世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) 寝ても覚めても卒業論文

アインシャムス大学
久野元 愛木佳代

卒業論文

 アインシャムス大学外国語学部では4年次に卒業論文の提出があります。日本語学科の学生の場合、もちろん日本語で書くわけですが、たとえ4年間しっかり日本語を学んできていたとしても、何かを論述するというのはそう簡単にできることではありません。日本語学科は講師全員が日本人ということもあってか、会話ではそれなりの評価を得ていますが、この「論文」という課題には、優秀な学生たちも途方に暮れています。3年生のある学生は、まだ卒業論文に取り掛かっているわけでもないのに、先輩たちの苦労話を聞き、その様子を目の当たりにしているせいか、論文のことを考えてすでに眠れなくなることがあるそうです。

論文のための取り組み

 日本語学科では1年生の後期から「作文」と「翻訳」の授業が始まります。前期で習ったばかりの語彙や文型を駆使していろいろなテーマで書く練習をします。2年生、3年生でも同様の授業があります。これまではあまり論文を書くことを意識した授業が行われていませんでしたが、やはり適切な指導なしには書く学生も指導する教師側も苦労するばかりだと反省し、今年度は3年生から論文を書くための準備を行うことにしました。授業内容は決してやさしいものではありませんが、学生は熱心に取り組んでおり、これまで書いてきた「作文」との表現の違いにも驚いていましたが、物事を多面的に見る、批判的に見るといった考え方の練習も新鮮に感じたようです。日本語学科の授業の多くを「論文」のためだけに費やすことはできませんが、これでいくらか「論文」に対する不安が解消されればと思っています。残念ながら現4年生はこのようなことを学ぶ機会が少なかったため、例年通り共に苦労する結果となりました。

論文を書くということ

口頭試問に備える学生たちの写真
口頭試問に備える学生たち

 先日、その4年生の卒業論文の口頭試問が行われました。昨年までは論文のテーマは自由でしたが、今年から論文のテーマは「日本語・日本文化」に限定されました。学生が選んだテーマは「慣用句」「類義語」の教え方や「メディア教材」を使った教え方、「作文における「は」と「が」の間違い」といった日本語・日本語教育に関するものから、「ボディーランゲージ」「エジプトと日本の短編小説の比較」などの対照分析、「外来語」「日本の歌の中の英語」「歌舞伎」「日本国憲法」のような日本文化・事情についてなど様々でした。どの「論文」にも共通していたのは自分の体験を通して疑問に思ったことをテーマとして取り上げていたことでした。要旨発表とその後の質疑応答は1人10分という短い時間でしたが、緊張のあまり声が出なくなる学生、震えている学生、涙ぐむ学生などがおり、見ているこちらが辛くなるほどでした。先に述べたような事情もあって、「論文」という形が十分でない学生も多いのですが、質問に堂々と応じる姿はとても頼もしいものでした。この1年、自分が一生懸命取り組んできたテーマに対しての自信に溢れており、目に見えない確かなものを身につけたのだと感じずにはいられませんナした。口頭試問後の、全てが終わったという開放感と、やり遂げたという満足感いっぱいの笑顔が、彼らのこの1年間を表しているように思えました。

 実はこの卒業論文の提出期限が迫ったある日、ある学生が何ヶ月も吟味して作った部分をどうしても削らなくてはならなくなりました。もっと早く気づいてあげられればと謝る筆者に学生は「先生、心配しないでください。私はこの部分を作ったことによって、知らなかった語彙や文法をたくさん学びましたから、大丈夫です。いい論文になるためなら、消しましょう」と言ってくれました。彼女は筆者以上に、この「論文」を書くことの本当の意味を理解していたのかもしれません。学生たちが望んでいるのは、楽をして論文を終わらせることではなく、いい論文を書き上げることであり、苦しみ以上に喜びも感じているのだということに気づかされました。

 指導するこちら側が息切れしてしまうこともありますが、「論文」を書くことの本当の意味を見失わないようにし、来年も学生の素敵な笑顔を見られるよう励みたいと思います。

派遣先機関の情報
派遣先機関名称 アインシャムス大学
Ain Shams University
派遣先機関の位置付け
及び業務内容
アインシャムス大学外国語学部日本語学科は2000年に設立された日本語専攻課程である。2004年には日本語・日本文学専攻の大学院修士課程も開設された。当大学はエジプトの外国語教育では高い評価を得ており、エジプトの日本語教育の中心的存在になっている。日本語教育専門家は学科運営、カリキュラム作成や現地スタッフへの指導、助言など行っている。
所在地 Abbaseiya, Cairo, Arab Republic of Egypt
国際交流基金からの派遣者数 上級専門家:1名、専門家:1名
日本語講座の所属学部、
学科名称
アインシャムス大学外国語学部日本語学科
日本語講座の概要
沿革
講座(業務)開始年   2000年
国際交流基金からの派遣開始年 2000年
コース種別
専攻科目
現地教授スタッフ
常勤4名(邦人4名)
学生の履修状況
履修者の内訳   1年生6名、2年生17名、3年生23名、4年生22名
学習の主な動機 日本に対する興味、日系企業への就職、観光ガイド、翻訳・通訳者
卒業後の主な進路 日系企業就職、観光ガイド、大学院進学
卒業時の平均的な
日本語能力レベル
日本語能力試験N2程度
日本への留学人数 2~5名程度

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