文化事業部舞台芸術チーム 申 熙晶の写真1

“お互いを刺激し、人々の価値観を広げることでより良い社会作りに寄与する”

キャリアパス
総務部人事課(約1年) → 関西国際センター教育事業チーム(約4年) → 文化事業部事業第1チーム(約1年) → パリ日本文化会館(約3年) → 文化事業部舞台芸術チーム

Q1.国際交流基金(JF)への就職を志した理由は?

モノを扱う仕事よりも「人と人をつなげる」仕事がしたいと思い、国際交流基金(以下、JF)を志望しました。大学生のときは、一般のサークルと学園祭実行委員会を並行しながら活動し、たくさんの友人に恵まれました。

そのなか、留学生にとって中々参加しづらかった学園祭を留学生にも楽しんでもらうために、交流イベントなどを企画しました。これは、言語や参加方法がわからなくて学園祭に参加するのを躊躇していた留学生に対し、留学生専用のパレード参加枠設定や日本人学生と一緒に学園祭を探検するイベントなどを企画したもので、学園祭実行委員会としての初めての試みでした。企画準備中は紆余曲折あったものの、後日、企画に参加した留学生から「日本語もしくは英語が得意でなくても学園祭を一緒に楽しむことができた」「国に帰る前に学園祭を体験できてよかった」との好評をいただき、人と人をつなげる事業の大切さややりがいを感じたのです。その延長で、「大学内の交流」を越えて、もっと色々な境界線を越えた人々の交流を仕事にしたいと思うようになりました。

JFは、日本で「文化交流」を扱う唯一の公的専門機関で、「日本の友人をふやし、世界との絆をはぐくむ」ことをミッションとしています。業務分野は芸術交流や日本語教育、日本研究など、多岐にわたっていますが、文化を通じて国境を越え、人と人をつなげることを意識しながら働いています。

Q2.現在はどんな仕事をしていますか?

文化事業部舞台芸術チームで舞台芸術交流の仕事をしています。コロナ禍になるまでは、海外公演実施のために日本のさまざまな分野のアーティストを派遣し、随行する仕事がメインでした。渡航制限により海外公演が難しくなってからは、YouTubeなどオンラインから海外向けに日本の舞台公演を届けることが多くなっています。

海外公演にアーティストを派遣するときは、JFの海外拠点や現地の公演会場、アーティストといったさまざまな関係者と綿密に連絡を取りながら、海外の人々にインパクトのある公演を手掛けること、アーティスト同士の交流が生まれることを心掛けています。

オンライン配信事業では、海外とのコンタクトは減りましたが、世界中のたくさんのユーザーに公演動画を楽しんでもらえるように多言語字幕を制作したり、SNS広報を行ったりするなど、国内の色々な業種の方のお力を借りることが増え、海外公演実施のときとは違う形の業務サイクルとなっています。

オンライン配信事業は今まで前例がなく、色々試行錯誤もありましたが、2021年2月から「STAGE BEYOND BORDERS」というプロジェクトが始まり、JF公式YouTubeチャンネルでさまざまな舞台公演を多言語字幕付きで配信しています。このプロジェクトは、世界約80か国で視聴され、今まで海外公演ができなかった地域や国でもたくさんご覧いただき、予想以上の好評を得ています。コロナ禍を受けて始まったオンライン配信事業ですが、予算や渡航条件の制限を超えて、コロナ禍前にはできなかった幅広い文化紹介ができ、ポジティブな結果につながりました。

STAGE BEYOND BORDERS第2期のキーヴィジュアル。アーティストの方々から写真を提供していただき、自らデザインした画像
STAGE BEYOND BORDERS第2期のキーヴィジュアル。アーティストの方々から写真を提供していただき、自らデザインしました。

今後は海外でのリアルな公演に加えて、こういったオンラインでの舞台動画配信も並行して行うことにより、ハイブリッドな芸術交流が実現することを期待しています。

STAGE BEYOND BORDERSの詳細はこちら:

Q3.JFで働くやりがいとは?

JFの事業一つ一つは小さい規模ですが、これらを積み重ね、相互理解の土台を作り、数字では語りきれない成果を生み出していると思います。

関西国際センターでは、海外から招へいした外交官や日本研究者、高校生などを対象とした訪日日本語研修を担当しましたが、研修参加者のなかには研修で学んだことを活かし、日本の大学への留学や、母国で日本と関連した仕事に就くなど、日本と母国の架け橋として活躍する卒業生が多数います。

関西国際センターで文化学術専門家・大学院生訪日研修参加者、日本語教育専門家との写真
関西国際センターで文化学術専門家・大学院生訪日研修参加者、日本語教育専門家との一枚
パリ日本文化会館で子ども向けに開催したどら焼きのアトリエの写真
パリ日本文化会館で子ども向けに開催したどら焼きのアトリエ

また、パリ日本文化会館在籍時に担当した食文化交流事業では、トゥールーズやストラスブールといった異文化に接する機会の少ない地方の調理師学校で、日本食の専門家を招きアトリエを開いたことがあります。「お箸を持ったことがない」という生徒たちに専門家による日本食の歴史や技術を紹介することで、彼らに新たな発見の場を提供することができました。

こういった成果はパーセンテージや金額など、数字で表すことはできません。民間企業では中々実現できないような事業ばかりです。

しかし、JF事業による影響は着実に人々の間に蓄積され、いずれは日本、そして世界に良い影響をもたらすと信じています。今まで接したことのない文化と触れることで、お互いを刺激し、新しい気付きを与え、人々の価値観を広げ、より良い社会に導くことに寄与すると思います。こういった「世界との絆をはぐくむ」ことに仕事として携われるのが、JFで働く上での一番の魅力であり、日々の原動力となっています。

Q4.これまでのキャリアで、忘れられない仕事は?

2016年のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック記念事業として、ブラジルのリオデジャネイロで東京スカパラダイスオーケストラさんとマルシアさんによるコンサートを担当したことです。

これはリオ五輪の開幕式の前週に行われ、次に開かれる東京五輪への注目を高めるために企画されました。このコンサートのテーマ曲は1961年に坂本九の歌唱で発表され、1963年に全米1位を獲得、ブラジルも含め全世界に広がり、長く愛される名曲『上を向いて歩こう』。時代も国境も越えて今なお歌い継がれているこの曲に込められた普遍的な悲しみと、そこから見出す希望をメインテーマに、東京スカパラダイスオーケストラさん、マルシアさんに加えてブラジルの人気アーティストEmicidaさんとVanessa Da Mataさんが出演し、パフォーマンスを披露しました。

このコンサートは治安が安定しない地域かつ五輪で観光業界が混み合っている時期に30名近くのアーティストと関係者を派遣する大規模事業で、いつもの海外公演事業に比べてもホテルや航空券の確保や、現地会場の調整が細かく、素早い対応が求められました。また、ブラジルとの時差により現地側とタイムリーな連絡が取れず、夜遅くまで残業せざるを得ない日々が続きました。そのうえ、現地での集客が想定通りにいかず、コンサート直前までハラハラしていたことを覚えています。

しかし、実際に事業が始まったところ、1日目の公演の口コミがSNSなどで広がり、2日目の公演は客席が満員となったのです!公演中はアーティストの音楽に合わせ客みんなが躍りだし、会場はブラジルならではの興奮と熱気に包まれ、アーティストにも「非常に楽しい公演だった!」と喜んでいただくことができました。

この事業が記憶に残るもう一つの理由は、ブラジルの一般市民だけではなく、貧民街(ファベーラ)の子どもたちへの音楽ワークショップも企画され、環境に恵まれない子どもたちにも交流の場を提供できたことです。これは当初、東京スカパラダイスオーケストラさん側からご提案いただいたものですが、上司と相談の上、JFの公式事業として実施することとなりました。結果として、より豊かで公益的な事業となり、普段ならJFの支援が届かないような層も巻き込め、貧民街の子どもたちにも忘れられない経験を届けられたことを今でも嬉しく思っています。

日本ブラジル共同制作ポップスコンサート「上を向いて歩こう~Olha pro céu~」の事業詳細はこちら:

東京スカパラダイスオーケストラさんによるブラジルの貧民街(ファベーラ)の子どもたちとの音楽ワークショップの写真
東京スカパラダイスオーケストラさんによるブラジルの貧民街(ファベーラ)の子どもたちとの音楽ワークショップ

Q5.今後のビジョンは?

入職10年を超え、後輩が増えてきました。しかし、コロナ禍の影響で、海外との交流のみならず、JF社内での交流もなかなか難しくなってきており、新人職員が色々な場面で戸惑うことも多々あると聞いています。先ずは人がいての文化交流です。私が今まで先輩たちに恵まれてきたように、後輩たちも仕事にやりがいを持ち、楽しく働けるような環境作りに貢献したいと思っています。文化交流のプロとしての人材育成がJFを中心に社会に広まればと願っています。