけだし、それが誰かの問題と交わることはあまりないだろう。問題はいつも痛みを伴い、その痛みは他者とは共有できないものだ。例えば同情や共感は、痛みを持つ者と持たぬ者のボーダーをむしろ強化してしまう。同情のベクトルは常に痛みを持たぬ者から持つ者へと向かっている。逆はありえない。だからぼくらは同情ではなく、別の方法でもって関わりを模索するべきだろう
震災から一年以上が経過したが、いまだに瓦礫の処理や仮設住宅、原発の問題も含めて状況は続いている。震災の後、たくさんのアーティストや建築家、音楽家、映像作家などが現地でボランティアをしたり、自身の活動を反映した行動を起こしたりしている。それは一時的な反応ではなく継続的なものだ。今年の建築ビエンナーレの日本館でもそうしたプロジェクトのひとつが発表される。震災後の最初の数ヶ月、多くの日本人アーティストが抱いた問いは「アートはこの出来事に対してなにができるのか」であった。そしてその問いはいまも多くのアーティストの中で問われ続けていると思う。直接的な行動を起こすものもいれば、以前と変わらぬ活動を続けることで間接的に応えようとするものもいる。
ではこのぼくには何ができるのだろうか。いや、ぼくにとっての問いはむしろ、この出来事がぼくらにもたらしたものは何かを考えることだ。そのひとつは、おそらくいままでの日本にはなかった社会的に共有されうる強烈な文脈が生じたということだ。この文脈を通して日本社会を見るとき、ぼくらの何気ない行為は、あの日を境に別の背景を持つことになった。例えばぼくらはときに階段を使う。エレベータやエスカレータを使わずに階段を使う。いままでならば健康のためやエコロジーのためと言うこともできただろう。でも、いまこの日本において、「ただ階段を上り下りする」という行為は別様に読み替えることができるはずだ。それはいわば電気(=原子力発電)に頼らないという態度でもある、もちろん本人たちにはその意図がないのだとしても。たくさんのひとが階段を下りる姿を東京の駅で見かけたとき、ぼくにはそれがある種のデモンストレーションに見えた。新しい行動を起こすのではなく、いままでのぼくらの行為を見直し、抽出し、背景を読み替えること。そうすることによって、特定の地域における特殊な問題は広く一般化され、誰も無視することができなくなるだろう。

田中 功起

キュレーター略歴

蔵屋 美香(くらや・みか)

東京国立近代美術館美術課長。千葉大学大学院修了。主な企画に、「ヴィデオを待ちながら―映像、60 年代から今日へ」(2009 年、東京国立近代美術館、三輪健仁と共同キュレーション)、「寝るひと・立つひと・もたれるひと」(2009 年、同)、「いみありげなしみ」(2010年、同)、「路上」(2011 年、同)、「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」(2011-12 年、同)。主な論考に「麗子はどこにいる?―岸田劉生 1914-1918の肖像画」(『東京国立近代美術館 研究紀要』第 14号、2010年)。

蔵屋 美香氏の写真
撮影:森本菜穂子

キュレーター ステイトメント

日本館の展示は、ある種散漫な印象を与えるだろう。枕や懐中電灯、本や壺などがあちこちに置かれ、その間に写真や映像が見え隠れする。丸太の柱やスツールは、第 13 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示「ここに、建築は、可能か?Architecture. Possible Here?」(2012)で使われたものの部分的な再利用だ。入口近くでは会場管理の係員たちがワーキングテーブルで仕事をしている。こうして、通常なら「作品」として中心的な場を占めるはずの映像や写真は、家具や日用品(映像や写真に登場する実物だ)や係員の間に、等価なものとして紛れ込んでいる。
田中功起は、近年さまざまな方法を用いて、人と人との間に生じる関係性についての作品を制作してきた。それは、1)特定のグループにあるタスクを課し、その協働作業の様子を映像に収めたものだったり、2)まだ固まりきらないアイデアに基づいて誰かと何かを行い、それを写真やテキストにとどめたものだったりする。9人の美容師が一人の頭髪を切る、5人の音楽家が 1台のピアノで作曲する、5人の詩人が一つの詩を作る、複数の陶芸家が一つの陶器を作る――これらは 1)にあたる映像群だ。そこでは、同じ職業の者だけが分かち持つ共通言語を用いて、彼らがぶつかりあったり合意形成したりする過程を見ることができる(ちなみにこの過程を推し進める力となるのは、参加者同士の造形的と言ってよい空間の分節の問題である)。他方 2)に属するのは、非常食を食べながら自分の名前について話す、懐中電灯を持って大勢で夜の街を歩くなど、田中が「集団的行為 collective acts」と呼ぶ、まだ行方の定まらない種々の実験である。
2011 年 3 月 11 日、日本は巨大な地震と津波、原子力発電所の事故を経験した。2 年以上が経過した今も事態は収束せず、日本のアーティストはさまざまな形でこの問題に関わり続けている。被災した町に住民が集うための家を建てるプランを示した「ここに、建築は、可能か?」の展示は、その直截的な現れの一つだ。この会場を一部再利用することで、田中は同じ問題を、しかしもう少し抽象的な形で引き継ごうとしている。たとえば、《a haircut by 9 hairdressers at once (second attempt)》(2010)は震災以前に撮影された。しかし、決定的な経験を経た今の日本の私たちには、これが震災以後の社会を協働作業によって作り出していくことのメタファーに見える。
あるいは、本を片手に人々が非常階段を上り下りする映像に、避難の経験を思い出し、反原発の身振り(電力の消費を拒否するという意味において)を感じ取る。こうして田中の設定する一見ささやかなタスクや行為は、観る者の置かれた文脈に応じて読み解かれる内容を変化させる。多くの読みを許容するこの性質ゆえに、田中の作品は、地理的に隔たったヴェツィアの会場において、人々がさらに新しい読みを重ねるためのプラットフォームとなるだろう。いずれにせよ、「GIAPPONE」のサインのとなりに「9478.57km」の文字(福島第一原子力発電所から日本館までの距離を示す)がひそかに付け足された日本館に入った時点で、たとえ意識をしなくとも、さまざまな文脈を背負った無数の観る者同士の関係はすでに始まっている。
田中功起は近年、人と人との間に生じる関係性についての作品を制作している。今回は、1)特定の職業の人々にあるタスクを課し、その協働作業の様子を映像に収めたもの、2)複数の人々で何かの行為を行い、それを写真やテキストで記録したもの、の二系統の作品を展示する。5人の音楽家が 1台のピアノで作曲する、5人の詩人が一つの詩を作る――これらは1)に当たる映像群だ。他方 2)には、非常食を食べながら自分の名前について話すなど、田中が「collective acts」と呼ぶ種々の実験が属する。
2011 年 3 月 11 日、日本は東日本大震災を経験した。田中の作品は、いずれも反発し、交渉しあう人々の姿を一種の曖昧さをもって示す。この曖昧さゆえに、私たちはそこに様々な読み――例えば震災後の社会を作る協働作業の過程――を重ねる。遠いヴェネツィアでも、作品は、震災に関わるもの、そうでないものを問わず、さらに複数の読みを呼び込むためのプラットフォームとなるだろう。

蔵屋 美香 (東京国立近代美術館美術課長)

ヴェネチア・ビエンナーレ(Biennale di Venezia)について

ヴェネチア・ビエンナーレは、イタリアの島都市ヴェネチアの市内各所を会場とする芸術の祭典です。1895年に最初の美術展が開かれて以来、100年以上の歴史を刻んでいます。
近年、世界各地で美術を中心に、国際的な芸術祭が開催されるようになってきていますが、ヴェネチア・ビエンナーレはそれらのモデル・ケースとなった最も著名な存在です。「ビエンナーレ」とは「2年に一度」を意味するイタリア語で、同様な芸術祭の多くが「ビエンナーレ」や「トリエンナーレ」(3年に一度)と命名されているのは、ヴェネチア・ビエンナーレに範をとったものとされています。
現在、美術展、建築展、音楽祭、映画祭、演劇祭などを独立部門として抱えるようになりましたが、そのうち美術展は、最先端の現代美術の動向を俯瞰できる場として、また国別参加方式を採る数少ない国際展として世界の美術界の注目を集めています。
2011年の第54回美術展では89か国の参加国、44万人を超える総入場者数と、ともに過去最高を記録し盛況のうちに終了しました。

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