世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) 南国マレーシアで、日本留学を目指す若者たち ~マレーシア政府派遣学部留学生 予備教育部の紹介~

マラヤ大学予備教育部日本留学特別コース
原田明子 小林峰子 谷井明美 星野智子
三宅直子 隈井正三 遠藤和歌子 矢野優子
野口真早季 中村聖子 尾沼玄也 石綿由美子

日本留学特別コース(AAJ

小林峰子 原田明子

書道の授業のひとコマの写真
書道の授業のひとコマ

 常夏の国、マレーシアの首都クアラルンプールの中心から車で約30分も走らないうちに、広大な敷地を持つ、マレーシア最高学府として名高いマラヤ大学に着きます。緑に囲まれ、南国特有の色とりどりの花が咲き乱れるこの美しいキャンパスの一角に、私たちが働いている予備教育部、日本留学特別コース(Ambang Asuhan Jepun、以下AAJ)があります。

 マラヤ大学の予備教育部は、マレーシアの大学に進学する学生のための準備教育を担当する機関の一つですが、 第4代首相マハティール氏が提唱した「東方政策(ルックイースト)」の一環として、1982年、ここに日本留学のための特別コースが開設されました。東方政策とは、西欧より急激な発展を遂げた日本や韓国など東方諸国に目を向け、その勤労倫理や経営哲学、技術を学んで、マレーシアの工業近代化を進めようというものでした。

 1982年から2009年までの27年間に3,000人を超える留学生(主にマレー系)を日本へ送りました。現在は、1年生87名(29期生)、2年生122名(28期生)が日々勉学に励んでいます。

 AAJの学生の一日は、とても忙しいです。授業は朝8時から夕方6時までで、土曜日も授業があります。科目は日本語だけではなく、専門科目(物理、化学、数学)や英語も勉強します。物理・化学・数学に関しては、1年後半からは日本語での授業となりますから、まさに日本語漬けの毎日です。

 とはいえ、行事もたくさんあります。スポーツ大会、弁論大会、日系企 業訪問、クアラルンプールにある日本人学校との交流会、日本人家庭訪問などなど。また日本語の授業には、書道、俳句も取り入れられ、学生たちはハードなスケジュールの中でも、楽しく日本語を勉強しています。

 また、日本に留学する直前には、グループで興味や疑問を持ったテーマについて自分たちで調査、発表するプロジェクトワークというものもあります。これは、2年間の日本語学習の総まとめでもあり、日本の大学で勉強するための実践的な演習でもあります。学生たちは、日本語で行ったアンケート調査の結果などを、日本 語でパワーポイントにまとめ、それをユーモアたっぷりに日本語で発表します。また、聴衆からの日本語での質問にも、日本語で即答します。学生たちの発表する姿を見ると、2年間の成長というものを感じることができます。

日本語専門家の役割

 専門家の仕事は、多岐にわたります。毎日の日本語授業やその準備はもちろんのこと、コース運営、カリキュラム・教材作成、クイズ・テスト問題作成、様々なイベントの準備や指導など・・・。そして、会議もたくさんあります。学科会議、学年会議、職員会議、AAJ連絡会議などなど。しかし、それらをうまく調整し、お互いに助け合いながら、仕事をしています。

 現在、日本語科の約半数はマレー人教師で、日本留学を果たしたAAJの出身者がその大半を占めています。今年も新しく3人のマレー人教師が来る予定です。彼らの研修もまた、専門家の重要な仕事です。その他、日本に長期研修へ行く教師のサポート、研修会での発表の指導も行っています。

マレー人教師と共に

谷井明美

 日本に対する理解の深いマレー人教師ばかりとはいえ、やはり文化的、宗教的な 背景は私たちとは大きく異なります。ここでは、マレー人の宗教や風習について、その一部をご紹介いたします。

 マレー人の先生たちは全員がイスラム教徒です。AAJに来てまず一番驚いたことは、イスラム教徒である彼らが祈るための専用スペースが教員室の中にも設けられていることでした。彼らは時間になるとお祈りをしにそこへ行きます。

 服装も、女性は教員も学生も同様なのですが、長袖、ロングスカートのバジュク ロンという民族衣装を身につけ、頭にはトゥドンというスカーフのようなものをかぶって肌の露出を避けています。男性の教員は基本的にはワイシャツにズボンですが、イスラム教徒にとって大切な日である金曜日には、バジュマラユという伝統的な服で出勤し、午後は近くのモスクへ礼拝に出かけます。金曜日は男子学生も同様にバジュマラユを着、礼拝に出かけます。ですから、金曜日の昼休みは通常より長い2時間となっています。

 また、イスラム教徒にとって大切な断食月のラマダンの期間は、午後は授業と休み時間が5分ずつ短縮され、授業は通常より1時間ほど早く終わります。彼らは授業を終わらせるやいなや、車に乗り込み疾風のごとく大学を後にします。これは、日没後の食事の準備のためなのですが、大学を出るのが少しでも遅れると、同じように家 路を急ぐ人の車であふれかえった渋滞につかまってしまうという理由があるからです。

 イスラムの教えや風習をよく知らない日本人にとって、真の意味で彼らを理解す ることは難しいことですが、少なくとも彼らのタブーを尊重する姿勢や態度は不可欠だと思います。たとえば、それは、露出の少ない服装を身につけることであり、異性の場合、学生であったとしても手や体は触れないようにするといったことです。このようなことは、彼らに不快感を与えないといった極めて初歩的ですが、信頼を得るためには極めて重要な配慮であると言えます。

 このようなことを実際に学べることこそ、海外で働く醍醐味であり、おもしろさです。AAJでは、日本人教師、マレー人教師双方とも、お互いに違う点は違う点として尊重し合っています。折り合い点を見 つけなければならないときに、ちょっとした大変さはありますが、笑いが絶えない楽しい職場です。

日本留学試験に向けて

 4月に入学した学生たちが1年間の勉強を終え2年生になると、日本語も専門科 目も、授業は日本留学の合否を左右する日本留学試験に向けた試験対策的なものが中心になります。

 日本留学試験は年に2回、6月と11月に行われますが、AAJでは11月の試験が重要なものとなります。この試験での基準点をクリアーするため、毎日8~9時間の授業の他に、宿題、クイズ、テスト、追試、そして時には追追試、に追われる日々となります。

 教師は、時間的な制約がある中で全員を日本に留学させたいという思いから、あ れもこれも教えてあげたいという思いに駆られます。それに応えようと、学生たちの多くは、辛そうな顔を見せながらも睡眠時間を削りつつ勉学に打ち込みます。AAJを通して、学生たちは日本式の考え方や指導に慣らされ、マレーシアにいながらにして既に「日本」という異文化に接しています。「時間を守ることの大切さを知った、」「裏表なく、一生懸命働く先生方は立派だと思う。」・・・これらの言葉は卒業文集に寄せられたものです。このようなコメントからも、彼らの多くが戸惑いつつも「日本」という異文化を肯定的に受け止め、肯定的に理解してくれている様子がうかがわれます。

 晴れて日本留学が決まった学生たちは、2月に行われる修了式の日に満面の笑顔 を浮かべながら、私たち教員に「先生のおかげで日本へ行けるようになりました」と口を揃えて感謝の言葉を述べます。そのどの顔も、AAJでがんばり続けることができたという自分に対する自信と、やり遂げたという満足感に満ちあふれています。

学生たちの学業生活と教師の喜び

星野智子

 ここでは、漢字の勉強を例に、学生たちの学業生活とそこから感じる教師の喜びをご紹介したいと思います。

日本語を勉強しながら登校する学生たちの写真
日本語を勉強しながら、
登校する学生たち

 日本の大学に留学するためには、日本語のテキストが読めるようにならなければなりません。そのためには漢字の学習は不可欠です。また、留学後の大学生活に必要な教養を身につけるためにも、学生たちは、相当数の漢字を覚えなければなりません。

 漢字の授業は、入学直後から始まります。習った漢字は必ずクイズを行って定着 を図ります。しかし、漢字の定着は容易ではありません。先日も、学生が来て、こう言いました。「先生、漢字を忘れない方法を教えてください。覚えても覚えても、すぐに忘れてしまうんです。」「私も、です。クイズが終わると、次の日にはもう忘れてしまいます。どうしたら、ずっと覚えていられるでしょうか。」

 マレーシアで生活している学生にとって、漢字を見たり、読んだり、使ったりする場は教室以外にはありません。反復練習が欠かせない漢字学習には、余りいい環境ではないかもしれません。しかし、このような環境の中、限られた時間の中で多くの漢字や熟語を覚えなければならない学生たちは毎日必死です。

 寮から大学のキャンパスへ向かう通学途中でも、教科書を見ながら歩いているのは、1人や2人ではありません。涙ぐましい努力です。

 入学直後は、元気一杯、夢一杯の学生たちですが、いわゆる「丸暗記」の勉強方 法でその場しのぎの勉強を続けていると、知識が整理されないまま次々と新しい漢字を頭に入れなければならないため、2ヶ月3ヶ月経つころには、頭の中はパンク寸前。徐々に、日々の勉強に息苦しさを覚え、自信を失くし、暗い顔つきになっていくようです。

 しかし、半年を過ぎるころから、専門科目の授業も日本語で行われるようになり、学生たちは漢字熟語を繰り返し目にするようになります。そうすると、学生自身が改めて漢字学習の必要性を感じ始め、漢字や言葉の意味を意識的に考える機会も多くなります。

 その結果、「繰り返し練習できるようにテキストに振り仮名をしない」「クイズや試験の前に限らず、できるだけテキストを読み返す」といった勉強方法を取る学生も出てきて、1年が終わるころには、大半の学生たちから「分かる漢字を見て、単語の意味が推測できた時はうれしい。」「知っている言葉が増えて、漢字が怖くなくなった。」という前向きな声が聞かれるようになります。そんな時、「ああ、教師をやっていてよかった。」と心から思います。このような瞬間が、教師にとっては一番うれしい瞬間です。

 入学当初、漢字というそれまで見たことのない文字に戸惑ったり苦しんだりしながら、どうやって覚えようか試行錯誤を繰り返していた学生が、その後、知っている漢字が増えることに、嬉しさや自信を感じていきます。このような学生たちの成長や、彼らが獲得していく自信が、教師にとっての何よりの喜びです。自力で勉強方法を確立しようとしている学生たちに対して、私たち教師は、ただやみくもに勉強させるのではなく、彼らが少しでも効率的に漢字を学習でき、わかる喜びを感じられるよう、そして、2年間のAAJでの学業生活を通して自信を持って日本へ行けるよう、これからも学生たちを精一杯支えていきたいと思います。

派遣先機関の情報
派遣先機関名称 マラヤ大学予備教育部日本留学特別コース
Gateway to Japan, Center for Foundation Studies in Science, University of Malaya
派遣先機関の位置付け
及び業務内容
1981年にマハティール首相が就任し、東方(日本、韓国)からその勤勉さと集団努力を学ぶべきとし、東方政策を提唱。これに基づき、日本の大学及び高等専門学校への留学、産業技術研修のための渡日前日本語教育が始まった。マラヤ大学予備教育部に日本留学特別コースが1982年に設置され、学生は2年間の予備教育終了後、日本の大学に留学している。現在、基金が日本語専門家12名、文部科学省が教科教師17名を派遣しているほか、同大で13名のマレーシア人日本語教師と1名の日本人教師を現地雇用している。専門家は日本語授業担当、教材作成、カリキュラム作成、新人教師研修等を行っている。
所在地 AAJ, PAS, UNIVERSITI MALAYA, 50603, KUALA LUMPUR, MALAYSIA
国際交流基金からの派遣者数 12名
日本語講座の所属学部、
学科名称
マラヤ大学予備教育部日本留学特別コース
日本語講座の概要
沿革
講座(業務)開始年   1982年
専門家派遣開始年 1982年
コース種別
日本留学予備教育課程
現地教授スタッフ
常勤13名(うち邦人3名)、非常勤3名(うち邦人1名)
学生の履修状況
履修者の内訳   1年生87名、2年生123名(2010年5月25日現在)
学習の主な動機 日本の大学で工学・薬学・歯学を学ぶため
卒業後の主な進路 主に日系企業就職
卒業時の平均的な
日本語能力レベル
日本語能力試験1~2級程度

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