2015年度上半期 研究プロジェクト報告書 多国籍短期研修文法授業(上級クラス)用教材の開発

計画者 生田 守
プロジェクト参加者 代表者のみ
外部協力者 なし

日程・スケジュール

開始 2015年 4月 ~ 終了 2016年 3月

4月~6月
全体の執筆方針策定、各項への追加事項検討、残りの項目を順次作成
7月~8月
夏短期研修において試行、フィードバック作業
9月~12月
項目ごとに順次作成
1月~2月
冬短期研修において試行、フィードバック作業
3月
素材集とマニュアルの作成、調査研究部会での発表準備
4月
調査研究部会での発表

プロジェクト報告

プロジェクトの目的と背景

当センターの海外日本語教師短期研修における、最上位クラスの文法授業において使用できる教材を開発する目的で本研究プロジェクトを実施した。
本研究プロジェクトの背景には、日本語教師にとって文法とはどういう意味を持っているのか、という問題意識がある。

プロジェクトの概要

本教材のターゲットとして想定するのは、言語学を学んだ経験はあるが満足な理解に至らず、教科書レベルの文法説明にも飽き足らない、主に高等教育機関に所属し、日本語文法の基本的な知識は既に持っている研修参加者である。
開発方針としては、授業で使用することを目的とするので、インタラクティブに展開できるように適宜問いかけも挿入し、説明的な部分も付加し、読み物にもなるようにした。

成果と課題

[成果]
今年度は全体の50%程度、すなわち、「日本語の特徴」「格」「態」(前半)の章について作業を行った。
本研究のゴールとして設定した、参加者にとってより理解しやすく、終了後も振り返りが可能になる教材が、夏・冬の短期研修における試行を通じ、作成された。以下に作成教材の概略を報告する。

1.教材の構成

0.文法- Grammarって何だ?

「文」とは何でしょう?

1.日本語の特徴「日本語って、こんなヤツだったんだァ…」

  1. 1.1.「日本語は述部中心」という特徴
  2. 1.2.「日本語は名詞の前にやたらと長い説明がつく」という特徴
  3. 1.3.「日本語は文字の種類が多い」という特徴
  4. 1.4.「日本語は感覚的?」-オノマトペの多用-という特徴
  5. 1.5.「日本語は発音が同じことばが多い」
  6. 1.6.「日本語はバリエーションが多い」
  7. 1.7.「日本語はあいまい(!?)」(文化的特徴と言語的特徴)
  8. 1.8.「日本語はユニーク(!?)」

2.格

  1. 2.1. 意味用法が似ている格助詞
  2. 2.2. 格とは
  3. 2.3.「ガ」格をめぐって
  4. 2.4.「は」と「が」
  5. 2.5.「は」をめぐって

3.態(voice)

  1. 3.1. 自動詞と他動詞
2.各章のねらい
① 導論「文法とは何か」
「文法」について、その定義や問題意識をまず想起させ、文法のルールが帰納的に作られたものであることから、(ルールの学習ではなく)「ルールを考える」文法、すなわち「考える文法」を目指すことを示す。
② 第1章「日本語の特徴」
日本語だけの特徴などというものはないが、日本語に特徴的な要素をトピカルに取り上げることにより、世界の中での日本語の姿を知り、また母語と比較する視点も涵養することを目指している。
③ 第2章「格」
格助詞の基本的な用法をクイズにより導入し、教室で起こるような例を取り上げ、学習者のレディネスを高める。そのあと、格とは何かという問題に踏み込み、与格主語文を取り上げ、主語や目的語について考察を進める。「は」と「が」についても取り上げ、名詞句階層性や題目文との対照を通じ、類型論的な視点から考察を深める。
④ 第3章「態」(前半)
(この章では、自他動詞、使役、受身をカバーするが、今回は自他動詞のみ)
自他動詞を中心とした態の問題を、受身・使役との関連で概観し、他動性の考えを導入し、他言語との比較によって、自動詞・他動詞の関係について、理解を深める。
3.教材の特徴

教材中には、以下のようなコーナーが設けられている。

3.1. Open questions

内省を促すための、個人あるいはペアによる活動として、教材中の随所にオープンクエスチョンを設けた。

[事例1]
「文法」って何でしょうか。自分のことばで答えてみてください。

 

[事例2]

  1. ① 友だち会います。
  2. ② 友だち会います。

①と②はどちらも文法的に正しい文で、意味もほぼ同じです。
もしあなたが教えている学生が、「①と②はどう違いますか」と質問してきたら、どのように答えますか。

 

3.2. [考えてみよう]の挿入

教材中に、応用的な練習問題として配置した。

[事例1]
[考えてみよう]
「私が昨日食べたラーメンはおいしかった。」を訳してみてください。

  1. ① 名詞と節の順番はどうですか?
  2. ② 名詞と節の間に何か語が必要ですか?

[事例2]
[考えてみよう]
スポーツ放送のテロップでウサイン・ボルト選手のせりふはいつも「オレ」、一方、 マイケル・フェルペス選手は「僕」と翻訳されます。なぜでしょう?
また、イシンバエワ選手のせりふは「記録を出す秘訣なんてない。」のように訳されますが、イシンバエワ選手はどんなキャラクタととらえられているのでしょうか。

3.3. 発展学習

対照言語学的な考察を促すコーナー(主題と題目の対比、他動性等)

3.4. Pre-test

第2章に格助詞の基本的用法をめぐるクイズを50問設置した。
今後、各章に設ける予定。

4.内容紹介

類型論・対照言語学を念頭に置いた説明とインタラクティブな記述を特徴とする。


[事例1]
2.2. 格とは

  • 名詞(項)と動詞/述部の関係、あるいは動詞/述部が名詞(項)を支配するパターンと定義することができます。
  • 格標示:格の表し方は言語により違い、語順で示す言語、名詞が変化する曲用(declension)で表す言語、前・後置詞を名詞に接続してあらわす言語、これら三種類を組み合わせて表す言語があります。
    下の(1)-(3)を観察してください。格標示の仕方はどのように違いますか。
  1. (1) The girl hit the boy.
    The boy hit the girl.
  2. (2) ii neanis ekolafisen ton neanian.
    the girl(nom.) hit(aor.3 sg.)the boy(acc.)
    o neanias ekolafisen tiin neanida.
    the boy(nom.) hit          the girl(acc.)
  3. (3) 少女が少年を なぐった
    少年が少女をなぐった

みなさんの母語はどのタイプですか。

  • 語順が変わると意味が変わりますか。
  • 名詞の形が変化しますか。
  • 名詞に接続する語がありますか。

2.3. 「ガ」格をめぐって
まず、文法書によく見られる用語を整理してみましょう

  1. ① 主語(subject)、目的語(object)、補語・・・
      [文法役割] 文の成分せいぶん
  2. ② 動作主(agent)、被動作主(patient)、感情主(sentient)・・・
      [意味役割] 主語・目的語の性質、種類
  3. ③ 主格(nominative)、対格(accusative)、与格(dative)・・・
      [形態格] 名詞の変化形、形の上からの分類

上の(1)の最初の文ではThe girlが主語(動作主)で、the boyが目的語(被動作主)で すが、名詞の形は変わりません。
また、(2) の最初の文では、ii neanisが主語(動作主)で、形は主格;ton neanianが目的語(被動作主)で、形は対格です。
(3) の最初の文では、後ろに接続している「が」や「を」によって、「少女が」が主語(動作主)で、「少年を」が目的語(被動作主)であることがわかります。「名詞+ガ」を主格、「名詞+ヲ」を対格と呼ぶことがありますが、格の名前と名詞の形は、本来1対1対応です。しかし、日本語の場合、格助詞が主格、与格などと必ずしも1対1で対応していません。だから、厳密に言えば、ガ格、ヲ格、ニ格…と格助詞ごとに呼ぶのがふさわしいのでしょう。
少し格助詞クイズをやってみましょう。

[問題]

① 日本語(  )勉強する。
 
② 問題(  )解く。
⇒日本語では、目的語はふつう「を」であらわします。
(3)のタイプの言語では対格になりますね。
③ 音楽(  )感動する。
 
④ 夜の闇(  )おびえる。
⇒ところが、日本語では「に」で目的語をあらわすこともあります。
(3)のタイプの言語では与格が使われますね。
⑤ 富士山(  )見えます。
⇒「富士山」は主語?目的語?
ほかにも、
⑥妙なる調べ(  )聞こえる。
 
⑦ わたしは数学(  )わかる。
⇒意味上は「目的語」だけれども、形は「主語」?
人は主語になりやすいから、ちょっとおかしく感じられるのでしょう。
では、この知覚の主体である人は、どんな格なのでしょう?
「は」は格を表しません(「は」の裏には格助詞が隠れています)から、⑦の文の「わたし」の格はこのままではわかりません。
そこで、これを否定文にしてみましょう。
⑧ わたし(  )は見えない/聞こえない/わからない
⇒「に」が入りますね。(3)の言語では与格という形になります。日本語のニ格もふつうは 間接目的語(相手、受益者)などを表しますね。
「わたし」は意味上の主語(知覚主・感情主)ですが、ニ格(与格)をとるのです。
この文型は存在や所有を表す文にも見られます。
⑨ わたし(  )は子どもが3人ある/いる。
文型(知覚・感情・所有構文)
 [感情主]ニ [知覚対象]ガ [動詞]。
 [所有主]ニ [所有対象]ガ [いる/ある]。
・好悪の表現
日本語には「好む」という動詞もありますが、ふつうは「好きだ」という形容詞を使います(「好む」習慣的な嗜好を意味します)。 みなさんの言語では、「好き」は、動詞を使いますか、それとも形容詞を使いますか。
たとえば、日本語では
⑩ わたしは温泉(  )好きだ。
といいますが、
[好悪の対象(温泉)]ガ [好き/嫌い]。
という構文になっています。
スペイン語では「好き」は動詞ですが、意味的には目的語である「ビール」は主語の形 である主格をとり、意味上の主語である「わたし」は与格をとります。
Me gusta la cerveza. (スペイン語)
me(dative) like beer
またフィンランド語では「サウナから」というような表現で「好き」の対象をあらわします。
Mina pidan saunasta(フィンランド語)
I like sauna(elative)
またフィンランド語では「サウナから」というような表現で「好き」の対象をあらわします。
Mujeh seeb pasand hae. (ウルドゥ語)
me(dative) apple(sg) like be(sg)
以上を見てみると、動詞の目的語(対象)がどんな形(格)になるのかは、言語ごとの特徴があることがわかりますね。
まとめると、
日本語には主語を主格以外で表す文があるということと、
日本語には目的語が主格で表される文があるということがわかります。(主格=ガ格)

・「ガ」構文…他に目的語・対象語に「が」をとる文です。
ガ聞こえる/見える/わかる、ガいる/ある、ガほしい、ガVたい、ガできる、ガ痛い、ガうまい、ガ始まる、ガつく、ガあく、ガいい/わるい

このようにまとめておくと教えるときにも便利ですね。

[事例2]
3. 態(voice)

[態というカテゴリーのもとに、自他動詞、使役、受身について学びます。
定義:動詞の形と格(名詞・動詞間の関係)の連動した変化のパターン
ヴォイス問題の範囲

定義がやや難しいので、実例に即して、ヴォイスで扱われる問題にどのようなものがあるのかを見ていきましょう。
まずは、次のペアの文の関係を考えてみましょう。

① ドアが開く:ドアを開ける
⇒自動詞と他動詞の問題があります。自動詞「開く」には動作主の含まれる余地がありません。
一方、他動詞は動作主(ここでは省略されていますが)と目的語 [対格]を従えます。
項(argument)の数が違いますね。
② 車が走る:車を走らせる
⇒①は対(ペア)になっている自・他動詞ですが、「走る」の場合、対になる他動詞はありますか? ないので、使役形「走らせる」で代用します。でも、意味は①のように、同じでしょうか?
③ ギフトを贈る:ギフトが贈られる
⇒逆に「贈る」のペアの自動詞形はどうでしょう?やはりないので、受け身形で代用します。
④ 本を売る:本が売れる:本が売られる
⇒売る」の自動詞形は「売れる」かな、と思いますね。たしかに「売れる」は自動詞ですが、「その本が大ヒットしている」というように意味が変わってしまいますね。 「売れる」は「売る」の可能形ですが、ペア動詞のようにも見えますね。他動詞表現に当たるのは受け身形の「売られる」で、意味も保存されます。
⑤ ケーキを切る:ケーキが切られる
⇒これは③同様の関係ですが、④のように可能形があります(⑥参照)。
⑥ ケーキが切れるナイフ:切れるナイフ
⇒前の文は「このナイフはケーキが切れる」ということで「ケーキを切ることができる」を意味するのに対し、 後ろの文は「このナイフはよく切れる」ということですが、「切ることができる」という可能の意味だけではとらえることができません。
⑦ トヨタの新車が買いたい:トヨタの新車を買いたい
⇒希望・欲求を表す「Vたい」の対象語には「が」をつけると、最初に習ったのではないでしょうか。
でも、実際には「を」を使う場合もふつうに見られますね。なぜどちらも可能なのでしょうか。
「が」は総記の用法もありますね。「トヨタの新車が買いたい」時の対象語は「ほかならぬトヨタが…」というニュアンスがあります。「水が飲みたい」もいっしょですね。
「を」はもともとの動詞「買う」が他動詞なので、対象語=対格という意識が働いて使われているのだと思います。ヴォイスのパターンが崩れてきているとも言えますね。
※ヴォイスは、以上のように、自他動詞、使役や受け身の問題を含みます。 ここでは、日本語についてのこれらのトピックを、ほかの言語と対照することによって、その特徴を考えることにします。

[課題]
短期研修減に伴い、受講生の変化や授業時間数減など各研修の性質の変容が見込まれ、「文法」の意義や価値も変化していく中、いかに実情に合うように、完成部分の見直しを含め、残りの部分(態、テンス・アスペクト、待遇表現)についての教材作成を継続していくかが、今後の課題である。