世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) 「フィリピン大学の言語環境と日本語講座の現状」

フィリピン大学
片桐準二

言語環境と教育制度

フィリピン大学のシンボル像の写真
フィリピン大学のシンボル像(写真)
両手を広げて「自由」を表現している

 フィリピン大学言語学科で日本語を教えているある女性教師の母語は、フィリピン諸語の一つヒリガイノン語である。フィリピンの教育制度に従うと、彼女はヒリガイノン語で幼少期を過ごした後、6歳で小学校に入る。そこでタガログ語をもとにしたフィリピノ語を習い、それを使うように言われる。そして校内でのヒリガイノン語の使用が禁止され、使うと何らかの罰を受けた。かつての沖縄や、日本占領下の朝鮮、台湾の日本語教育でも行われていた罰札制度のようなものがあったらしい。国語や社会の授業はそのフィリピノ語で行われたが、数学理科は英語で教えられた。もちろん英語の授業もあった。混乱を避けるため現在では低学年において補助的にヒリガイノン語を使ってもいいということになっている。

 6年間の初等教育が終わると、ハイスクールに進む。ここでは日本の中学・高校に当たる中等教育期間が4年間しかない。ハイスクールでの授業もフィリピノ語と英語で行われた。そして16歳でフィリピン大学言語学科に入学した彼女は言語学を学び、フィリピン諸語研究を学びながら、日本語も学び、交換留学で日本へ1年間留学した。こうして彼女はヒリガイノン語、フィリピノ語、英語、日本語の4言語を操るマルチリンガルとなり、21歳で(留学のため1年遅れて)大学を卒業した。その後そのまま言語学科の大学院に進学してフィリピン諸語研究を続けながら、自らの第4言語である日本語を学生たちに教えている。

 フィリピノ語のもとになったタガログ語を母語とするものはマニラ首都圏とその近隣地域の出身者で全人口の30%程度 であると言われている。また、ヒリガイノン語のような各地域の言語はフィリピン国内に100以上ある。フィリピン全体を考えるとこの日本語教師の言語的背景は決して特殊なものではない。ただ、フィリピン大学もしくは首都圏のフィリピン人日本語教師についてだけ考えるならば、タガログ語母語話者がほとんどであり、第2言語を英語とし、第3言語として日本語を学んでから教えている者が多い。

グラフ1-グラフ2 フィリピン大学言語学科2001-2年度第2学期日本語科目受講生の第1言語と第2言語(同学期受講生調査より)
グラフの図1の写真
第1言語
グラフの図2の写真
第2言語

日本語講座の現状

フィリピン人日本語講師の授業風景の写真
フィリピン人日本語講師の授業風景

 フィリピン大学には日本語講座という正式な組織はなく、言語学科で日本語科目を教えている。この言語学科は、フィリピン諸語研究を中心にしながら、全学を対象とした選択外国語科目としてのアジア諸語(現在開講されているのは、マレー・インドネシア語、中国語、韓国語、ペルシア語、日本語)を教える学科である。教員数が10名前後で学生数も1学年が20名に満たない小さな学科である。この学科には言語学専攻(プランA)、言語学/マレー・インドネシア語専攻(プランB)、言語学/日本語専攻 (プランC)の3つの専攻がある。プランAはフィリピン語研究を中心とした言語学コースで、プランBとプランCは二重専攻(Double Major)コースでフィリピン語言語学研究に加え、それぞれマレー・インドネシア語、日本語を言語学と同じ単位数だけ学ぶ。

 言語学科で開いている日本語科目を学ぶのは、このプランCコースの学生と、全学部から選択外国語科目として日本語を学びに来る学生である。アジア諸言語の中では日本語の人気が一番高く、近年は、マレー・インドネシア語、中国語を学ぶ学生が1学期にそれぞれ50人程度、韓国語、ペルシア語はそれぞれ10人程度であるのに対して、日本語は200人前後である。しかし、選択外国語として必要な単位はだいたい6単位で、学習時間は100時間に満たない。フィリピン大学ではこの日本語入門コースのみを学んで終わるものがほとんどであり、中級程度 (日本語科目を全部で39単位履修) まで日本語を学ぶのは、1学年10人弱の言語学科プランCの学生だけである。

 また、ここフィリピン大学では大学院生でありながら大学の常勤講師にもなれるので、3人の常勤講師は全員言語学科修士課程の大学院生でもある。実は常勤講師だけではなく、5人の非常勤講師も全員が別の大学の大学院生である。これはフィリピン人による日本語教育が未だ黎明期にあることを示している。日本語、日本語学、日本語教育などを専門に学べる大学、大学院が国内にほとんどない ことから、彼らの大学院での専門も必ずしも日本語に関係するわけではない。そんな中で派遣専門家は自分の授業のほか、ここの日本語教師を対象にミーティングを開いて日本語教育への関心を高め、勉強会を開いて日本語能力の向上を促しながら、フィリピン人による日本語講座の明日の可能性を模索している。

  1. *1 中尾重嗣編1999『ホリデーワールド フィリピン長期滞在者のための現地情報』三修社より。
  2. *2 現在のところ日本語関連を専門とする大学の講座は、1999年に開設されたマニラ市内トリニティー大学の日本語教育専攻の大学院と、2002年6月にフィリピン南部ミンダナオ島ダバオ市に開校する国際ミンダナオ大学の日本語学科(学部レベル)の2つだけである。

学部別受講者数
日本語科目履修登録者数の変遷

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
 フィリピン大学は1908年、フィリピンで初めて創設された国立大学で、フィリピンを代表する高等教育機関であり、学生の質も、卒業生の影響力もトップクラスにある。日本語教育に関しても比較的歴史は長く、1960年代から現在に至るまで継続して日本語科目を開講している。1998年からはフィリピン国内の他の大学に先駆け、日本語が専攻に近い形(言語学と日本語の両方を専門科目として同単位ずつ履修する二重専攻)で学べるようになっており、フィリピンにおける日本語教育の中核機関の一つである。専門家は言語学科での日本語教授、カリキュラムに対する助言、教材作成、現地教師の育成等を行う。
ロ.派遣先機関名称 フィリピン大学ディリマン校
University of the Philippines, Diliman
ハ.所在地 Diliman, Quezon City, Metro Manila, Philippines
ニ.国際交流基金派遣者数 専門家:1名
ホ.日本語講座の所属学部、
  学科名称
社会科学哲学部・言語学科
ヘ.日本語講座の概要
(イ)沿革
(1)講座(業務)開始年   1964年
(2)専門家・青年教師派遣開始年 1964年
(ロ)コース種別
言語学科の言語学/日本語二重専攻(プランC)、必修選択外国語
(ハ)現地教授スタッフ
常勤3名(うち邦人0名。現在留学中の者1名) 非常勤6名(うち邦人1名)
(ニ)学生の履修状況
(1) 履修者の内訳   社会科学哲学部66、
工学部23、
文学部16、
他58、
計163
(2) 学習の主な動機 日本語そのものに対する興味、日本文化への興味、将来の仕事、旅行、留学
(3) 卒業後の主な進路 大学院進学、日系ホテル、日系企業
(4) 卒業時の平均的な
日本語能力レベル
日本語専攻者は3級程度、
留学経験者の優秀者は2級程度。
(5) 日本への留学人数 毎年5名程度

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