世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) カッコいい日本語の私

国際交流基金ロンドン日本文化センター
福島 青史

 ロンドンの街を歩いていると「Superdry 極度乾燥(しなさい)」というブランドを身に着けた人を見かけます。明らかにそのブランドは「東京」「浅草」と書かれたお土産Tシャツとは一線を画すおしゃれなもので、身に着けている人も笑いを狙っているようには見えません。「極度乾燥(しなさい)」とインターネット上を検索してみると、サッカー選手のベッカムも出てきます。まさか、ベッカムが笑いをとる必要はないと思うので、つまり、これは「カッコいい」から着ているのだと判断していいと思います。

 「クールジャパン」などと呼ばれてしばらく経ちますが、日本のアイコンが、人をカッコよくする機能があるということは、認めていいのではないかと思います。(もちろん、「極度乾燥(しなさい)」を日本語と認識している人がどのくらいいるかは定かではありませんが・・)なにしろ、モスクワの地下鉄では村上春樹の小説のカバーを外して、自分が何を読んでいるのかを見せることで「私は他の人とは違う」というアピールができるようです1 ので、これはかなりの威力だと思います(うーん、この場合も、村上ブランドが介在していることは否めませんが・・)。と、まぁ、カッコつきではありますが、日本語教育もこのような「人をカッコよくする」、つまり、自己を他の人と差別化するために貢献できないか、と日々考えています。

コース後の会食会の写真
「日本食を食べよう!」
(初心者一回コース)
コース後の会食会

 その試みの一つとしてロンドン日本文化センターでは、初心者のための一回日本語コース「Japanese from Scratch」というシリーズを始めました。第一弾は「日本食を食べよう!」と題して、日本食に関する日本語、つまり、「料理名」を覚えました。もちろん、ロンドンの日本食レストランは日本語ができなくても日本食を楽しめます。ただ、メニューの横に書いてあるローマ字を拾い読みながら、Aさん:「Tonkatsuの”Ton”はporkで”Katusu”はfriedの意味なんだよ。だから、”Ton”と付く料理はporkが材料で入っていて、”Katsu”はfryしてあるんだ。」Bさん:「あ、本当だ、だからChicken “Katsu”Fried Chikenなのね!!」というような、会話が成立すれば、Aさんからは、少なくとも、うっすらと後光が差し、カッコよさが倍増するものと思われます。

 このような場面を想像(妄想?)しつつ、「日本食を食べよう!」では、ロンドンにある24の一般的な日本食レストランのメニューから、人気の高い料理、とその料理名を構成する「食材」「調理法」「調味料/風味」を厳選して学習しました。参加された方はカッコよくなるためというより、楽しいからいらっしゃったような感じですが、「日本語」を「日本」に埋め込むだけではなく、できるだけ「ロンドン」という日常の生活に組み込むことで、自己差別化のための日本語教育が可能になり、また、そうすることで、日本語が「ヨーロッパの言語」に仲間入りできるのではないかと考えます。

 というのも、ヨーロッパでは「複言語・複文化主義」といって、多様な言語・文化を理解・運用し、その価値を尊重しましょうという言語教育政策があります。これは「イギリス人は英語でイギリス文化」「日本人は日本語で日本文化」というのではなく、「私は私だ」と言える「ことば」と「文化」のレパートリを自分らしく身に着けていくことを促進する政策と言えます。もちろん、この政策は、多文化・多言語状況という政治性と摩擦を含む現実問題を前にしたヨーロッパの「ことば」の理念・理想であるとは言えますが、現実に棹差すより、理念のほうに懸けてみようかという気持ちが筆者にはあります。また、国際交流基金が開発したJF日本語教育スタンダードの「相互理解」という理念にも、同様の思いが含まれていると理解しています。

坂口監督(映画監督)と語るの写真
「坂口監督(映画監督)と語る」
(上級コース)

 個人は様々な「ことば」を身に着けることで、多様な世界に繋がることができます。世界にたくさんある言語の一つである「日本語」という媒体により個人がどれだけ豊かになれるのか、世界の見方がどう変わるのかと問うところから、「相互理解」のための日本語教育は始まると思います。「Tonkatsu」はその一例ですが、ロンドン日本文化センターでは、映画祭などのイベントや、ロンドンにある日本の文化リソースを利用することで、英国において、日本語を媒介に自己発見・自己形成をする機会を増やし、その体験を通して日本語がヨーロッパで生活する人の「ことば」の一部となることを狙っています。

 川端康成がノーベル文学賞を受賞して「美しい日本の私」と題して講演してから、半世紀が経とうとしています。当時、まだ日本は神秘に包まれた国だったかもしれませんが、時代は移り、「日本」「日本語」はより身近な生活空間に入り込んでいます。ロンドン日本文化センターでは、「カッコいい日本語の私」が一人でも多く生まれるよう、また、その装いが画一的なものにならないように、多様なリソースに触れられる機会を作りたいと考えています。

派遣先機関の情報
派遣先機関名称
The Japan Foundation, London
派遣先機関の位置付け
及び業務内容
国際交流基金ロンドン日本文化センターは1997年に日本語センターを開設。その業務は、当地の教育情報の収集と支援事業の企画・実施である。
  • 教材開発と提供:初等教育用には「Ready Steady NihonGo!」、中等教育用にはリソース群「力CHIKARA」を開発、公開している。
  • 初中等各校における日本語導入促進を目的とした出張授業、教師のための研修会や日本語コース、教育情報を提供するコースなどを実施している。
  • このほか、スピーチコンテストの実施、英国日本語教育学会との共催事業、ウェブサイトを通しての情報提供などを行っている。
所在地 Russell Square House, 10-12 Russell Square,London WC1B 5EH,UK
国際交流基金からの派遣者数 上級専門家:1名
国際交流基金からの派遣開始年 1997年
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