世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) フィリピンの日本語教育(2003)

国際交流基金マニラ日本文化センター
市瀬俊介

2003年2月 フィリピン大学でのワークショップの写真
2003年2月 フィリピン大学でのワークショップ

 日本語教育アドバイザーとして国際交流基金マニラ日本文化センターに3年間勤務しました。赴任した東京発マニラ行きのフライトでは、もしかするとこの路線は日本のこわい男、日本のだめな男、フィリピンのけばい女の3種類の人間しか利用しないのではないかと思って多少びびりましたが、マニラ自体は繁栄と貧困、東洋と西洋、中世と超近代があふれるようにごったがえす魅力的な街でした。歴史の波にゆれ、タガログの色の上に中国、スペイン、アメリカの色彩を幾重にも塗り重ねてきたマニラ。椰子風のわたる街角に混血の美女たちがはなやぎ、マニラ湾に沈むアジアで一番美しいと言われる夕陽が、コロニアルな面影を残す海岸通りの百万の窓に輝くとき、「植民地の傷跡というものは本当に美しいものですね」と思わず失言してしまった、さる著名人の気持ちもわかるような気がします。
 しかし、ひとたび目を旧市街に移せば、川沿い線路沿いに櫛比する舞台の書き割りのように粗末な家々、貧困を隣人として生きるあわれ細民の、もの寂しい暮らしが広がっています。渋滞する車の間をぬってサンパギータの花を売り歩く、明日は娼婦になるほかはない裸足の子どもたちの姿を見れば、その行く末を思って鬼も涙を流すでしょう。もっとも、共同体の中で神とともに生きる彼らと、浮き草稼業の日本語教師とどちらがしあわせかはわかりませんが。豊かな天然資源や経済発展のかわりに神はこの国の人々に、景気はどうかと聞かれれば「ずっといいよ、あしたよりは」と笑って答える、うららかな心を与えたとか。
フィリピンは「アメリカ型デモクラシーのショーウィンドウ」と形容されることもありますが、その内実は、スペインの略奪型植民地経営の災禍を今に受け継ぎ、いまだに農地改革もなされない、「ホワイトフィリピーノ」を頂点とする堅牢な階層社会でしかありません。国民は教育、ビジネス、海外就労を通じ、時に法を曲げても自分の階層を少しでも引き上げようとやっきになり、したがって、外国語教育もまた社会階層の流動性を保証してこそ評価されます。最近フランス語の人気がにわかに高まったのは、サルトルを原書で読みたかったわけではなく、カナダが介護士などに対する移民枠を広げたからだと聞きました。この国では日本語教育ももちろん、こうした文脈を抜きに語ることはできません。
 「アセアンの病人」とまで揶揄される経済の低迷を背景として、政府は看護婦をアメリカへ、メイドや建設作業員を香港・中東へと、労働力の輸出を外貨獲得・雇用対策の柱とせざるをえません。日本へ向けてはIT技術者と介護士の大量送り込みを計画しており、労働人口の減少という日本側の事情と重なって、多少の曲折はあれいずれ実現すると予想されています。そうなると、従来のエンターテナーやいわゆる「研修生・実習生」を加え、未曾有の数のフィリピン人が日本で働くことになります。地理的近接性と経済的事情から受け入れ側の準備が整わないうちに現実が先行してしまう、例えば北海道の日本海側に暮らす人々がロシアの船員といやでもつきあわなければならないような状況を、国際交流と書いて「くにぎわ交流」と読みますが、それと似た状況がもっと大規模な形で起ころうとしています。
 職種を考えれば日本語の習得は不可欠なのですが、ところが、こうした労働力に対する日本語教育は全くおろそかにされています。そもそもこれだけの数の学習者をさばくだけの教師がフィリピンには存在しません。いずれ日比双方に大きな混乱をもたらすことになるのではないかと心配されています。国際交流基金1機関では限界があるので、最近はJICAなどとも話し合いの場を持つようになりました。結局、国際交流基金、JICA、大使館、フィリピン政府などの関係諸機関が結集して、技術教育と日本語教育を同時に行える大がかりな施設でもつくらない限り、事態に対処できないでしょう。その意味で、俯瞰的な見地から状況を総合的に判断して、その上で各機関と交渉・協調してゆくコーディネーターとしての役割が、今後アドバイザーには求められるのではないでしょうか。

タブラス島ロンブロン州立大学の写真
タブラス島ロンブロン州立大学

 私は初代でしたので1年目は首都圏から離島まで国内を歩いて状況を把握、2年目からは何より教師不足を解消するため日本語学科やそれに近いものをつくろうとする大学を拠点機関として支援を集中させ、情報や人材の流れをよくするためのネットワークづくりにも努めました。英語が学術・教育言語として広く浸透しているこの国では、日本語教育は常に苦戦を強いられますが、それでも少しずつよい流れができてきたように感じられます。拠点都市と定めたセブでは初めての能力試験やスピーチコンテストが実施され、JOCV日本語隊員も導入されて定期的な勉強会が開かれようとしていますし、立ち上げの頃から応援していたダバオのミンダナオ国際大学からスピーチコンテスト全国大会の入賞者や能力試験の合格者が出たこともうれしい結果でした。マニラでは新たに私学の名門デラサールに専門家が派遣されることになり、マニラ大学は首都圏では初の日本語学科を今年開設します。こうした機関がすぐれた人材をフィリピンの教育界に送り出す日も近いかもしれません。
 さて、状況と未練のいかんにかかわらず任期が終わればただちに職を解かれるのが派遣専門家の醍醐味です。後事は後任に託してまもなく帰国いたします。フィリピンには多くのことを学びましたが、後任に引き継ぐことのできないもの、まして日本には持って帰ることのできないものの数を数えれば、行雲流水、車寅次郎風には、そこが渡世人のつらいところです。

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
 フィリピンにおける日本語学習数は増加傾向にあるが、良質な教師不足のため、教師養成システムの確立が求められている。専門家は、マニラ日本文化センター付アドバイザーとして、首都マニラでは、フィリピン唯一の日本語教育専攻修士課程をもつトリニティ大学へ出講して、拠点校の充実を図り、また、年2回のワークショップやコンサルティング業務により教師支援を行う。地方に対しては、年に8回程度出張して、ワークショップを開催、コンサルティング業務を行うことで、教師のレベルアップと、教師間のネットワーク形成を支援する。ニューズレター:『グストコにほんご』発行。
ロ.派遣先機関名称
The Japan Foundation Manila Office
ハ.所在地 12th Floor, Pacific Star Bldg, Sen.Gil J.Puyat Ave. cor Makati Ave. Makati City, 1226 Philippines
ニ.国際交流基金派遣者数 専門家:1名

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