世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) ブラジルの日本語教育の今

国際交流基金サンパウロ日本文化センター
池津丈司

原色の衣装を身にまとい、髪を蛍光色に染め、アニメのキャラクターになりきったコスチュームの出場者が次々と出てきては日本語でアニメの主題歌を歌う。満員の会場は総立ちで通路までぎっしりとコスプレの観客で埋め尽くされている。ステージの歌をかき消すほどの大声でこぶしを振り上げながら大勢の若者が一緒に歌っている。いや、叫んでいる。参加者の多くは20代の、日本のアニメやマンガを見て育った世代だ。主催者によれば60%が25歳以上だという。これが7日間で13万人を集めたといわれるアニメとコスプレのイベントで行われた、カラオケ・コンテストの様子である。大勢のブラジルの若い大人たちが日本の文化に熱狂しているのである。

こうした日本熱の高まりと同時にブラジルの日本語学習熱も年々高まっており、学習者も増えてきている。といいたいところだが、じつは大学の公開講座などで増えているといったほうが正しい。この国の日本語教育の大部分を占めていた継承日本語教育のほうはむしろ減少してきている。

90名が集まったサンパウロ日本文化センターでの日本語セミナーの写真
90名が集まった
サンパウロ日本文化センターでの日本語セミナー

継承日本語教育というのは日系人が祖国日本の文化を子孫に伝えるために行っている教育のことである。日本語だけではなく音楽、図工など、ブラジルの学校カリキュラムにない科目も勉強するし、休日には運動会なども行われ、学校の掃除やしつけも行われる。そもそもは日系人のための日本人学校で行われた日本人教育であったのだが、戦後、私立学校になった一部の学校を除いて、子どもたちが放課後に通う習い事に位置づけられるようになり、日本人学校は日本語学校と呼ばれるようになった。

このような日本語学校の教室もいまや非日系人の割合が年々高くなって、非日系の先生も珍しい存在ではなくなってきている。年齢も子どもから大人までさまざまになってきている。それを受けて、ブラジルの日本語教育は継承日本語教育から外国語としての日本語教育への転換期だといわれることもあるのだが、この転換はそれほど簡単なものではない。

日系人が家庭で日本語を使わなくなったことで、たしかに教授法は国語教育から外国語教育に変わったかもしれない。しかし、日系人の子弟が通う意味、とくに通わせたいと思う親の気持ちに大きな変化はなく、しつけや情操教育は今も続く。「日本人は時間を守ります。ですから、日本人と仕事をするときは時間を守りましょう。」といえば、普通の異文化教育になるところ、ここでは「日本人は時間を守ります。だからあなたも守りなさい。」になるという。親が一世ならともかく、三世、四世と世代が進めばこれは受け入れられなくても不思議ではない。

地方に行くと事態がもっと深刻な地域もある。学校の経営が苦しく、教師が薄給で若者になり手がなく、定年後のボランティアに頼っているというところが少なくない。じつはそういう学校が次々と消えていってしまっているのである。学校があり、教材があり、学習希望者がいるのに教師のなり手がいないために、学校も教材も消えていっているのである。

なぜ、薄給なのか。関係者は学習者の所得が低いことなどを理由に挙げるが、授業料をドイツ語やフランス語講座の3分の2まで安くしなくてはならない理由がわからない。継承日本語の危機を訴える一世の人々は、多くの日系人が出世して医者や弁護士になり、大きな家に住み、いい車に乗れるようになったのは日本文化の優秀さゆえだと主張するが、学習者は今でも本当に低所得なのだろうか。日本語教師はなぜ薄給に甘んじなければならないのか。

ある日本語教育関係者によれば日本語教師無職という昔からの考え方がまだ残っているのだという。日本語教師は職業欄に「無職」と書かなければならないという意味なのだそうだ。初期の移民社会では、体が弱かったり、怪我をして農事に携われない者が日本語の教師を務めた。日本語教師はネイティブであれば誰にでもできる仕事であるから、職業とは言えないというのである。もしそんな考えが今でも残っているのなら、後継者など育たないのが当たり前であろう。

着任してからの半年、セミナーや研修のかたわら、サンパウロ日本文化センターの仲間と手分けして全国各地の日本語教育の状況を調査して回った。その成果物として「ブラジル日本語教育環境マップ」が間もなく完成し、全国の日本語教育関係機関に配布される。各地の学習者数や教師数、機関数を白地図上にヒストグラムにして表した実勢図と各地の諸機関、諸団体がどのような支援関係にあって、どのような活動を行っているかを表したネットワーク相関図、そして全日本語教育機関の名簿から構成されている。このマップを見れば他の地域がどんな活動をどういう協力関係で行っているかがわかる。これが有効に活用され、各地域の日本語教育の活性化と状況改善につながればと期待している。

サンパウロ州中等教育教科書「ことばな」(試行版)の写真
サンパウロ州中等教育教科書「ことばな」
(試行版)

それからもうひとつ、中高生のための教科書も作っていて、初年度前期分の試行版が今サンパウロ州の9つの教室で試行されているところだ。言葉は文化だ、文化は共有できるものだというコンセプトで作られた複文化主義の教科書である。時間を守ることもまた敢えて守らないことも自在にできる人間を文化の達人と呼ぶなら、日系人の学習者にも非日系人の学習者にも、日本文化の達人になってほしいと願っている。繰り返すが言葉は文化である。言葉の学習にとって大切なものは意味ではなく心だという気持ちをこめて、教科書の名前を「言葉」をもじって「ことばな(=言花)」とした。

派遣先機関の情報
派遣先機関名称
The Japan Foundation Sao Paulo Language Center
派遣先機関の位置付け
及び業務内容
国際交流基金サンパウロ日本文化センターの日本語関係の仕事は日本語教師支援、学習者支援、教材支援とネットワーク支援である。現在教師支援としては全伯中等教育教員研修、日本語セミナーの開催、他団体主催研修会への講師出講、学習者支援は各地で日本語を学ぶ高校生や大学生をサンパウロに招いて実施する学習者研修、全伯スピーチコンテストの開催など、教材支援ではサンパウロ州教育局の要請により中等教育用教材開発を行っており、ネットワーク支援としては「ブラジル日本語教育環境マップ」の作成と全国配布を行っている。
所在地 Av. Paulista 37, 2o. andar, CEP01311-902, Sao Paulo, SP, Brazil
国際交流基金からの派遣者数 上級専門家:1名
国際交流基金からの派遣開始年 2009年

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