日本語教育通信 文法を楽しく 「もの」(1)

文法を楽しく
このコーナーでは、学習上の問題となりやすい文法項目を取り上げ、日本語を母語としない人の視点に立って、実際の使い方をわかりやすく解説します。

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「もの」(1)

  今回は形式名詞の「もの」を取り上げます。「もの」は人の場合は「者」、ものの場合は「物」ですが、形式名詞の場合はひらがなで書きます。
  「もの」は、「人の性格はなかなか変わらないものだ。」「負けるものか。」「こんな時に笑うものではない。」などのように文末表現として用いられる場合と、「バスが遅れたものだから、遅刻してしまった。」「生まれ変われるものなら、生まれ変わりたい。」「今日中にやれると言ったものの、やれそうにない。」のように、文中で、従属節として用いられる場合があります。
  今回は、文末表現としての「もの」を中心に考えます。

1.文末表現として用いられる場合

1)~ものだ

  日本語テキストや文法説明には「ものだ」の用法として、次のような例が挙げられていることが多いです。

(1)人の性格はなかなか変わらないものだ。(本性・あるべき姿)
(2)学生はもっと勉強するものだ。(訓戒・忠告)
(3)人生はすばらしいものだ。(感心・感慨の気持ち)
(4)あのころは、どこの家でも酒を作っていたものだ。(回顧・懐かしさ)

  一方、『日本語誤用辞典』*1には、学習者の「ものだ」の誤り14例が挙げられていますが、14例のうち11例が、「ものだ」を付けなくていいところに「ものだ」を使ってしまう誤りになっています。いくつか例を挙げます。

?(5)彼はくいしん坊で何でも食べるものだ。
?(6)このたぐいの話はよく聞くものだ。
?(7)おじがやさしくしてくれたことを、いつも思い出すものです。

  (5)は「本性・あるべき姿」または「感心・感慨の気持ち」、(6)は「本性・あるべき姿」、 (7)は「回顧・懐かしさ」を表そうとして、「ものだ」を使ったと考えられますが、どこか不自然に感じられます。(5)~(7)は「ものだ」がないほうが文として自然になります。

(5)’彼はくいしん坊で何でも食べる。
(6)’このたぐいの話はよく聞く。
(7)’おじがやさしくしてくれたことを、いつも思い出す。

  (5)~(7)を作った学習者は一生懸命考えて、「ものだ」を使ったのでしょうが、これらの例は、「ものだ」は使い方が難しいということ、いつ、どのように使えばよいのか、きちんと考えなければいけないことを示しています。

  「ものだ」を使うか否かのキーポイントの一つは、直接的な気持ちか、間接的な気持ちかということです。次の絵は火消し(昔の消防士)の「はしご乗り」を示したものですが、これを見た時の発話として、皆さんは次のabのどちらを選びますか。

火消し(昔の消防士)の「はしご乗り」の図

  bを選んだ人もいるかもしれませんが、普通は、「はしご乗り」を直接に見て発することばはaが多いでしょう。まずは「わー、すごい。」と言って、次にb「わー、すごいものだ。」、そして次に、(9)のa’a”のような発話が来るでしょう。

  「ものだ」が付くことによって、発話の内容がやや間接的に、言い換えれば、客観的になります。

(女性は「ものだ」の代わりに次のように「ものね」「ものですね」「ものよね」などを使います。)

  「火消し」の例は、「ものだ」の「感心・感慨の気持ち」を表す例ですが、他の用法「訓戒・忠告」についても考えてみましょう。

  ここは大学の教室です。授業中全然勉強しない学生Aがいたとします。そのとき、先生はAに向かって何と言うでしょう。

  この場合も、bを使っても間違いではありません。しかし、学生に直接注意するには、やはりaを用いるのが一般的でしょう。直接「勉強しなさい。」「勉強しろ。」と言っておいて、そのあとで、客観的に「学生はもっと勉強するものだよ。」と諭すのが普通です。

  「こと」と「もの」を比べた時、「こと」は抽象的で、話し手個人の「事実・事件・経験・習慣・考え・判断」*2などを表すことが多いです。一方、「もの」は客観的で、人間が感覚によってとらえることができる一般的、普遍的な「真理・現象・規則・習慣・思想・基準」*2などを表すことが多いです。これは「もの」が「者」や「物」で表されるように、触ることのできる具体的なものであるということに起因していると考えられます。

次の(11)(12)で、皆さんは「a.こと」を選びますか、「b.もの」を選びますか。

  (11)の答えは「a.もの」、(12)は「b.こと」になります。(11)では「宗教」というやや具体的な言葉を使っているので「もの」で受け、 (12)のように、同じ意味でも抽象的表現の「神や仏を信じる」に対しては、「もの」ではなく「こと」としてとらえるのが適切になります。)

  では、元に戻って、「ものだ」は誰が、誰に向かって、いつ、どのような表現意図で用いられるかをまとめてみましょう。

誰が:やや人生経験を積んだ人(物事を客観的にながめて、集約して、発話できる人)
誰に:やや人生経験の浅い若者(話し手が独り言のように自分自身に向かって言うこともある。)
いつ:そのものや事象を見て、直接に/直感的にではなく、やや/一瞬、時間を置いて。
表現意図:直感的でなく客観的に述べて、「それが道理だ、規則だ、倫理だ、普遍的なものだ」というニュアンスを付けたい。

  以上のような表現意図から、「ものだ」を付けることによって、やや説教がましく聞こえることが多い、ということが言えます。

  では、「もの」(1)の最後に、「~ものだ」以外の、「もの」を用いた文末表現に簡単に触れておきます。

2)~もの/もん

  文末に付けて理由を表したり、自分を正当化するときに使います。若い女性や子供が使うことが多いです。「~もん」は「~もの」より砕けた言い方になります。

3)~ものか

  文末に付けて、強い否定を表します。したがって、(14)は意味的には「本当じゃない」と主張していることになります。

4)~ないものだろうか

  ある出来事の実現を望む話し手の気持ちを表します。(15)は「仕事の時間をもう少し減らしてもらえないだろうか」と同じ意味ですが、「もの」を付けることで、客観的、一般的な問題としてとらえています。

5)~ものではない

  人の行為を表す動詞に付き、「~すべきではない」という意味を表します。忠告などに用いられます。

参考文献

  1. *1:『日本語誤用辞典』市川保子他 (2010) スリーエーネットワーク
  2. *2:『日本語類義表現使い分け辞典』泉原省二 (2007) 研究社

(市川保子/日本語国際センター客員講師)

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