世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) フィリピンの日本語教育(2002)

国際交流基金マニラ日本文化センター
市瀬俊介

シリマン大学構内
シリマン大学構内の写真
 ネグロス島の南東に位置するドゥマゲティは9万の人口のうち1割を学生が占めるのどかな文教都市。市民の足であるバイクやトライシクルがシリマン大学の構内にもあふれる。構内は緑が深く、点在する低層の大学施設は高い熱帯樹木の陰に隠れるようである。

 フィリピンと日本の間にはたくさんのステレオタイプな誤解が存在しますが、「フィリピン人は日本に親近感を持ち日本語をよく勉強する」というのも、その一つではないでしょうか。実際はフィリピンでは特定の層の人が就労など特定の目的で日本語を勉強している場合が多く、国としては完全に旧宗主国アメリカを向いています。というよりも、フィリピン人の究極の夢はアメリカ人になることなのではないかと思うこともあります。「スペインが教会を遺しアメリカが学校を遺した」と言われるこの国には英語が広く浸透し、タガログ語で話し始めたのに英語で終わっているといった奇妙な現象もよく見られます。マニラの街を歩けばマクドナルドの店舗の異常な多さにも驚かされます。数十ペソで買えるアメリカ気分と引きかえに、血圧の高そうな子どもを生み出してゆくこうした消費生活にも、フィリピンの文化的アイデンティティーの希薄さがうかがえるような気がします。

 こういった状況の中で、いかに日本語を普及してゆくかを考えることがアドバイザーの仕事です。フィリピンの日本語学習者は約1万、その四分の三が学生ですが、選択外国語として履修する場合がほとんどで、日本語学科は一つも存在しません。そのため学習者は日本語能力試験の4級レベルに到達することも難しく、良い教師が現場に供給されません。そこで、教師の教授能力向上のためのワークショップ開催、ニューズレターの発行、ネットワーク形成への支援などが主な業務となりますが、私自身は日本語・日本語教育で学位のとれるコースの開設が日本語教育発展のための必要条件だと認識していますので、デラサール大学などの有力校に働きかけ交渉してゆくことも大切な仕事だと思っています。

ミンダナオ国際大学遠景
ミンダナオ国際大学遠景の写真
 日本サイドのNGOである日比ボランティア協会は、2002年6月ミンダナオ島ダバオにミンダナオ国際大学を設立した。高層建築の少ないダバオでは、六階建て校舎のグリーンの屋根とベージュの外壁がひときわ目立つ。大学前のマーマイ通りは椰子の並木に縁取られてまっすぐにのび、ダバオの広々とした空間を感じさせる。

 月に一度は地方へ出張します。1年目は調査が目的でしたので、かなり僻地にも出かけました。アラブの産油国あたりが払い下げたような飛行機に妙に言動の軽いスチュワーデスや闘鶏用のニワトリといっしょに乗り込む空の旅もかなり緊張しますが、船もなかなか油断できません。重量制限を無視してオーバーブッキングの客や物資を無理につめこむため転覆することがよくあるからです。遠くの椰子の木が風でしなるような日には乗船しないほうがいいといった知識が身につきますが、日本ではきっと役に立たないと思います。

地方の州立大学などを訪問すると学長をはじめ気のいい人が多いのですが、熱烈な歓迎は時に熱烈な無心を伴います。政府からの予算がほとんど回ってこず外国の援助が頼りということはわかるのですが、なぜセミナーに来ただけの私にビルを建ててくれなどと言うのか、なぜこの食事代を研究費や図書費に回さないのか、だいたいなぜこの人がドクターを持っているのかと、果てしのない疑問の渦に巻き込まれます。

 富の偏在するフィリピンでは楼閣とまごう大学もまれに見かけますが、某市某大などは海辺の民宿かと思いました。地方の教師不足はマニラ以上に深刻で、あいさつ程度の日本語しか知らない人が教えていることがよくあるのですが、ここを訪問したときはさすがにあ然としました。”What’s your name?”を教えるのに、この教師はまず「なまえ」を「なめ」と発音し、さらに「何才ですか」や「何時ですか」からの類推なのか「なんなめですか」とやるのです。教師の権威を疑うことを知らない純真な学生たちが声をそろえて「なんなめですか」とコーラスする授業風景は、古い日本映画に見る山の分校を思い出させて、貴いとも痛ましいとも言える異様な光景でした。これは極端な例ですが、日本語教育に対する需要は高いのに与える側がそれに正しく対応していない、というのが実状です。状況を少しでも改善するため、最近はセブやミンダナオ島ダバオに拠点を定め、定期的にセミナーを開くなどして核となる機関・教員の育成に努めています。国際協力事業団とも情報を交換し、協力隊日本語隊員の派遣先について話し合ったりもします。

 フィリピンに日系人社会があるというのも、日本ではあまり知られていない事実ではないでしょうか。20世紀初頭ルソン島山間部のベンゲット道路建設に投入された日本人労働者が各地に流れたものですが、特にダバオではマニラ麻の広大な農園を切り拓き、一時は繁栄を極めました。ところが敗戦と同時に全てを失い、戦後は苛烈な差別にさらされて日本語継承の道筋も断たれてしまいました。それが10年ほど前から日本のNGOの支援によって再び組織化され日系人学校も建てられ、ついにこの6月にはミンダナオ国際大学が設立されたのです。この大学では福祉科や環境科と並んで日本語学科も設置される予定で、私たちもこれに期待し様々な形で支援しています。政府の認可がおりるのかどうか危ぶまれましたが、何とか開校にこぎつけました。フィリピンのような国では資金力もさることながら何らかの高い思いがあってこそ、ものごとを前に進めてゆけるということでしょうか。

 私の任期もあと1年を切りました。この国を去るときには、マクドナルド化したマニラよりも、地方のこうしたアジア的混迷を愛惜すると思います。

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
 フィリピンにおける日本語学習数は増加傾向にあるが、良質な教師不足のため、教師養成システムの確立が求められている。専門家は、マニラ日本文化センター付アドバイザーとして、首都マニラでは、フィリピン唯一の日本語教育専攻修士課程をもつトリニティ大学へ出講して、拠点校の充実を図り、また、年2回のワークショップやコンサルティング業務により教師支援を行う。地方に対しては、年に8回程度出張して、ワークショップを開催、コンサルティング業務を行うことで、教師のレベルアップと、教師間のネットワーク形成を支援する。ニューズレター:『グストコにほんご』発行。
ロ.派遣先機関名称
The Japan Foundation Manila Office
ハ.所在地 12th Floor, Pacific Star Bldg, Sen.Gil J.Puyat Ave. cor Makati Ave. Makati City, 1226 Philippines
ニ.国際交流基金派遣者数 専門家:1名

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