日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第34回

日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。

山本 忠行氏の写真 創価大学別科日本語研修課程教授
山本忠行

日本語教育と言語政策

1.はじめに

 「日本語教育と言語政策」というと、戦前の日本語教育を思い浮かべる方が多いかもしれません。たしかに、戦前の日本語教育には軍国主義、植民地主義と一体となって、台湾や朝鮮半島などで展開されたという、苦い過去の歴史があります。日本文学研究者として有名なドナルド・キーンやサイデンステッカーなどが日本語を学んだのも、皮肉なことに第二次世界大戦中にアメリカで行われた軍事戦略としての日本語教育でした。

 現在の日本語教育も国の政策と無縁ではありません。日本語教育拡大のきっかけとなったのは1983年に中曽根康弘元首相が示した、いわゆる「留学生10 万人受け入れ構想」です。当時はわずか1万人ほどしか留学生はおらず、日本語教育を学ぶことができる機関もごく一部に限られていました。海外で行われる日本語教育は、国内以上にその国の政策に大きく左右されます。国によっては日本語教育が戦後一時期禁止されていたところもあります。文化侵略として批判を受けたこともあります。

 いわば国際関係の最前線にある日本語教師には、日本語教育のあり方を常に多元的な視点から見る「批判的思考(critical thinking)」が求められますが、言語政策を学ぶことで何らかの示唆が得られるはずです。

2.言語政策とは

 「言語政策(Language Policy)」とともに「言語計画(Language Planning)」という用語があります。基本方針を決定するのが政策で、それを具体的に実行するためのものが計画だとも言えますが、厳密な区別なしに使われることも多いようです。

 言語政策には大きく次の3つの分野があります。

1)地位計画(Status Planning):席次計画とも呼ばれます。どの言語を公用語・国語とするか、司法、行政はどの言語で行うか、教育用言語をどうするか、新聞やテレビではどの言語を用いるか(用いないか)などを決めることです。

2)本体計画(Corpus Planning):コーパス計画、実体計画と呼ばれることもあります。標準語や正書法を定めたり、使用語彙を選定することです。明治初期の日本では地域や社会階層で異なっていた話し言葉を統一し、それに基づく書き言葉を確立するという大きな課題がありました。現在も、ラ抜き言葉が話題になったり、漢字の数や書体、外来語の言い換えなどが問題になったりします。

3)普及計画(Acquisition Planning):習得計画ともいいます。言語をどのように習得させ、普及させていくかを決定することです。かつて標準語の普及を図る一方で、方言をなくそうという運動が行われたこともありました。小学校での英語必修化も普及計画と言えます。

これらは国の政治の問題に限りません。各種団体や企業がどのようにその言語を評価し、扱うかも、大きな意味での言語政策の一部と言えます。さらに重要なのは国民の意識です。最近の世界の言語政策の動向は言語の使用や教育を人権ととらえる意識の高まりと切り離して考えることはできません。

3.多言語化する日本社会

 言語政策に対する関心の高まりの背景にグローバル化があることは明白です。英語第2公用語化論や小学校英語教育も、近隣諸国の英語教育政策やTOEFL の成績などをもとに、日本はこのままでは取り残される、何とか英語が使える日本人を増やさないと、日本の経済活動に支障が出る、国際的地位が低下するといった危機感の表れと言えます。3か月以上海外に滞在する日本人の数は2006年末現在で106万人を超え、年に5%ほど増加しています。国内では外国人登録者数が208万人に達し、人口の1.63%を占めるまでになりました。本格的な少子高齢化社会を迎え、社会の活力、生産力を維持するためには外国人との共生は避けて通れない状況にあります。国際結婚をする人も年々増加傾向にあり、6%近くに上ります。地域によっては住民の15%以上を外国人が占める、いわゆる集住地域も形成され始めています。当然のことながら子どもの教育をはじめ、言語をめぐるさまざまな問題が生じています。阪神淡路大震災の際には、日本語が分からない人にどのように情報を伝えるかが課題となりました。

 各自治体は「言語サービス」と呼ばれる各種の施策に取り組みはじめています。多言語標示もよく見かけます。以前は役所が作成するパンフレットは英語版しかありませんでしたが、英語が理解できない外国人住民が多数を占めることがわかってきて、中国語版やポルトガル語版を用意する自治体もでてきました。さらに振り仮名付きのわかりやすい日本語による情報伝達の有効性に気づき、外国人用の日本語文書を作るためのマニュアルを作るところも出てきました。

 多言語社会への対応は企業にとっても重要課題になりつつあり、日本経済団体連合会も2004年に「外国人受け入れ問題に対する提言」で日本語教育を含む数々の提案を行いました。こうした財界からの要望が今後の政策に与える影響は注目されます。

4.海外の動向

 海外の政策で日本語教育に最も大きな影響を与えるのは、教育政策です。中等教育で選択科目や必修科目で教えられるようになれば、学習者が増えるのは当然ですし、教師や教材への需要も出てきます。大学入試科目になったり、学科ができれば、学ぶ側も教える側も力が入ります。特に中国や韓国の政策からは目が離せません。間接的な影響としては、その国がどこの国との交流に力を入れるかです。かつてマレーシアではマハティール元首相が掲げたルック・イースト政策の一環としてマラヤ大学に日本留学のための特別コースが設置されるなど、日本留学が奨励されたことが、日本語教育にとって追い風となりました。しかし、そのマレーシアも若者の英語力低下を心配し、理数科目を英語で教えるという方針を打ち出しました。経済発展のためには英語が不可欠だとする考え方は、これまで英語があまり使われていなかった国でも見られ、フランスの大学にも英語で教えるコースができたといいます。英語の影響力が強まる一方で、中国の存在感も強まり、アジア各地で中国語学習者が大幅に増えています。2006年初頭にはアメリカのブッシュ大統領が中国語やアラビア語などの教育に力を入れると述べました。中国政府は世界各地の大学に孔子学院を作るなどして、学習者を1億人にすることを目指しています。こうした状況は日本語教育に逆風になるおそれがあります。

 日本語教育を考える上で参考になるものとして、欧州評議会でまとめられた「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠」(CEFR)があります。従来国別で行われていた外国語教育を、共通の参照枠に基づいて行おうとしています。CEFRの基準で日本語をあるレベルまで学んだから、次の段階から教えてほしいという要望が学習者から出てくることは容易に予想されます。この共通参照枠には能力的側面と同時に、価値観も含まれており、その理念である Plurilingualism(複言語主義)は、単に学校教育で複数の言語運用力を育てるというのではなく、言語的に寛容な社会を築くとともに、生涯にわたって個々人の言語レパートリーを発展させていこうというものです。多様な言語能力を認め、異言語・異文化間のコミュニケーションを促進することを通じて、共生社会の実現を目指しています。このEUの先駆的な試みは、今後の日本社会のあり方を考える上で参考となるものです。

5.今後の課題

 世界的に見れば、日本のような単一言語国は珍しく、大半の国は多言語国家です。そこでどのような政策が施行され、いかなる成果や問題点があったのかを知ることは、多言語社会を迎えつつある日本のあり方を考える場合に重要です。

 フランスをはじめ、自国語の海外普及に熱心に取り組んでいる国には、自国の文化や言語を知ってもらうことが、戦争の抑止、平和共存につながるという考え方があります。

 日本では外国語教育というと、英語にばかり目が向けられますが、世界は中等教育段階で2言語、3言語を学ぶのが当たり前になりつつあります。多くの言語を学ぶ中で、相互理解を深め、心豊かで、平和な世界を築いていくことに貢献する日本語教育でありたいと願っています。

言語政策に関する基本的な参考文献

  • 河原俊昭・山本忠行編著(2004)『多言語社会がやってきた』くろしお出版
  • 河原俊昭・野山広編著(2007)『外国人住民への言語サービス』明石書店
  • 河原俊昭編著(2002)『世界の言語政策』くろしお出版
  • 山本忠行・河原俊昭編著(2007)『世界の言語政策第2集』くろしお出版
  • 吉島茂・大橋理枝他訳・編(2004)『外国語教育Ⅱ—外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠』朝日出版社
  • CEFR全文(英語) http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/Source/Framework_EN.pdf【PDF:外部サイト】
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