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槇原稔 前カルコン日本側委員長・顧問のご逝去を悼み

槇原稔前カルコン日本側委員長・顧問は2020年12月13日夜、ご家族が見守るなか90歳の生涯を閉じられました。国際社会の中における日米関係の深化を、公私ともにリードし続けてこられた人生でした。

槇原氏がカルコンの日本側委員長に就任された2007年8月以降、カルコンは、日米両国において、とくにその創設時と同様、両政府の指導者たちに対し日米間の文化・教育・知的交流に関する政策提案をしていく力強い存在として、注目されるようになりました。それは同氏の、経済界においてのみならず、教育・文化・知的交流の分野における存在力の大きさ故でもありました。

槇原氏は、誕生され幼少期を過ごした英国から、小学校入学を機に日本に帰国されました。成蹊高校時代に第2次世界大戦終了後まもなく、米国ニューハンプシャー州のセントポールスクールに進み、ハーバード大学で政治学を修めました。1956年に三菱商事に入社し、米国三菱商事ワシントン駐在員首席、米国三菱商事社長、三菱商事株式会社取締役社長・会長・特別顧問を務められました。

「(槇原氏の)父親は米国海軍の手によって殺されたにもかかわらず、彼は米日関係における雄としてのその生涯を歩み、昔の敵国同士をつなぐ絆を構築するための組織を率いて」来られました(2020年12月25日付「ニューヨーク・タイムズ」紙追悼記事より)。

2007年に公益財団法人東洋文庫理事長に就任され、その後も最期まで現役で通されました。絶えず、英字紙・誌を愛読され、知的好奇心を持ち続け、次世代に対する温かい支援を送られました。カルコン委員長として3回にわたる日米合同会議の共同議長を務められましたが、その委員長時代にも、また続く顧問時代にも、「日米関係の将来の鍵は、つまるところ教育である」という遺言を残されています。

合掌

第23回カルコン日米合同会議共同議長として 於開東閣(2008年)

第23回カルコン日米合同会議の写真1
第23回カルコン日米合同会議の写真2
第23回カルコン日米合同会議の写真3

第25回カルコン日米合同会議共同議長として 於飯倉公館(2012年)

第25回カルコン日米合同会議の写真

野田総理表敬

野田総理表敬の写真

第26回カルコン日米合同会議議長として 於Evermay, Washington D.C.(2014年11月)

第26回カルコン日米合同会議の写真1
第26回カルコン日米合同会議の写真2
第26回カルコン日米合同会議の写真3