日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第30回

日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。

野田 春美氏の写真 神戸学院大学人文学部教授
野田 春美

日本語の終助詞について考えるために大切なこと

1.はじめに

 日本語の終助詞については、とくに1990年代以降、談話における「ね」「よ」の機能に関する研究が進んできました。また、コミュニケーションを目的とした日本語教育、および、そのための研究が盛んになるにしたがって、談話における自然な使い方に注目した研究が多くなっており、今後もそういった研究がさらに進められていくでしょう。

 終助詞について考えるときに大切なことは、オプショナルではない場合があるということです。つまり、終助詞を使わなければ日本語として不自然な場合があります。一方、終助詞を使うと不自然になってしまう場合もあります。

2.「ね」を使わないと不自然な場合・使うと不自然な場合

 「ね」は、日本語の終助詞の中でも重要であり、使わなければ不自然な場合があることが知られています。たとえば、「暑いですね」のように同意を求める文では「ね」が使われますが、答えるほうも、「そうですね」と「ね」を使うのが自然です。話し手が考えていることと相手が考えていることが同じであることが表されます。

 一方、相手のほうがよく知っていることを確認する文でも「ね」が使われますが、答えるほうは「ね」を使わないことが知られています。たとえば、「学生さんですね」のような文には、「はい、そうです」というように、「ね」を使わずに答えるのが自然です。

 もっと難しいのは、「ね」を使うべきかどうかが、状況や相手との関係によって異なる場合です。日本語母語話者は、相手が知らないことを示す文にも「ね」を使うことがあります。「すみませんが、ちょっと、わかりませんね」のように考えた結果を確認しながら述べる場合、「先に行きますね」のように行動を宣言する場合などです。

 しかし、日本語学習者は、「ね」がいつでも使えるような印象をもってしまう可能性があります。「×これ、僕が作りましたね」のように相手が知らない事実を述べるときに「ね」を使ってしまう誤用を防ぐためには、母語話者の「ね」の使用、とくに相手が知らないことを示すときの「ね」の使用条件について、詳しく調べる必要があります。

3.「よ」を使わないと不自然な場合・使うと不自然な場合

 「よ」は、「ね」に比べて、使わないと不自然になる場合が少ないこと、目上の人に使うと失礼になりやすいことから、あまり積極的に教えられず、習得も遅いようです。

  たしかに、「よ」を使うと、文の内容を相手が認識すべきこととして示すことになるので、「はい、わかりましたよ」「私がやりますよ」のような文は、不満を述べているように受けとられやすいという危険があります。

 しかし、「よ」を使ったほうが自然な場合もあります。たとえば、「これ、どうぞ。おいしいですよ」のように、明らかに相手は知らず話し手はよく知っていることであり、それを教えることが相手の利益になる場合には、「よ」が自然に使われます。また、「もう、帰っていいですよ」のように許可を与える場合にも、「よ」がないと、相手の意志を配慮しない一方的な言い方になってしまいます。「よ」を使ったほうが自然なのはどういう場合かを明確にし、教育に生かす必要があります。

4.スタイルによる違い

 日本語教育において終助詞があまり重視されてこなかった理由の一つは、教科書の会話例のほとんどが丁寧体だということでしょう。普通体の会話のほうが、終助詞は多く使用されます。

  たとえば、「さあ、始めますよ」と「さあ、始めます」では、「よ」の有無による違いはあまり大きくはありません。しかし、「さあ、始めるよ」が自然であるのに対し、「さあ、始める」という「よ」を使わない文はかなり不自然です。

  また、「仕事、終わった?」という質問に対して、答える人が下の立場ならば、「はい、終わりました」と「よ」を使わずに答えるのが自然ですが、対等の立場ならば、「うん、終わったよ」と「よ」を使った文が自然に感じられます。

  このように、スタイルや、相手との関係は、終助詞の使用に深く関係しています。

5.イントネーションによる違い

 終助詞は、イントネーションによって意味が大きく異なることがあります。たとえば、「そうですね↑」という上昇イントネーションなら賛成を表し、「そうですねえ→」とゆっくり言うと、ためらいを表します。「がんばれよ↑」という上昇イントネーションなら明るい励ましですが、「がんばれよ↓」という下降イントネーションだと責めるような文になります。こういったイントネーションと終助詞の関係も、さらに研究が進められていくべき分野です。

6.「のだ」に終助詞がつく場合

 日本語の文末においては、終助詞も大切ですが、「のだ」(「んです」「の」など)も大切です。相手の知らないことを提示してわからせようとする機能をもつ「のだ」に、「ね」や「よ」が付加して使われることもあります。

 「ね」は、「んですね」や「のね」の形で、「それで、私、びっくりして聞いたんですね。そしたら、係の人もわからないって言うんですね。……」というように使われることがあります。話し手が、相手にわからせながら、相手を共感させながらストーリーを進めていこうとするときです。「のだ」を使わずに、「私、びっくりして聞きましたね。そしたら、係の人もわからないって言いましたね。……」とすると、かなり不自然になってしまいます。

 また、「んですよ」は、「すごいことがあったんですよ」というように、とくに相手に知らせたいことを示すときに使えば自然ですが、「……んですよ。…… んですよ。」と連続して使うとくどい印象を与えがちです。「使いすぎていて不自然」と感じられる場合については、ほんとうに頻度だけの問題なのか、どういった内容に接続している場合に「使いすぎ」と感じるのかなどを、詳しく分析する必要があります。

7.おわりに

 このほか、終助詞に関しては、「よね」「な」「ぞ」などの機能や性質も問題となります。いずれの問題にも、文の性質、スタイル、場面、イントネーション、何に接続しているのかなど、複数の要因が関係します。母語話者による使用例についても学習者による使用例についても、それらの要因に配慮し、きめ細かく分析していくことが大切です。

終助詞について考えるための参考文献

  • 終助詞に関する文献について知りたいときに
    冨樫純一(2004)「現代日本語終助詞研究文献目録」『筑波日本語研究』9、筑波大学人文社会科学研究科
    html版[http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/jtogashi/jfp/bibliography_on_jfp.html]には新しい情報も追加されている)
  • 終助詞の意味・用法を確認したいときに
    日本語記述文法研究会(2003)『現代日本語文法4 第8部 モダリティ』くろしお出版
    宮崎和人・安達太郎・野田春美・高梨信乃(2002)『モダリティ』(新日本語文法選書4)くろしお出版
  • 終助詞とイントネーションの関係について知りたいときに
    音声文法研究会(編)(1997、1999、2001、2004)『文法と音声』(I、II、III、IV )くろしお出版

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