海外日本語教師の養成・研修

平成19年度海外日本語教師上級研修プログラム参加者紹介

参加者の声

侯仁鋒: 中国

侯仁鋒氏の写真 「青島(チンタオ)から西安へ」
私は侯仁鋒です。西安交通大学で日本語を教えています。1970年代半ばは、中国の文化大革命の頃で、大学教育がほとんどストップしている状況の中、幸運にも大学に入ることができました。大学に入って、英語を専攻するか、日本語を専攻するか、「お前は日本語だ」と組み分けという感じで決められ、日本語を勉強することになりました。そして、卒業する時には、日本語教師が不足していたので、この時も何の選択肢もなく、西安のある大学に配属されました。その後、通訳もしましたが、性格に合わず、日本語教師を職にすることを自分で決め、大学院に入りました。

生まれは青島〈チンタオ〉のあたりですので、就職した西安は、海も魚もなく、最初はつらかったですが、住めば都で、今は穏やかな西安がとても気に入っています。現在は、主に4年生の「日本語と中国語の対照の概説と演習」と大学院生に「日本語音声学」と「日本語文法」を教えています。学生に教えることはとても楽しいです。また、嬉しいことは、わたしが書いた聴解教科書や受験指導書が好評なことです。

最近の中日関係の不安定が苦になっています。日本語教育が時には理解されず、苦しい立場になることがあります。しかし、中日関係は紆余曲折しながら、前進する方向が共通認識として健在であり、その反映として、中国では日本語学習者が増える一方で、実に喜ばしいことです。その中で、よい仲間や学生に囲まれ、やりがいのある仕事だと思っています。

聞き手:田中和美(英国)


陳婭: 中国

陳婭氏の写真 「好きな仕事ができてよかった」
私は中国のアです。上海かんせん外国語中学校で日本語を教えています。1994年に日本語を勉強し始めました。専門として4年間日本語を勉強しました。4年間でJLPT1級を受かるのが必須になっていましたから、一生懸命日本語を勉強しました。1年と2年は大変でしたが、とてもいい勉強になりました。

*日本語教師になるきっかけ
1998年に大学を卒業しました。卒業後どんな仕事をするか、考えているところ先生方にも友達にも「あなたに教師の仕事が合っているよ」と言われたし、私自身も教師の仕事が好きだし、それで、日本語教師になることにしました。

*楽しいこと
教師になってから楽しいことや嬉しいことがたくさんあります。授業以外にも学生たちと一緒に外食したり、遊んだりするのはとても楽しいです。そして、学生が進学したい大学に入学できればそれはとても嬉しいことです。

*苦しいこと
みんな仲良くしているので、苦しいことは特にありません。ただ、授業準備は大変です。いつも前よりよい授業をしたいですから。

この仕事は大好きで、ずっと続けていきたいと思います。

聞き手:アラム・モハメッド・アンサルル(バングラデシュ)


ナヨアン・フランキー・アンサルル: インドネシア

ナヨアン・フランキー・アンサルル氏の写真 「勉強好きの私!」
私はフランキーです。日本語を勉強し始めたのは高校生の時でした。
大学を卒業した頃は、就職が難しくてなかなか仕事が見つかりませんでした。ちょうどその時、日本語教師になる機会があったので、日本語を教え始めました。振りかえてみると日本語が教えられてよかったと思います。教師としてやはり学生の日本語が上達になったことはなによりも嬉しいことです。しかし、自分の日本語はまだ不足なので、上のレベルの学生に教えるのは苦しいです。また、時々通訳の仕事もしているので毎日忙しくて大変です。
このたび、上級研修で皆さんにお会いできてうれしく思います。

日本語学習歴:
1992年 長期研修(浦和)
1994-1995年 東京外国語大学海外教員研修(文部省奨学金)
2000-2002年 東京外国語大学院(修士課程)

聞き手:林麗英(マレーシア)


チャン・キュー・フエ: ベトナム

チャン・キュー・フエ氏の写真 「日本語教師8年、でも まだ 勉強勉強」
私はフエーです。ベトナムのハノイ国家大学で日本語教師になって8年になります。
実はハノイ国家大学は私の母校なんです。私は大学2年生の時、日本語のコースを取りました。日本語を選んだ理由は将来、通訳になりたいと思っていたからです。でも、日本語の授業が楽しくて、私も先生のように楽しく教えられる日本語教師になりたいと思い始めました。
大学を卒業したときに、日本語教師が足りなくて、私が2年生のクラスを受け持つことになりました。学生は楽しそうに日本語を学習してくれました。今でも、学生が日本語の勉強に興味を示してくれるのが、教師としての一番の楽しみです。
大変なことも二つほどあります。まず、一つめは、学生が日本語学習に興味をなくしてしまうということです。私の教えている大学では4年生になると対照言語学などの理論的な講座を選択しなければなりません。それで学生は日本語嫌いになってしまうのです。それに加え、4年生は日系企業で研修することになっているのですが、研修後もアルバイトを続けて、授業に出てこなくなってしまうのです。
もう一つ大変なことは、学生の卒業論文指導や試験の作成で忙しすぎるということです。特に論文のテーマが私の苦手なトピック(例えば、ことわざ)の時には私も勉強しなければならないので、ますます忙しくなります。もう8年も日本語教師をしているのに、今でも勉強の毎日です。

聞き手:清水サマレル史子


林麗英: マレーシア

林麗英氏の写真 「やはり銀行員より日本語教師」
マレーシア・インターナショナル・スクールで日本語を教えているラムです。私はファッションが好きだから高校を卒業してファッション専門学校に入りました。でもファッション学校は空いている時間がありましたので、母に「日本語も勉強したら」と勧められ、こだわり無く、ファッション学校に通いながら日本語も学んでいました。日本語が身に付いた時点で日本語能力試験を受けてみることにしました。3級に受かった私は日本語教師でもやろうかと考え始めていたのですが、ある日突然先生に誘われ、先生の替わりに授業を持ちました。この日から日本語を教え始めました。

それからずっと日本語教師の仕事を楽しくやってきて13年を迎えました。学生が日本語ができるようになったことは私にとってうれしいことです。その時自分の日本語運用力が低いことを実感して、もっと勉強しなければならない気分になりました。そこで国際交流基金の研修プログラムを知って短期研修プログラムを選んで申し込みました。またその後も日本語学校で2年間留学しました。それから帰国して教師の仕事に戻りました。日本語を教えている間、銀行員になりたい気持ちになって日本語教師を辞めてしまいました。1996年から2年間ぐらい銀行で働いていましたが、やはり教師の仕事の方が楽しいと思って、再就職しました。2001年に日本文化センターPlatformプログラムで来日しました。今は日系企業で日本語を教えると同時に中国語も教えています。

聞き手:ナヨアン・フランキー・レイモンド


チッチミン: ミャンマー

チッチミン氏の写真 「私はミャンマーの日本語教師」
私はチッチミンといいます。ミャンマーのヤンゴン外国語大学で日本語教師をして、もう十五年になります。

大学を卒業した後、日本語に興味を持ち、定時制の大学で日本語の勉強を始めました。その後日本で二週間の研修をする機会を持ち、その期間中に日本語教師になりたいという気持ちが形をとり始めました。帰国後、本当に運がよく、母校ヤンゴン大学で日本語教師を募集しているのを見、応募して採用されました。

今一番の問題は学生の聴解能力の向上です、ヤンゴン大学には母語話者の日本人教師がいないし、政情や社会状況が不安定なため設備や教材が整わないので、聴解練習が余り効果的にできないからです。
でも、何と言っても、教えている学生が「先生、わかった!」と言ってくれた時が、教師として一番うれしい時です。

聞き手:高宇ドルビーン洋子(スウェーデン)


アラム・モハメッド・アンサルル: バングラデシュ

アラム・モハメッド・アンサルル氏の写真 「日本語教師になってよかった」
私はバングラデシュから参りましたアラムです。今、ダッカ大学で日本語の教師をしております。
日本語の勉強は、1996年大学に入ってから始めたのです。大学の専攻は国際関係の専門で、日本語を一般コースとして学習していました。しかし、日本語が非常に好きになって、将来日本語を使う仕事ができたらと思っていました。そして、日本人の先生が「将来日本語の先生になったらどうですか」と励ましてくださって、「日本語教師になろう」という夢を持つようになりました。

2000年に大学を卒業しました。最初は、専門の関係で銀行に勤めました。でも、チャンスに恵まれて、非常勤としてダッカ大学で日本語を教えることができるようになりました。「やはり自分の夢を大事にしたい」という気持ちで、3年後、思い切って誰もが憧れる銀行の仕事をやめて、日本語の専任講師となりました。
今、振り返ってみると、全然後悔しません。自分のやっている仕事にはやりがいがあると思います。自分の知っていることを学生に教えられて、とても満足です。 「日本語教師になってよかった」

聞き手:陳婭(中国)


清水サマレル史子: カナダ

清水サマレル史子氏の写真 「英語の教師より日本語の教師!」
私は史子です。カルガリー大学の日本語の教師です。
30年前に英語の教師になりたいと思って、カナダへ英語の勉強に行ってカルガリー大学に入りました。卒業してから10年たった時、「日本語の教師、やってくれない。」と大学の日本語の教師だった先輩に言われました。その人は博士号論文を書いていて忙しすぎて、仕事をやめたいと言いました。その時、日本語の教師はその先輩1人しかなかったし、もうすぐ9月になり、学生たちも集まっていましたので、引き受けることにしました。本当は日本で英語の教師として働きたかったのですが、なぜかカナダで日本語の教師という仕事を始めることになったのでした。

始めたときは本当に大変でした。使用教材はもちろん決まっていましたが、副教材とか参考教材とかパソコンとか何もありませんでしたし、教案や教え方について相談にのってくれる人もいませんでした。また、一日に1年と2年のレベル別の授業がありましたから、授業の準備で大変でした。でも、教室に入るたびに「おはようございます」という学生の元気な声や学生の明るい顔が私を励ましてくれました。学生はいつも日本語を楽しそうに勉強してくれて、だんだん日本語の教師という仕事が好きになりました。

今大変なのは仕事や自分の勉強や家庭のことで忙しいということです。
しかし、今時々18年前のことを顧みると、その先輩に頼まれて日本語の教師になって本当によかったと思います。卒業した学生がメールで近況情報を教えてくれて、今では友達として親しくしているのが何よりもうれしいことです。

聞き手:チャン・キュー・フエ(ベトナム)


田中和美: 英国

田中和美氏の写真 「辛くても楽しい日本語教師」
私は田中和美です。1978年、まだ大学院で教育学を勉強しているとき、夏休みに日本語サマースクールで教えてみないかと誘われました。このように、ほとんど年齢の違わない外国人大学生を相手に日本語を教えるという形でスタートして以来、あっという間に30年になろうとしています。
最初は日本国内で非常勤講師として教えていましたが、1983年に夫の仕事の都合でイギリスに渡り、幸いなことに、そちらでも日本語を教える仕事を続けられました。

日本語を教えることで、楽しいことがあるかと言えば、何といっても、学生の成長を見ることです。ひらがなもわからない新入生が、日本語で議論できるようになり、卒業していくのを見るのは、教師として感慨深いことです。また、学生がよく理解して、反応してくれたり参加してくれたりしてすると、いい授業ができたと思い、その中から自分の価値も見えてきます。これも楽しいことです。

しかし、担当の授業時間も多い上、学会や教師会の役目もあり、大変忙しいです。それに、イギリスでは語学教育が専門分野として認められていない現実があり、理解を得るのに戦っていかなければならないことも、辛いと感じることがあります。
国際的な交流が日増しに頻繁になっている今日では、語学の学習はますます必要不可欠となっています。これから先も、日本語教師として、辛いことがあっても楽しくやっていきたいと思っています。

聞き手:侯仁鋒(中国)


高宇ドルビーン洋子: スウェーデン

高宇ドルビーン洋子氏の写真 「スウェーデンの王立工科大学での日本人としての授業経験」
私は高宇ドルビーンです。今スウェーデンの王立工科大学で教えています。大学ではいろいろな専攻があって日本語は副専攻です。初級レベルの学生に教えています。私の大学では日本人の先生が私一人しかいないので、私が4技能全部教えています。私がスウェーデンの大学で博士コースを勉強したのが日本語の先生になったきっかけです。スウェーデンで結婚して王立工科大学で日本語の教師になりました。日本人だからと言って日本語を教えることはそんなに易しいわけではありません。毎日日本語を話していても教えるときはいろいろ問題がありました。だから教師をしている時に邦人研修を受けました。今は日本語を教えて大体18年たちました。

現在、王立工科大学では「げんき」のテキストを使っています。授業の時は学習者のニーズ、時間、人数などいろいろ考えて教えなければなりません。いろいろ困ったことがあっても一生懸命頑張っている学生を見て言葉で表すことができないほどの感じです。私は走ってきた道よりこれから走る道を考えて日本語の教師として頑張りたいと考えています。

聞き手:チッチミン(ミャンマー)

お問い合わせ

国際交流基金日本語国際センター
教師研修チーム
電話:048-834-1181 ファックス:048-834-1170
Eメール:urawakenshu@jpf.go.jp
(メールを送る際は、全角@マークを半角@マークに変更してください。)