サリナスより1年目活動報告

アリサル・ハイ・スクール
坂本 幸洋

カリフォルニア州と日本との関わり

カリフォルニアと聞くと、ハリウッド、ゴールデンゲートブリッジ、ディズニーランドなどを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。San Francisco, Los Angeles, San Diegoといった大都市がいくつもあるカリフォルニア州は42.4万平方㎞(全米第3位、日本の約1.1倍)で、約3880万人(全米第一位)の人々が暮らしています(在サンフランシスコ日本国総領事館, カリフォルニア州経済の基礎的データより)。北カリフォルニアにはシリコンバレーがあり、世界的なIT企業(Apple, Facebook, Google, Twitterなど)が多く存在しており、南カリフォルニアは映画や観光産業に特徴があります。日本からの旅行者も毎年たくさんカリフォルニア州を訪れています。19世紀末に多くの日本人がカリフォルニア州に移民としてやってきたこともあり、San Francisco, San Jose, Los Angelesには日本人町があり、日系人も多くみられます。日本との結びつきがとても強いカリフォルニア州では、日本語・日本文化教育も盛んで、大都市には日本語補習校があり、公立学校で日本語を外国語として履修できる学校も多くあります。それぞれの学校や管轄の教育委員会によって制度は様々ですが、受入機関であるアリサル・ハイ・スクールでは2年間の選択外国語科目を修了することが卒業条件になっております。カリフォルニアのコミュニティーにおける活動も盛んで、各地で春には「桜祭り」、夏には「お盆祭り」が毎年開催されています。

サリナス:「世界のサラダボウル」と「アリサル・ハイ・スクール」

受入機関であるアリサル・ハイ・スクールがあるサリナス市は、北カリフォルニアのモントレー郡に位置し、San Franciscoから車で南に約2時間、シリコンバレーのあるSan Joseから南に約1時間の距離にあります。サリナス市は「Salad Bowl of the World」と呼ばれており、レタスやイチゴをはじめとする農業地帯です。カリフォルニア州またそれ以外の州でも、スーパーに行ったときに野菜や果物の原産地を見てみてください。「Salinas」という地名を目にするはずです。農業地帯であることもあり、メキシコからの移民の人たちも多く、私の学校の生徒の約98%はLatinoです。また、学校が位置するEast Salinasは決して裕福な地域ではなく、貧困問題、ギャング問題、殺人事件の高い発生率(2015年は市内で40件)を抱えています。しかし、約2,500名のアリサル・ハイ・スクールの生徒達や、学校を支える約150人の教職員・スタッフたち、サリナス市のコミュニティーの人々は、みなさん親切で心の温かい人たちばかりです。先日の5月19日に卒業式が行われ、卒業していく生徒を同僚や保護者の方たちと送り出しましたが、改めてこのコミュニティーで活動できることを誇りに思いました。
日本語のクラスは全部で5クラスあり、最大で4年間日本語を勉強することができます。現在、受入機関の日本語の教員はリードティーチャーとアシスタントティーチャーの私の2人だけです。また、今年、学校のカウンセラーと校区の中学校であった説明会に同行した際に、日本語プログラムを紹介することができました。そのこともあって、選択外国語科目で日本語を選択した生徒が増え、来年度からは日本語のクラスが1クラス増設されることになりました。

サリナスでのコミュニティー活動

受入機関のあるサリナス市には、1900年代に日本人が農業移民としてやってきた歴史があるため、日系人が経営する農業関係の会社がいくつかあり、また寺院もあります。毎年、サリナス寺院ではサリナス市周辺地域の幼稚園児・小学生・中学生を対象にしたサマースクールがボランティアによって運営されています。私はホストファミリーの知人を通してサマースクールについて知り今年から参加することになりました。サマースクールはサリナス寺院で開かれ2週間、参加者は日本語や日本文化を学びます。私は小学6年生のクラスを担当することになり、判子・能面・組みひも・巻きずし・ひらがな表をクラスで作ったり、ゲストスピーカーとして合気道の演武をしたりしました。また校外学習として、San Jose市にあるJapanese American MuseumJapan Townに6年生の生徒を引率しました。カリフォルニア州の日系人の歴史やManzanar強制収容所をはじめとする第二次世界大戦時の日系人収容所における歴史については、私も知らないことが多くあり勉強することができました。サマースクールは2週間という短い間でしたが、コミュニティーの多くの人たちと日本文化を共有できたとても充実したものとなりました。

2年目に向けて

私にとってこの1年は、教員として働くこと、また訪米することも人生で初めての経験でした。色々な人の助けをかりながら、米国での新しい生活をスタートし、充実した1年を過ごすことができました。日本の大学では外国語教育を専攻していましたが、カリフォルニアで日本語の教員をはじめてから、「言語」だけでなく「文化」を授業に取り入れることの大切さを強く実感しました。米国で生活をしていて、今まで全然意識していなかった日本の文化について気づくことも多かったですし、米国についてまだまだ知らないことも沢山ありました。早くもJ-LEAPの1年目が過ぎてしまいましたが、私が将来出会う人たちに「アメリカに行ってみたいな。」と米国に興味を持ってもらえるように、J-LEAPの任期が終わった後も日米交流の橋渡しに貢献できるように、残りの一年で様々なことを経験し勉強していこうと思います。また、日々の授業で関わる生徒には私が教えることよりも、逆に教えてもらったことの方が多かったです。生徒との関わりを大切にしながら、最善の判断と行動ができるように教員としても成長していきたいと思います。

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