世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート) シベリアの『駆け込み寺』を目指して

ノボシビルスク国立大学
猪狩英美

 シベリア最大の都市、ノボシビルスク郊外に位置する学術研究地区、アカデムガラドク。その閑静な林の中にノボシビルスク国立大学(以下、NGU)がある。日本語教育専門家(以下、専門家)はNGUの人文学部東洋学学科日本語講座において、主として1~5年生までの会話授業を担当する。以下では、まず派遣先機関における日本語教育について紹介し、次にその他の業務と派遣先地域における役割について説明する。

日本研究のための日本語

東洋学学科の教室で(NGUの2年生)の写真
東洋学学科の教室で(NGUの2年生)

 「日本の伝統的な遊びの特徴と歴史」「皇室神道における呪術的要素」「日本のマネジメントシステム」「ゴーゴリの思想が芥川龍之介の創作に与えた影響」「国連改革と日本」等々。これらは今年度の4年生が取り組んでいる卒業論文のテーマである。
  NGUの東洋学学科は東洋学の研究者養成を目的に創立された。したがって、日本語教育も日本語文献を読み解く力を育成することに主眼が置かれている。学生は毎年研究レポートを提出することが必須課題であり、日本や日本語に関係のあるテーマを選ぶ。4年生位までにテーマを具体的に絞り、5年生から卒業論文に取り掛かる。そして4年生の年度末に卒業に必要な国家試験が行われる。そこでは、それまでの研究の概要と今後の研究計画について日本語で10分程度発表し、質疑応答をする。
  まだロシア語でも研究論文を書いたことがない学生に、日本語による論文の書き方を指導することは非常に困難である。昨年度の経験を踏まえ、今年度の国家試験の前には論文指導に多くの時間を割いた。前述の通り、研究テーマは多岐に渡るため、専門家にとっても未知の分野、理解できない専門用語が多い。どこまで指導すべきか、何を訂正するべきか、悩みは尽きない。しかし、度重なる書き直し、教師からの厳しいコメントにもめげず論文を完成させ、皆素晴らしい発表であった。学生の熱心さには頭が下がる思いである。
  論文執筆の問題点として、学生の多くが必要な文献を十分に手に入れられないことが挙げられる。日本語の学術論文を読んだことがないために、研究分野に適した構成や専門用語などを正確に理解できない。本講座の目的に合った論文指導カリキュラム及び教材作成と、文献収集のためのサポートが今後の課題である。
  他にも日本映画講座、日本語能力試験対策講座などを担当し、スピーチコンテストが近くなると連日何時間も個人指導することもある。けれども、発表を終えた時の満足気な学生の表情と「ありがとうございました」の一言で、それまでの疲れは吹き飛んでしまうのである。

地域の“よろず”アドバイザーとして

「日本のアニメをモチーフにした寸劇」(毎年行われるNGU日本文化祭の出し物)の写真
「日本のアニメをモチーフにした寸劇」
(毎年行われるNGU日本文化祭の出し物)

 NGUの授業以外には主に次のような業務がある。
  一つはスピーチコンテストの審査員。大抵、審査員長を仰せつかることになる。西シベリア地域では例年3つのスピーチコンテストが3~5月にかけて行われるが、コンテストによって審査基準、方法、趣旨に違いがあるため、現地教師との十分な打合せと臨機応変な対応が必要である。専門家としてより公平な審査システムの提案も求められる。事前によく協議をし、教師会で皆の了承を得た上で実施しているが、それでも、審査結果への不満や意見の対立などがしばしば生じる。そのような時には各々の声にじっくり耳を傾け、調整を図ることも大切な役割である。

 二つ目は教師勉強会の主催である。現在、NGUで週に1度、西シベリア日本語教育協会(以下、協会)で2ヶ月に1回程度の勉強会を開催している。特に、今年度は派遣先機関における勉強会を実現することができたのは喜ばしいことであった。ロシアの大学には講師室というものがなく、教師は担当の授業が終わるとすぐに帰宅してしまう。そのため、1ヶ月間会えない先生もいたりする。定期的に顔を合わせる機会ができたことで、授業の引継ぎや学生についての所見の他、様々な情報を共有・交換できるようになった。現地教師との連携を強めていく過程において重要な一歩であったといえる。
  協会の勉強会では、ビデオを用いた会話授業案や、発音指導のポイント、効果的な教材の紹介などを行った。和やかな雰囲気の中で議論も活発に行われ、有益かつ楽しい会であると思うが、ほとんどの教師が女性で家庭を持ち、複数の職場を掛け持ちしているためか、参加者が少ないのが残念である。

 そしてもう一つ、日本や日本語に関するよろず相談員としての役割がある。ノボシビルスクの在住邦人は両手で足りる程度である。日本人教師は3人しかいない。そのため、派遣先以外の教育機関や個人からも指導を頼まれることが少なくない。これから日本へ行くという学生からアドバイスを求められ、渡航経路や観光案内に至るまであらゆる質問がやってくる。出入りの激しい日本人の動向を把握している者として、日本人から「○○○ができる人を知らない?」という相談を受けたりもする。他の在住邦人との交流は、楽しい海外生活のためにも大事だが、専門家としての業務においても思わぬときに役に立つ。

 シベリアにおける数少ない日本人として、できるだけ多くの要望と期待に応えたいが、そのためには幅広い分野における知識と豊かな人生経験が必要である。日本に興味を持つシベリアっ子の頼もしい「駆け込み寺」となるべく、今後も精進したい。

派遣先機関の情報
イ.派遣先機関の位置付け
  及び業務内容
当機関の日本語科は、西シベリア地域の日本文化研究・日本語教育において中心的役割を果たしている。シベリア各地の他、モスクワ方面からの入学者もおり、多くの卒業生が東洋学研究者、日本語教師、翻訳・通訳者として活躍している。ジュニア専門家は東洋学学科における日本語会話授業の他、学生の興味・関心に応じた特別講義、日本語能力試験対策、スピーチ指導等を担当する。また、現地教師への教材や授業についてのコンサルティング、当地における各種日本語教育関連行事への支援を行う。
ロ.派遣先機関名称 ノボシビルスク国立大学
Novosibirsk State University
ハ.所在地 Pirogova str.2, Novosibirsk, 630090, Russia
ニ.国際交流基金派遣者数 ジュニア専門家:1名
ホ.日本語講座の所属学部、
  学科名称
人文学部東洋学学科(歴史学専攻・言語学専攻)、オリエントセンターおよび外国語学部
ヘ.日本語講座の概要
(イ)沿革
(1)講座(業務)開始年   1970年
(2)専門家・ジュニア専門家派遣開始年 2000年
(ロ)コース種別
東洋学学科:専攻、外国語学部:副専攻、課外活動
(ハ)現地教授スタッフ
常勤8名(うち邦人2名)、非常勤1名
(ニ)学生の履修状況
(1) 履修者の内訳   主専攻で各学年10名・計50名、副専攻で50名、課外で20名
(2) 学習の主な動機 「日本語・日本文化への関心」「日本語文献講読」
(3) 卒業後の主な進路 「大学院進学」「日本語教育機関に就職」「一般企業に就職」
(4) 卒業時の平均的な
日本語能力レベル
主専攻で日本語能力試験1~2級程度
(5) 日本への留学人数 年間2~4名程度

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