- キャリアパス
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総務部人事課で給与担当(約3年) →芸術交流部で映画・映像・マンガを担当(約4年)
→体調不良で休職(約1年) →日本語事業部で派遣報酬・旅費を担当(約4年)
→企画部で業績評価やオリパラ事業などを担当(約4年)
→現在、総務部システム管理課で情報システムを担当
学部生時代に文化経済学や地域経済学、特に「芸術による地域活性化」に関心を持ち、京都や滋賀でその実践に関わろうとしていました。京都・西陣でお世話になっていた方がJF(Japan Foundation=国際交流基金)主催のシンポジウムに登壇されたことでJFの存在を知りました。また、同じころに参加していたパフォーミングアーツグループの海外公演を同行したことでJFへの印象をさらに強めました。
JFを就職先の候補に選んだきっかけは……良く言えば、上述のような経験を得てJFに対する好印象を持っていたことによります。ただ、実際のところは――研究をあきらめて、就職へと気持ちを切り替えたのは修士課程の1年目が終わる3月。就職活動を始めるには遅すぎ、就職氷河期真っただ中に真裸で放り出されたようなものです。業界分析はおろか自己分析も全くできていない私は約70社にエントリーしたものの、内定に至ったのはアルバイト先とJFのみ。JFに私を拾ってもらったのは99%の運と、1%の、学生時代に文化芸術交流の現場に関わろうとした意志だけだと思います。JFという組織の――あるいはその職員たちの――良さや面白さは、物事に対して好奇心をもって臨む人を面白がれるところにあるのかもしれません。
総務部システム管理課という部署で、JF内の情報システムの運用や保守、情報セキュリティに関わっています。ネットワークやサーバ類を維持し、また情報セキュリティを高めてJFの内部情報を守る――というと、職員に高い技術力が求められるようにも聞こえるかもしれませんが、実際には情報システムやネットワーク、情報セキュリティに関するプロフェッショナルの方々の助けを得、また彼/彼女らに技術力を発揮していただくための環境を整えるのが主な業務です。この観点からJFでの業務を(強引に)一般化すると、「事業部門でも管理部門でも、専門家の力を借り、またその専門性を発揮してもらうこと」だと私は思っています。
そのために、職員には事務能力と、専門分野に関する一定程度の知識が求められます。JFにいると3~4年で異動があり、その都度に今まで関わったことのない分野に携わるため、日々七転八倒しながら異動先の業務や関連知識を学ぶことになります。学びつづけることは大変ですが、予想もしなかった新しい分野に触れられるのは楽しくもあります。
私は海外事務所での勤務経験がなく、国内でも現場らしい現場に関わった経験はほとんどありません。日本文化に接する海外の方々とふれあって感謝されたり、専門家の方々に交流の場を設けて新しい知見や創造を生み出す一助となったりするような、キラキラした〈国際文化交流のやりがい〉は残念ながらまったくありません。
私がこの仕事に感じているやりがいがあるとしたら、JFの本質的な、本来的な理念である「国際文化交流」そのものにあります。JFが行うべき国際文化交流事業というものをきれいにいうならば、「文化の力を外交に活かし、外交の力を文化に活かす」ことだと私は理解しています。文化も外交も、いずれも全容が把握できないほど巨大で繊細なものであり、それらに触れる方々も担う方々も多種多様です。そんな中で、文化と外交という一見異質な分野をつなぎ、双方によりよい可能性と推進力をもたらすことが、本来は「国際文化交流」に求められているのだと考えます。そして、JFは国際文化交流を通じて、各々の文化や個人が尊重される世界とその平和に貢献することが求められているはずです。――これは、夢やまぼろしのように聞こえることでしょう。その効果は何十年、何百年とかけなければ目には見えないことでしょう。それでも、この夢のような理念を掲げなければ、国際文化交流がひたすら外交のツールの一つとして利用されるか、職員個人の趣味にも感じられてしまうような文化事業が「国際文化交流」という美名の下で企画され続けるだけになってしまいます。またこの理念を掲げるからこそ事業部門に属し、多くの予算がかかった目立つ事業やそれに従事した職員ばかりではなく、管理部門で地味な事務をこなす職員の仕事にも価値を見出せます。JFで働く「やりがい」は、国際文化交流が世界平和に貢献するという夢と、その実現に向けて働く職員たちの営みを感じられる瞬間にありそうです。
わたしが特に主体的に関わったと思える業務は(1)人事制度改革、(2)国際漫画賞(当時)、(3)「科学と文化が消す現実、つくる現実」でしょうか。
(2)深く関わったJF事業の一つに国際漫画賞があります。人事課から異動した2007年に、第1回国際漫画賞の準備・実施・招へいを担当しました。特に第1回は準備にごく短い期間しかなかったため、さまざまな葛藤や憤りを抱きつつも、関係各所の協力でなんとか実現できたことは印象深いです。
(3)企画を自ら立案し実現する機会は、JF本部にいるとなかなかありません。しかし、JF内の企画公募で採用され、私が立案から実施まですべて関わることができた「科学と文化が消す現実、つくる現実」は忘れられない事業となりました。
「科学と文化が消す現実、つくる現実 ―フィクション、制度、技術、身体の21世紀―」 視察プロジェクト 参加者の公募について
JFの事業のプロトタイプとして、来日している留学生たちや西川アサキ先生とともに、現在の科学技術に触れ、議論の場を設けることができました。JFでは扱ってこなかった要素を盛り込んだ事業であるため、この実現がJFの今後になにかの可能性を拓いてくれないものか……と夢想するところです。
JF職員としての将来に対して、キラキラしたビジョンやキャリアを実は描いていません。家族との時間を大切にし、自身の関心に基づく研究をしたり、短歌を作ったりと、ささやかな日々を大切に過ごしたいと願っています。ただ、自分の力がJFに、国際文化交流に役立ち、ひいては世界平和のささやかな下支えになりたい、とも思います。