- キャリアパス
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日本語事業部派遣・助成課(約3年) →経理部財務課・会計課(2年)
→シドニー日本文化センター(3年)→日中交流センター(3年)
→産休・育児休業(約6か月) →映像事業部テレビ放送チーム
学生時代にメキシコに留学し、勉強の傍ら、現地の子ども向けの日本語学校で日本語を教えるボランティア活動に参加しました。ボランティアという立場でしたが、海外の日本語教育の現場を見て、「日本語を勉強したい人がたくさんいても、十分な辞書もなく、学習環境が整っていない」、「教師の待遇が低く、教える側の身分や生活が安定していない」などといった課題があることがわかりました。当時は日本語教師の仕事にも関心があったのですが、一教師として働くよりも、日本語教育の環境を整えるような仕事をしたいと思うようになり、国際交流基金を志望しました。
映像事業部テレビ放送チームに所属し、日本のコンテンツが商業ベースではあまり放送されていない国や地域に日本のテレビ番組(ドラマ、アニメ、ドキュメンタリー、教育番組など)を無償提供する業務を行っています。
日本のテレビ局や制作会社から提案を受けた番組の中から「日本の文化や先進技術を伝えられるもの」や「日本の生活や日本人の考え方が伝えられるもの」といった基準に合う良質な番組を選び、海外のテレビ局に要望調査を行った上で、番組を提供する業務を行っています。海外から放送希望が多く寄せられる番組は番組権利者と共同で外国語版を制作したり、海外のテレビ局との合意書交渉、放送素材の発送、放送報告書の確認などの作業が実際の業務です。
私は大学でスペイン語を勉強していたのですが、現在は中南米のテレビ局を担当しており、国際交流基金に入社してから最もスペイン語に触れる機会があります。
2点挙げられます。
1点目は、3年ほどで部署の異動があるのですが、これまで経験したことのない分野や地域の仕事も任せてもらえることです。例えば、私はこれまで全く中国との接点がなかったのですが、入社9年目に日本と中国の青少年交流を専門に行う「日中交流センター」に配属され、3年半ほど中国との交流事業を担当しました。周りのスタッフ全員が中国への造詣が深く、中国語が堪能だったため、難しさもプレッシャーもありましたが、仕事を通じて自分自身も中国との交流や中国に対する知識を深めることができました。同時に「国際文化交流の仕事をしているのに、これまで隣の国のことも知らなかったのか」と思い知らされた経験でもありました。自分の興味関心と異なる業務を担当することをネガティブに捉える人もいるかもしれませんが、私は偶然の巡り合わせがなければ出会えなかったかけがえのない人たちや仕事だと前向きに捉えています。
2点目は、さまざまなレベルの人たちに向けた事業を自ら考えて実施できることです。文化を通じた交流事業といっても、日本のことをほとんど知らない人やこれから日本語を勉強しようという日本の交流の「入り口」に立つ人を相手にすることもあれば、ある程度知識のある人たちにもっと日本のことを知ってもらう取り組みをすることもあります。また、研究者等の専門家を相手にする事業もあります。特に海外の現場では、事業立案は楽しくもあり、頭を悩ませる仕事ですが、自身の関心や国際交流基金が持つネットワーク、国際交流基金が育成してきた研究者やアーティスト、外部の協力機関やフェスティバル等の機会といった要素をうまくつなげ、さまざまな事業を企画実施できることが醍醐味と言えると思います。
上述の通り、全く中国との接点がなかったところから突然中国との交流現場に身を置いたわけですが、それまでは名前も聞いたこともなかった地方都市にも出張する機会が多くありました。多い時は年8回中国に行き、今ではパスポートは中国の出入国スタンプで埋まっています。その直前がシドニー日本文化センターでの勤務でしたので、特に仕事の仕方や文化のギャップに驚きました。例えば、中国での事業実施にはどんな小さなイベントでも事前許可がいる、宴会でお酒を飲みたい時は必ず毎回誰かと乾杯してから飲むのがマナー、地域によってはお酒の席で急に歌を求められる、無茶ぶりも多いが、顔を合わせて仕事をすればその後は何かとうまくいく…などです。
日本の大学生グループを中国に派遣し、日中の大学生が一緒に交流イベントを作り上げる「大学生交流事業」にも何度も随行しました。「日本人の学生たちがイベントの企画案を考え、中国渡航前からオンラインで中国の学生たちと打ち合わせを行い、現地入りしてイベント準備を経て、いよいよ本番に臨む」という事業なのですが、その過程で日中の学生たちの友情と連帯感が深まり、最後には涙のお別れをする場面に数多く立ち会いました。この事業は国際交流基金の事業の中ではかなり小規模なものですが、「国境を越えてかけがえのない人たちと出会い、直接的な人と人との交流を通じて、相手の国への興味が深まってゆく。その経験がその人の人生に刻まれ、小さな交流の輪が重なって、相手の国への良い感情がより強固なものとなってゆく」という、人と人との交流が生み出すものやその温かさを改めて実感した経験となりました。
入社当初から関心を持っていた日本語教育の分野で働きたい、という気持ちに変わりはありません。ですが、自身の興味関心のある分野のみに縛られることなく、今後の配属先で出会うであろうさまざまな仕事や地域に臆せずに挑戦したいと思います。これから出会う仕事に取り組む中で経験値を上げて、どんなことにも柔軟に対応できるようになりたいと思っています。