世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) フィリピンと日本語教育

国際交流基金マニラ日本文化センター
星亨

 国際交流基金マニラ日本文化センター(通称JFM)に赴任して一年、日本語教育アドバイザーとして行ってきた活動を振り返ってみる。

ある日の「日本語教育研究交流会」ロビーに溢れる参加者の写真
ある日の「日本語教育研究交流会」ロビーに溢れる参加者

 まず、「日本語教育研究コース」 と「日本語教師ブラッシュアップコース」の2つの教師研修プログラム。「研究コース」の方は土曜午前のコースで、将来フィリピン日本語教育のリーダーシップを担うべき人材の発掘、育成をねらって一昨年秋にスタートした。一方、2007年2月に始まったばかりの平日夜(週2回)の「ブラッシュアップコース」 の方は、何年も教えているベテラン教師が多く、年齢層が「研究コース」より高いにもかかわらず元気一杯で、長年、自己研鑽の機会を求めていた先生方が満を持して参加しているという感じだ。
 次に、ほぼ月例の「日本語教育研究交流会」。 毎回、基金の日本語教育専門家や青年海外協力隊(JOCV)の日本語教師、大学で日本語を教えているフィリピン人教師や基金のフェローシッププログラムなどで日本に行っていたフィリピン人研究者などがそれぞれの得意分野(日本語教育に限らず)の話をし、参加者がミリエンダ(スナック)をつまみながら意見交換をする。参加者の多いときは、会場にしている会議室や図書室に入りきれず、ドアの外にあふれ出ることもある。
 2006年度から年2回開催している「日本語教師フォーラム」には、全国から日本語教師や関係者が常時70名以上集まる。第4回フォーラムでは『自己研修型教師をめざして』、そして第5回では『日本語教育の多様化を考える』というふうにフィリピンの現状や問題点を意識したテーマを決めて、講演、ディスカッション、研究報告、実践報告のほか、各地から集まった教師たちが情報交換を行うネットワーキング・セッションを行っている。

JICAオーディトリウムでの「日本語教師フォーラム」の写真
JICAオーディトリウムでの「日本語教師フォーラム」

 教師だけでなく学習者も参加できる日本語関連行事としては、日本語スピーチコンテストとフィリピン人学習者・教師による日本文化祭り/パーフォマンスを合体させた「日本語フィエスタ」を毎年2月に行っている。スピーチコンテストはセブ、ダバオ(ミンダナオ)、マニラで地区予選があり、「フィエスタ」では全国決戦大会を行う仕組みになっている。
 このほか最近のマニラ日本文化センター最大のホットニュースは、念願の教室兼リソースルームのオープンだ。事務所フロアとは別に、教室に図書室機能も合体させ、日本語教育のリソースの充実だけでなく、日本のCDや雑誌、マンガなどの試聴、閲覧もできる総合的なリソースルームになる予定だ。

介護士養成所の生徒募集広告。いかにも卒業後は日本で介護士になれるといった印象を持たせられる書き方の写真
介護士養成所の生徒募集広告。いかにも卒業後は日本で介護士になれるといった印象を持たせられる書き方

 ところで、過去1年間にはフィリピンを取り巻く日本語教育の事情もさまざまに動いてきている。まずは国際交流基金の日本語施策が「支援」から「推進」へと変わり、40年以上も続いたフィリピンの大学への日本語教育専門家派遣が2007年度で打ち切りになり、今後は「拠点校」への「支援」ではなく、マニラ日本文化センターが主体となった日本語教育の「推進」へと向かう。具体的には、大学派遣の日本語教育専門家に替わってジュニア専門家がマニラ日本文化センター付きで1名派遣され、すでに派遣されている日本語教育専門家(報告者)と組んで、例えばマニラ日本文化センターによる「モデル講座」の開設や、フィリピンの実情にあった教材の開発、そして中等教育における日本語教育ニーズの掘り起こしなどの新規事業にも取り組んでいく。当然、そこに行くまでに超えなければならないハードルも無数にあるというのが現実である。
 一方、数年来期待が高まっていた日比経済連携協定(JPEPA)が2006年秋に締結され、さらに12月に安部総理とアロヨ大統領により発せられた日比共同声明「親密な両国間の包括的協力パートナーシップ」には、「人的交流の活発化における日本語教育の強化」の重要性が盛り込まれた。こうした政治の舞台における「追い風」を受けて、産業界からの日本語教育への期待が急激に高まっている。とくに日系企業社員やIT技術者の日本語研修プログラムが立ち上げられたり、フィリピン人介護士の日本への送り込みを前提とした民間の研修所が速成日本語コースを開講したりする例はめずらしくない。フィリピンのIT技術者のレベルは高く、また看護師、介護士としての才能には定評がある。今回の日本との経済連携協定は、「ジャパゆきさん」 という言葉に代表されるこれまでの日本でのフィリピン人のマイナスイメージを払拭する絶好の機会ととらえられている反面、数十時間の日本語研修で、あたかも就労に必要な日本語がマスターできるかのように生徒を集める怪しげな研修ビジネスが横行しはじめているという現実もある。そして、そのレールにあえて乗って、「何でもいいからとりあえず日本へ行きたい」と考える人々もいる。

 ところが、日本側の求める日本語レベルは高く、これに答えられるレベルにまではフィリピンの日本語教育は成長していないという現実が一方にある。そして、この期待と現実のギャップは圧倒的な教師不足という形で現れつつある。こうした産業界から日本語教育への性急な圧力は、学習者数の増加=日本語教育の振興という楽観的な見方よりも、これから地道に人を育てていかなければならないフィリピンの日本語教育に大きな不安感をもたらすように思えてならない。
 もうひとつ、こんな話もある。実は今年のスピーチコンテストの参加者のうち何人かが、異口同音に「自分が今あるのは、海外に出稼ぎに行った母のおかげだ」というのである。彼らは名門大学の学生や、IT技術者のための特権的な研修プログラムに在籍する研修生である。その彼らが、1人の母親は日本で就労し、不法滞在で強制送還された。もう1人の母親は、カナダに出稼ぎに行って以来2年間、仕送りはしてくるが一度も家族の顔を見に帰って来ないという。フィリピンでは自前で日本語教育を受けられるだけの経済力を誰もが持っているわけではない。そこで、母親が海外に出稼ぎに行き学費を稼ぐ。その子が学生として、あるいはIT研修生として日本語を学び、将来彼らなりに日本と関わろうとしている。こうしたケースは稀ではないらしい。「そうまでして日本語を学ぶだけのメリットが彼らにあるのだろうか。そうまでして学んだことの見返りを彼らは受けているのだろうか」...。「日本語教育は全人格的なヒューマンな体験であるべき」 というような理念とは対極にあるこのような問いを、フィリピンにいるとつい発したくなる。

 「フィリピンの日本語教育 」という前に、フィリピンという国と日本語教育の間になにがあるのかを考えてみる必要がある。この報告のタイトルを「フィリピンと日本語教育」とした理由はそこにある。

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
フィリピンにおいてはなによりも日本語教育分野の人材育成が求められている。日本語教育専門家は、マニラ日本文化センター付アドバイザーとして、事務所主催の教師研修やコンサルティング業務により教師支援を行うほか、日本語教師フォーラム(年2回)や月例研究交流会の企画・開催を通じて日本語教育研究振興の足場作りに取り組んでいる。また、現地団体の主催するワークショップやスピーチコンテストなどローカルプロジェクトへの協力や機関訪問を通じて日本語教育関係者のネットワーク構築を図っている。ニューズレター:『みりえんだ』発行。
ロ.派遣先機関名称
The Japan Foundation, Manila
ハ.所在地 12th Floor, Pacific Star Bldg, Sen.Gil J.Puyat Ave. cor Makati Ave. Makati City, 1226 Philippines
ニ.国際交流基金派遣者数 日本語教育専門家:1名、ジュニア専門家:1名

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