世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) 風の町、バクーの日本語教育

バクー国立大学
平畑 奈美

バクー大学の写真
バクー大学

 アゼルバイジャンは、中東とヨーロッパが交わる民族の坩堝、コーカサス地域の南部に位置する小国である。ほぼ唯一の産業である石油開発の低調、隣国アルメニアとの紛争などの問題を抱えてはいるものの、首都バクーは、豊かで発展した都市であり、将来的にはコーカサス地域の日本語教育の中心となるべき役割が期待されているところでもある。

 アゼルバイジャンでの日本語教育の開始は、他のNIS諸国より遅く、2000年9月にようやく、バクー国立大学で専門的日本語教育が行われるようになった。最初の1年間は、1名の現地人教師と、わずか6名の1年生が日本語科のすべてであった。

 翌2001年9月、日本語教育専門家の派遣が開始され、私が赴任した。同時に、新たに1名の現地人非常勤講師と、7名の新1年生が加わった。当時、日本語科には教科書も辞書もなく、テレビもVTRもテープレコーダーも使えず、決まった教室も控え室もなく、授業の前後は廊下に立って質問に答えた。

 その時点での、2年生の日本語運用力はほぼゼロであった。動詞のテ形は作れても、たとえば、人が走っている絵を見せて「何をしていますか?」と質問すると、ロシア語でつぶやき、笑うのみであった。1年生は当初、日本人は教えることはできないと言われたが、大学側と交渉して教えることにした。授業中に立ち上がる、机を叩くなど日本語教育以前の問題が目についた。現地人教師は、なぜか二人とも土木建築が専門だった。教務主任は日本留学の経験があったが日本語力は推定で日本語能力試験3~4級レベルだった。非常勤講師は日本で建築作業の傍ら独学で日本語を学び、聴解能力は優れていたが、文法事項やスピーチスタイル等に難があった。大学側はもちろん日本語教育のレベル向上は望んでいたが、国民性の違い、またおそらくは国情の混乱に起因する大学システムそのもの問題から、しばしば派遣教師との約束は放棄された。

 要するに、私の仕事は、かなりプリミティブな、というよりも、限りなくゼロに近い状態からスタートしたと言ってよい。まずは日本語学習環境のハード・ソフト両面での整備であった。日本からの援助と、大学との交渉により、少しずつ教材、器材をそろえ、ついに日本語科専用教室を確保した。また現地人教師には可能な限り授業に出席するように求め、日本語指導を行いつつ協力関係が築けるよう努力をした。非常勤講師は、欠かさず私の1年生の授業に出席し、スピーチスタイルを含めて、相当の進歩を見た。またカリキュラムの見直しも行った。従来の学習ペースが遅く、卒業時の到達目標が日本語能力試験3級程度とされていたのを、能試1級を目標として4年間のシラバスを整えた。

 しかし主要業務はもちろん授業である。2年生の指導は困難であった。それまで、ロシア語で書かれた文法解説書を読むだけだった彼らは、1年生よりも運用力の伸びがはるかに遅かった。放課後の個別指導を繰り返し、聴解・発話力育成のためのアクティビティを続けた。彼らが私の言葉を理解するようになり、母語への翻訳をやめた時の喜びは、大げさだがヘレン・ケラーが最初に水と言った時の、サリバン教師の感激をふと連想させた。

 逆に1年生の授業には、一部学生の素行以外に目立った問題はなかった。大多数の学生は優秀で飲み込みが早く、乾いた土が水を吸うかのように学習を深めていった。学習に勢いのついた彼らは、祝日などで授業が中断されるのを嫌がるため、振替授業をしなければならないほどであった。素行の問題については、大学および保護者と面談を繰り返した。

バクー大学アパートからの眺めの写真
バクー大学アパートからの眺め

 しかし、狭いバクーの小さな日本語科に閉じこもっていては、学習環境は活性化しない。また、日本語を使って、人と交わり自分の世界を広げる喜びを与えなければ、生きた日本語が身につかない。この視点から、赴任後2ヵ月以降は、バクー在住邦人を「授業参観」や「ミニスピーチコンテスト」などに多数招待させていただき、学生たちとの交流の場を作るよう心がけた。さらに大使館の協力のもとに、学生たちと日本国大使との面談や、日本人会主催のピクニックへの参加も実現した。また、ゲームなどを通じて1,2年生のライバル意識を刺激し、磨きあう環境作りにも努力した。

 初年度はとりあえず、学習環境の整備と、大学側、学習者の意識の多少の改善は行うことができた。来年度、日本語科では3学年が学ぶことになり、教師不足が予想される。一方バクー大学の日本語科に対する理解は、まだ十分とは言えない。優秀な学生をよりよい方向に伸ばしていける環境作りを目指して、大学側と交渉していく必要がある。また現在の学習者の中から、コーカサス地域の日本語教育を担う日本語専門家を育てるべく、将来を見据えた人材育成を行っていかなければならない。

 「バクー」とはペルシャ語で風の町という意味である。その名の通りここではいつも風が吹いている。バクーの学生たちは、私の目には風の中の灯火のように見える。いかにもはかなく小さいが明るく輝いている。私の手のひらも小さく弱いが、この輝きを風の中で守り、少しでも大きな炎に変えていけることが私の願いである。

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
バクー国立大学日本語科は、開講されて2年であり、未だ小規模ながら、国内唯一の、専門的かつ継続した日本語教育を行っている。国内のみならず、コーカサス地域全体の日本語教育の中心としての役割を果たせる機関として発展することが期待されている。現在、アゼルバイジャンには日本語の専門家がほとんどおらず、通訳・次世代日本語教師などの早期育成が望まれているが、同日本語科の最初の卒業生輩出までにあと2年を要する。
 専門家は、現段階の役割は、1)大学内の日本語学習環境の整備 2)現在の学習者の基礎的日本語力の向上 3)現地人日本語教師のバックアップ の3点に集約される。
ロ.派遣先機関名称 バクー国立大学
Baku State University
ハ.所在地 370145 Azerbaijan Baku Z.Khalilov St. 23
ニ.国際交流基金派遣者数 専門家:1名
ホ.日本語講座の所属学部、
  学科名称
東洋語学部 日本語学科
ヘ.日本語講座の概要
(イ)沿革
(1)講座(業務)開始年   2000年
(2)専門家・青年教師派遣開始年 2001年
(ロ)コース種別
専攻コースのみ
(ハ)現地教授スタッフ
常勤 1名(うち邦人0名)
非常勤 1名(うち邦人0名)
(ニ)学生の履修状況
(1) 履修者の内訳   13名(1年生:7名、2年生:6名)
(2) 学習の主な動機 日本企業への就職、珍しい言語への興味
(3) 卒業後の主な進路 まだ卒業生を出していない
(4) 卒業時の平均的な
日本語能力レベル
日本語能力検定1~2級と推定
(5) 日本への留学人数 ほとんどなし

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