| HOME> 日本語教師の研修> 平成19年度 海外日本語教師短期研修(冬期) |
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| <参加者の声> (修了式・歓送会のスピーチから一部抜粋しました。) |
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○エンダー セティヤ ワーユさん(インドネシア/ダルール ウルーム大学) 日本に来る前に日本語があまり上手ではありませんでしたが、センターに勉強しに来て、きっと日本語が上手になっただろうと思います。ホームステイもできて、日本の文化もわかるようになりました。たくさん経験をして、とてもよかったです。他の国の人と会えるのが良かったと思います。 ○ウラソヴァ ナターリアさん(ロシア/ロシア国立人文大学)
日本語の授業のおかげで話す能力が向上できたと思います。色々なテーマについて日本人ビジターとディスカッションができたことは特によかったです。 ○ワリエワ エリビラさん(キルギス/ビシケク人文大学)
この研修の中で勉強になったことはとてもたくさんありました。文法の授業が面白いとは今までは考えたこともなかった私たちですが、研修の授業で初めて文法の世界に気がつきました。授業だけではなく、旅行、高校訪問、文化体験プログラムなどがあって、センターでは充実した生活を送ることができました。 これだけでなく、さらにありがたかったことは、このプログラムのおかげで、16カ国からの研修参加者たちがお互いに友達になったことです。これからも自分たちのネットワークを作り、帰国後も情報交換を続けていきたいと思います。 ○シロルカー アナガさん(インド/プネ大学)
日本語を勉強して、教師になって、このセンターで研修を受けることになりました。そして、この素晴らしい体験ができました。インドでは、こういう出来事は私達の運命だ、と言われています。運命のことを考えるとずっと続いている自分と日本との関係を思い浮かべます。 最初に日本と言う国の名前を聞いたのは、小学校4年のとき。地理の教科書に載っていた着物を着ていたきれいな女性の写真を今もはっきりと覚えています。日本は、日の出の国と呼ばれているのは、まだ10歳の私には不思議なことでした。 1979年、銀行員の父親は転勤して、家族と一緒に日本に行くことになりました。3年間、神戸のインターナショナルスクールに通っていました。日本語との初めての出会いも忘れられません。日本に着いた翌日、日本人のお客様がいらっしゃいました。父は部屋の中にいたので、母は父に呼びかけました。インドでは、主人を名前で呼ぶのは大変失礼ですから、「アホ」という特別な呼び方があります。母は大きな声で「あほ」と呼びかけました。何回も、「あほ、あほ」と言っている母のことを見ているお客様の表情は、日本語ができない私達には、わかりませんでした。 帰国して、大学で日本語を勉強しようと思っていましたが、建築にも興味があり、大学で建築の試験も受けました。合格して、5年間勉強して建築家になりました。仕事について、結婚して楽しい生活でしたが、何か物足りない気持ちがありました。それは、日本語の勉強をするのをやめたということです。でも、時間が無いと言い訳しながら、建築の仕事を続けました。 ある日、義母が大学の申込書を持ってきて、「本当にやりたいなら、何でもできる」と励ましてくれました。それは6年前のことです。 今、27年ぶりに日本に来ることが出来て、とてもうれしいです。皆さんも、きっと私と同じように日本についての大切な思い出があるでしょう。 2カ月の間に、センターの中でも、外でも、素敵な人達に会うことができました。本当にありがとうございました。
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