世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) 「世界の中心」の日本語教育

モスクワ国立大学アジア・アフリカ諸国大学
平畑 奈美

 モスクワ、赤の広場に、今日も世界中から集まってくるおのぼりさんを眺め、モスクヴィッチは鷹揚につぶやく。「ようこそ世界の中心へ」
 その赤の広場にほぼ隣接するモスクワ国立大学旧館は築248年。ツルゲーネフもチェホフも学んだこの校舎に、モスクワ大学の一学部であるアジア・アフリカ諸国大学、通称ИСАА(イサ)がある。ロシア語圏で日本語教科書の代名詞であるゴロブニンテキストを執筆した、かのゴロブニン教授の遺影が掲げられる日本語講座室は、8畳ほどしかなく、書棚に並んだ本には、「大正8年」「樺太図書館」といった文字も見受けられる。きちんと閉まらない窓、足のぐらついた椅子。破竹の勢いの経済発展を遂げる街の華やかさとは縁遠い講座室には、しかし時代が変わっても変わらぬ知性と教養が匂いたっている。
 ИСАА日本語講座で最もすばらしいもの。それは教授陣である。このソビエト日本語教育学界のオリンポスの神々は、文学政治茶道から日本語の言語学的特徴についてまでの深い造詣を美しく品格ある日本語で語る。が、世界の中心の日本語教育は、世界の果ての日本の日本語教育とは若干異なる。学生たちは2年生にしてマルクス・レーニン主義に関するテキストの和露翻訳を行う。誇り高きИСААの学生たちは、日本に関する豊富な知識を持っているが、話す日本語は、なぜか堅く、そして一文が異様に長い。「それゆえ~せざるを得ない」「~にほかならない」うら若い少女達の口から転がりだす文語体に、赴任当初は呆然とした。
20名の日本語講師の中で唯一の母語話者である派遣専門家に期待される役割は、初中級学習者の音声指導および教授陣への情報提供である。CIS3カ国を回り、授業のすべてを一人で担当することも多かった筆者にとっては、拍子抜けするような環境であった。しかし、学生たちの話す長い長い政治スローガンのような日本語を聞いた時、筆者は心に誓った。この1年で、これを変えてみせると。

クラブ活動の写真
クラブ活動

 まず学生たちには自然な日本語になじむことが必要だと考えた。しかし一人の学生に接する機会は週に1回しかない。毎週作文を指示し、テーマはあえて彼らの苦手な、情緒的な内容とした。サムライの歴史についてなら、百科事典のような文章を長々と書いてくる彼らも、感情を表す語彙は極端に乏しかった。ため息の出るような作文を真っ赤に添削し、書き直させてから、それを発表させる。ロシアの愛唱歌を、日本語に翻訳させて歌わせる。教養をひけらかすのではなく、行間に心がにじむような日本語を、この学生たちの口から聞きたいと思った。
 週に2回、放課後のクラブも設定した。今モスクワで大人気の書道のほか、日本語での会話や歌を楽しむクラブである。二昔前の日本のフォークソングが特に受けた。今では、ハルキムラカミやケンザブローオーエについて薀蓄を垂れている優等生も、校庭でタバコをふかしている学生も、クラブの時間になるといそいそと教室にやってきて熱唱し、自分の思い出や宝物について、生き生きと話している。

 2003年の終わり、モスクワ弁論大会の学内代表を選ぶために、10人の学生にスピーチをさせたいと筆者が講座で言った時、「10人は多すぎます」と言われた。それまでは数名の適当な学生に作文を書かせ、代表としていたのである。しかし筆者は年明けから参加者をつのり、テーマ設定から指導した。弁論大会は日本語の試験でもなければ研究発表会でもない。美しい歌を作って美しく歌うように、日本語を使って、他の誰にも書けない文を書き、人の心を動かすために話すのだと繰り返した。放課後は雲隠れするИСААの学生たちが、遅くまで大学に残り、何回も作文を書き直し、原稿の一字一句までの発音練習に励んだ。

弁論大会全出場者の写真
弁論大会全出場者

2004年5月、ИСААではじめての日本語弁論大会を開催した。日本大使館と日系企業から審査員を招き、来場者は100名を越え、教授陣も多く出席した。休憩時には1年生が歌や笑い話を披露した。「人が人と出会うということは、砂漠の中で二粒の砂が触れ合うような奇跡です」と語った学生が優勝した。大会が終わった時、一人の先生が立って、筆者のためのスピーチをしてくださった。学生たちが集まってきて、筆者が生涯で貰ったいちばん大きい花束を贈ってくれた。
 1年でИСААを変えることができたとは思えない。ИСААの長い歴史の中で、筆者がなしえたことは、まさに小さな砂粒として、いくつかの砂粒に語りかけたようなものだった。しかしベテラン教師陣も若手教師陣も、それぞれの立場で改善への努力を怠らないИСААは自らの力によって動いていく。ИСААへの本事業の派遣は、本年度を持って終了するが、教授陣は来年度の弁論大会について考えている。ИСААの76歳の先生は語る。「自らを完璧と思う者は終わりなのだ」と。巨艦は時代の波に流されず、しかし時代と共に前進を続ける。

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
当機関は通称ИСАА(イサ)と呼ばれ、旧ソ連最高の日本語教育機関として内外にその名を知られている。文学作品の翻訳、教科書の執筆、通訳等の活動で名高い教授陣を揃え、多くの研究報告を発行し、外交官・翻訳家ならびに各分野の一線で活躍する優れた卒業生を輩出してきた。専門家は日本語の授業を担当するとともに、教授陣のコンサルテーションを行う。唯一の日本語母語話者として、初中級学習者の指導を直接担当し、音声や会話、作文指導などを中心に、コミュニカティブな日本語を身につけさせることを期待されている。さらに毎月ИСААまたは日本大使館にて、市内高等教育機関の教師を対象とした日本語教育セミナーを実施している。
ロ.派遣先機関名称 モスクワ国立大学附属アジア・アフリカ諸国大学
Institute of Asian and African Countries, Moscow State University
ハ.所在地 Mohovaya st. 11, Moscow, 103009, Russia
ニ.国際交流基金派遣者数 NIS専門家:1名
ホ.日本語講座の所属学部、
  学科名称
アジア・アフリカ諸国大学(モスクワ国立大学の一学部)、所属学科はなく、学習者は経済専攻、文学専攻、歴史専攻に分かれている
ヘ.日本語講座の概要
(イ)沿革
(1)講座(業務)開始年   1956年
(2)専門家・青年教師派遣開始年 1993年(98年)
(ロ)コース種別
専攻
(ハ)現地教授スタッフ
常勤19名(うち邦人1名(派遣専門家))、非常勤1名
(ニ)学生の履修状況
(1) 履修者の内訳   1年45名、2年32名、3年16名、4年14名、5年24名
(2) 学習の主な動機 日本の伝統文化・現代文化への関心、留学、日本での就職希望
(3) 卒業後の主な進路 一般企業・日系企業就職、進学、日本滞在
(4) 卒業時の平均的な
日本語能力レベル
日本語能力検定1~2級
(5) 日本への留学人数 毎年20~30名

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