私の一年間

ケネディー高校
嶋野 桂

ミネソタ州

派遣先がミネソタと決まり、お恥ずかしい話ですが、まず、ミネソタはどこ?と地図帳を開きました。ミネソタは中央アメリカの北部にあり、カナダと国境を接しています。アラスカ州を除けばアメリカの中で最も北にある州だと言われています。また五大湖のひとつ、スペリオル湖がウィスコンシンとの州境となっています。メキシコ湾までアメリカ大陸を縦断するミシシッピ川の源流があるのもミネソタです。

人口は5,303,925人(2010)で、その60%近くが「ツインシティーズ」(州都のセントポール市とミシシッピ川を挟んだ隣の都市であるミネアポリス市の愛称)の都市圏に住んでいます。一般に、政治の中心はセントポール、経済の中心はミネアポリスと言われています。セントポール市はスヌーピーの作者、シュルツ氏の故郷で、ダウンタウンではスヌーピーの像を見ることができます。

1858年の州誕生当初から教育に熱心な州で、2007年の高校卒業者比率およびACTAmerican College Testing)の結果は全米第一位だったそうです。学校差はありますが、大学への進学率は公立学校で50~70%、私立学校では80から100%に上ります。

日本語教育の規模は中国語の台頭などで縮小傾向にありますが、2009年の国際交流基金の調べによると、中等教育で9機関、965名の生徒、高等教育では6機関、690名の学生が日本語を学習していたそうです。中等教育機関の日本語教師のほとんどはノンネイティブでした。また、ミネソタ州の10の都市が日本の都市と姉妹都市協定を結んでいます。もっとも長いものは1955年に結ばれたセントポール市と長崎市の姉妹都市協定です。

ケネディー高校

派遣先のケネディー高校のあるブルーミントン市も大阪府和泉市と1993年から姉妹都市協定を結んでおり、文化や人材交流が活発に行われています。学区内には10の小学校(日本の1~5年生)、3つの中学校(日本の小学6年生~中学2年生)そして2つの高校(日本の中学3年生~高校3年生)があります。ケネディー高校の教師数は約120名、生徒数は約1,500名です。多様な人種が特色で、廊下ではスペイン語をはじめベトナム語やソマリ語なども耳にします。

日本語クラスの規模は大きくありませんが、姉妹都市やアジア系生徒の存在のおかげで安定した支持を得ています。2012年度、ケネディー高校には日本語3(上級)と日本語2(中級)の合同クラスが1クラス、日本語1(初級)のクラスが2クラスありました。生徒数は3クラス合わせて60名前後でした。使用教科書は日本語1,2が『Adventure In Japan 1』で、2年間通して1冊を終えるカリキュラムとなっています。日本語3の生徒たちは『げんき1』を使って、6人中5人の生徒がCollege into School Programでミネソタ大学の単位を取得しました。

日本語1の授業時の机間巡視や生徒のサポートはアシスタントとしての重要な業務の1つでした。日本語がまったく初めての生徒たちがほとんどなので、常に生徒たちに目を配り、質問や疑問にすぐ対応できるようにしていました。日本の行事やおりがみ、歌の紹介、ミネソタに来てから始めた三線を披露したりもしました。日本語2と3は同じ時間に同じ教室内で授業しなければならない環境だったので、日本語3を主に私が教えていました。CISプログラムはオーラルに特化しているので授業案にロールプレイ等が多く取り入れられており、活気のある授業でした。

クラス外活動

毎年2月に開催されるミネソタ州J-Quizのために、放課後、選抜チームのメンバーと特訓をしました。日本語の作文力、文法力、日本文化の知識などが総合的に競われるこの大会で、ケネディーの日本語3のチームが12チーム中2位に輝き、とても嬉しかったです。

3月にはConcordia Language Villageの森の池ウィークエンドキャンプにボランティアとして参加し、日本語が堪能なミネソタの若者たちと協力して、高校生に日本語漬けの環境を提供しました。キャンプの内容はTotal Physical Responseを随所に盛り込み、参加者が少しでも日本語に触れられるよう、また日本語を使えるように工夫が凝らされていて、とても勉強になりました。夏休みの森の池キャンプにも2週間ボランティアとして参加させていただきました。

ケネディー高校のDiversity Dayでは高校生や先生方に書道や昔のおもちゃ、お菓子などを紹介しました。また、ガールスカウトのWorld Thinking Dayというイベントで、ホストシスターのグループが研究する国に日本を選んでくれたので、彼女たちのお手伝いをしました。当日は玄米を炊き、浴衣で日本をアピールしました。

ミネソタ三線の会に所属し、沖縄出身の "おばあ" たちや、私のようにミネソタに来てから三線を始めた人たちと一緒に練習に励んでいます。イベントがある際には三線と歌を披露します。今は8月にあるランタン・フェスティバルに向けて準備の真っ最中です。

アメリカ暮らし

アメリカでの仕事に応募した理由のひとつは、私がタイに留学していたときに感じたアメリカ人留学生と日本人やタイ人との授業に参加する姿勢の明らかな違いがなぜ生じるのかを知りたかったからです。アメリカ人の学生はより多く発言していました。

一年間アメリカに住み、改めてアメリカの人たちは話し好きで、話し上手だという印象を受けました。子どもも大人も、自分の考えや感じたことを臆せず、活き活きと話します。観察を通して、それは小さい頃からの多くの話す機会を経て培われるものだと思いました。私の初めのホストファミリーには4歳、10歳、14歳の子どもがいましたが、みなそれぞれに自己主張していました。両親や周りの大人たちはそれを時に尊重し、時に嗜めていました。子どもだからといって甘やかしたり、押さえつけたりしていませんでした。その為か、3人の子どもは伸び伸びと育っていました。

「話すこと」は自分を外に出すことです。もちろんアメリカにもそれが苦手な人がいますが、それでも話す機会が多いことで、話すことに慣れていきます。訓練の賜物です。そのおかげで、アメリカの高校の教室では、生徒たちの活発な意見、質問、意思表示の様子がしばしば見受けられます。

2年目は、話せるアメリカ人の特色を生かした日本語クラブや授業中のアクティビティ、また漢字学習に力を入れていきたいと考えております。日本語イマージョンキャンプの経験を通して、言語学習には「使うこと」がいかに大切かを改めて感じましたので、日本語を「使う」学習に様々な形で取り組んでいきたいです。

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