概要と提言

カルコンの発足

1961年6月、池田総理とジョン・F・ケネディ大統領は、日米関係の現状を評価する会談を持った。両国首脳には、憂慮すべき理由があった。その前年、岸総理とアイゼンハワー大統領による日米安全保障条約改定を受けて、東京市街で大規模な抗議行動が起こり、アイゼンハワー大統領は、予定していた調印記念の訪日を断念せざるを得なかったのだ。米軍による日本占領が終わって十年足らずのことであり、沖縄はいまだ米軍占領下にあった。ケネディ大統領はじめ日米両国の多くの国民にとって、壮絶を極めた太平洋戦争はいまだ記憶に新しく、大統領自身、自ら搭乗する魚雷艇が日本軍の駆逐艦に船体を引き裂かれ辛くも死を免れた経験があった。

両国の国民は、各々の未来にも不安を抱いていた。アメリカ国内では、ソ連の人工衛星スプートニク打ち上げや、「ミサイル・ギャップ」の論議もあって、西側はソ連に遅れをとっているのではとの懸念があった。日本国民は当時、まだ米国と世界銀行の開発援助を受けていた。池田総理とケネディ大統領は、国民の信頼回復という大胆なビジョンを掲げて就任した。ケネディ大統領は就任演説で、「たいまつは新しい世代に引き継がれた」という有名な言葉を残し、1969年までに人類を月に送ると約束した。他方、池田総理は十年で国民所得を倍増し、1964年の東京オリンピックで、自信を取り戻した日本の姿を示すことを誓った。

両首脳は共に、自らのビジョンに強固な日米関係が欠かせないことを理解していたが、この同盟が両国国民の心の結びつきを伴わないものではと憂慮していた。政府高官は、ソ連の投げかける脅威と日米両国の緊密な経済協力がもたらす機会を認識していたが、国民同士は互いを知らなかった。

池田総理とケネディ大統領は共同声明の中で、新たに三つの合同委員会を設立し、日米関係の基盤を強化する方途を検討することに合意した。一つは貿易・経済問題の検討を行う委員会、もう一つは科学技術上の協力を促す委員会であり、残る一つは、「両国の間の文化および教育上の協力の拡大を検討する」委員会とされた(1)。この三つ目の委員会が、やがて日米教育文化交流会議(略称カルコン)として知られることになる。

カルコンを通じて、日米の財界・教育界・芸術界のリーダーが両国政府関係者と協力し、日米間の文化・教育分野でのつながりを拡大する機会を発掘しようと努めた。カルコンは、両国の大学・図書館の協力、学生および全国ないしは各地で評価の高い芸術家の交流、日本での米国研究および米国での日本研究に貢献した。両国の安全保障関係が成熟し、経済的な結びつきが強まるにつれ、太平洋を越えた文化・教育分野のつながりが、あらゆるレベルで有機的に拡大した。カルコンは、両国国民の強い連携を保つ方途の検討を続けたが、当初の使命はおおむね達成された。両国の国民は、お互いをとても良く知り合うようになったのである。

1 ジョン・F・ケネディ大統領文書、池田総理との会談後の共同宣言(1961年6月22日)。

新しい視点

カルコン委員会は、設立以降世界的な環境に生じて来た変化を認識し、カルコン設立50周年が近づきつつある今日、日米関係全般における文化・教育分野の役割および今後のカルコンに相応しい役割を、大局的な視点で新たに見直すことを決めた。

文化と教育がそれ自体価値を有することに異論の余地はないが、両国間の文化・教育問題の重要性は、日米関係全体の政治的・経済的文脈に照らしても評価する必要がある。池田総理とケネディ大統領の会談以後、日米関係は目覚しい変化を遂げたが、その変化の前提には、両国が共有する民主主義の伝統に立脚する日米同盟は両国の繁栄と安全保障に必要不可欠なものだという根源的な認識が存在する。今日、米国と日本は世界第一位、第二位の経済大国である。1980年代の円高以降、日本は多額の対米直接投資を行った。米国では当初、これを警戒する声もあったが、今では米国各州で何万人もが日本企業に雇用され、日本企業を地域社会の貴重な一員とみなしている。米国の対日直接投資は従来、米国経済への日本資金流入に比してはるかに規模の点で劣っていたが、その投資も増加しつつある。あまり知られていない話だが、2006年に米国企業は対日投資を通じ、対中投資の四倍もの利益を上げている。

政治・安全保障面でも、同じく驚くべき変化が起こっている。池田総理とケネディ大統領は当時、「同盟」という言葉は日本で非常に問題があると思われていたため、共同宣言の中で日米関係を「パートナーシップ」と呼ばざるを得なかった。しかしながら、日本国民は、テロとの戦いにおけるインド洋での後方支援、および、イラクにおける人道・復興支援のために自衛隊を海外派遣することを支持した。G8やアジア太平洋経済協力会議(APEC)、北朝鮮問題をめぐる六カ国協議では、日米の外交官が、アジアと世界の平和と繁栄を促進するための戦略を調整している。最近の世論調査によると、米国の政策関係者の92%が、「信頼できる」同盟国として日本を信用していると回答した。

だが、あらゆる面で日米関係の緊密化が進んだにもかかわらず、両国を取り巻く世界はそれ以上に急速に変化しつつある。グローバリゼーションにより、半世紀前は想像もできなかった新たな起業機会が出現した一方、新しい経済の中で自分の居場所を確立できない先進国・途上国の労働者は、不安を感じている。中国経済の台頭は、何億人もの人々を貧困から救い出し、アジアの統合に寄与しているが、同時にパワーバランスの変遷のみならず、環境・エネルギー・食品の安全性、透明性といった面でも、日米両国に新たな課題を突きつけている。

現在は、気候変動が日米の政治指導者の議論の中心になっているが、これが複数の世代にまたがる課題であることや、効果的な国際協力の仕組みの欠如により、具体的対応が遅れている。世界的に貧富の差の拡大が進み、突然かつ想定外の事態として、世界の食糧供給が脅かされているにもかかわらず、先進国の対外援助活動にはほとんど変化が見られず、関係国政府はドーハ開発ラウンドの貿易協議妥結に向けて努力を続けている。先日の四川省地震やミャンマーのサイクロンが人々にもたらした壊滅的な悲劇により、中国、ミャンマー、その他の国々の無数の弱者の窮状が浮彫りにされた。これらの課題はどれも、個別に対処できるものではない。問題の根は互いに結びついており、国際社会の協調的行動が求められている。

また以上の課題はどれも、日本や米国単独では解決できるものではない一方、国際社会にしても、日米共同のリーダーシップなしには解決できない。けれど、日米同盟に大きな進歩が見られ、日米関係がかつてなく強固な状態にあることは大方の認めるところではあるが、両国国民は実際、ある重要な問題をめぐり、またしても不安に捉われている――それは、自らの理念・価値観に基づく説得力の有効性という問題である。まさにこの分野で、カルコンは触媒として重要な役割を果たすことができる。

日本の場合、経済面で米国に追いつくという戦後の目標を達成し、現在は過渡期に突入している。日本は規制緩和を進め、小さな政府への転換を図り、世界情勢の変化の文脈の中で自らの目標を見直す過程にある。もとより、こうした変革期には、何らかの不安や方向性の喪失が生じる。経済が活力に満ちていた時期に比べ、時代の重要な論議の中で日本の知的・思想的リーダーの存在感は薄れている。米国の大学では中国・インド・韓国からの留学生が急増している一方、日本人学生はかつてほど留学に積極的ではない。イギリス放送協会(BBC)などが実施した年次世論調査によると、日本は今も世界で最も尊敬されている国の一つだが、国際的な議題を設定する日本の能力は衰えていると見られ、世界における日本の存在感が低下しつつあるとの懸念を呼んでいる。

かたや米国では、9.11同時多発テロ後の政策転換の影響、困難な中東情勢、サブプライムローン危機、ドル価値の下落などにより、国際世論における米国の地位が低下したという国民の認識が、不安をもたらしている。実際には、東アジアの大半で米国は以前と変わらぬ信望を得ているが、他の地域では、米国のイメージが批判を浴びている。これに対し、米国のシンクタンクは「スマートパワー」研究プロジェクトを立ち上げ、国務省はパブリック・ディプロマシーの推進に取り組んでいる。こうした世界の中での米国の役割に対する認識の変化が、日米関係にも影響を与えている。

日本と米国がどれだけ国際社会で知的リーダーシップを発揮し得るかは、両国間の知的交流がどれだけ活発であるかにもよるところが大きい。日米の活発な知的交流は、国際社会に新たなアイデアを育む手段となる。両国の交流を通じて、海外世論を形成できる国際人が育ち、日米パートナーシップの基盤が強化される。同時に、知的交流は、両国の文化交流からエネルギーを引き出し、教育交流を通じて次世代のリーダーを見出し、草の根協力という幅広い基盤を足がかりにしていく。

だが、両国の指導者層の知的交流について、交流自体が減っているとは言えないかも知れないが、その密度が不確かなものになりつつある傾向が憂慮される。かつての競争的摩擦の時代を通じて、密度の濃い知的交流が盛んに見られた。これに対して、昨今は大衆レベルのコミュニケーションが増大しているにもかかわらず、指導者層の交流に陰りが生じている傾向に、カルコンは懸念を抱いている。

新たな使命

このように強固なパートナーシップの反面、知的交流にほころびが見られる状況を背景に、カルコンは日米の文化・教育交流の現状の再検討に着手した。

今回の会議の準備過程で、両国の文化・教育交流のいくつもの具体的分野が明らかにされた。それぞれの分野について、その活動内容、相対的な強み弱みが評価され、各分野の改善に向けた提言が出されている。カルコンがこの報告を発表するのは、各分野の専門家・リーダー層に対し、日米関係というより大きな枠組みの一環として各々の活動の質を大幅に高める手段に目を向けるよう、注意を喚起するためである。

日米二国間関係、その世界的な意味合い、そしてカルコンにとって差し迫って何より重要なのは、二つの分野の強化である。すなわち日本については、対米関係をはじめとする世界の舞台において自分の意見を発信し、力量を発揮する能力を、明晰かつ見識のある次世代のリーダーを育成することにより強化して行くことである。米国について、カルコンにとり喫緊かつ最重要な課題は、あらゆる分野で若い世代が日本に関心を抱き、我々が直面する多くの課題の中で日米がパートナーシップを強化することができる分野を見出せるよう、促すことである。

2008年は、日米修好通商条約締結から150周年に当たる。これはまさに、あらゆるレベルで日米同盟の再活性化・見直しを図る絶好の機会である。さらにカルコンは、極めて重要な意味を持つ文化・教育・知的交流の先導役としての自らの使命を、改めて確認しようとしている。こうした交流は、過去半世紀にわたり両国の関係強化をもたらしてきたし、今後も世界的な環境の中で両国の絆をさらに強いものとするであろう。次に示す政府・一般市民のための具体的な行動提言は、以上のような精神に基づくものである。

政策提言

カルコンは両国の歴史と文化の相違を尊重しつつも、日米間に共有の価値と民主主義的伝統が存在するという明確な認識に基づき、日米関係全般に大きな意味合いを持ち好ましい影響を及ぼすであろう数々の活動について、次の五つの提言を行う。

  1. 政策対話機会の増大、両国間の有識者ネットワーク拡大、メディア交流の更なる推進を通じ、知的交流を促進する。
  2. 日米の若者の言語教育、異文化コミュニケーション能力に焦点を置いたプログラムを通じた、米国国民の日本に対する関心、日本国民の米国に対する関心を持続的に醸成して行く。若い世代の言語教育、教師の育成、高校・大学レベルの留学に対する投資を行なう。
  3. 現存の草の根交流を一層定着させると共に、日米それぞれにおいて、従来相手国の社会との接触が限られていた地域における交流を強化する。
  4. 日米の芸術・文化交流に関わる営利・非営利両分野の多様なアクター間の、ネットワーク形成の支援・促進
  5. 狭義の「文化・教育」を超えた交流拡大の検討。ただし、建設的なコミュニケーション機会を生み出す分野を中心とする。

以上全ての分野に関し、カルコンは具体的なプログラム支援に加え、キャパシディビルディング支援を促す。また、交流活動に携わる関係者の範囲を更に拡大することも、必要不可欠である。日米交流の中核機関、すなわち過去60年に及び両国の知識人・指導者層の間に持続的な人間関係を育み深い専門知識を発展させてきた機関が、主として財政不安の増大により、経営難に陥っていることに、カルコンは懸念を抱いている。これらの機関は総体として、両国の文化・教育交流および知的交流を維持する上で、極めて重要なインフラを構成している。そのためカルコンは両国に対し、これら機関の存続に最大限の努力を払うよう求める。両国政府は、中核となる資金の提供者として、枢要な役割を担っている。カルコンは、これらの機関の要請により一層の注意が払われることを求める。カルコンは、このことを両国政府に求める。さらにカルコンは、日米の民間部門、とりわけ日本の民間部門に対し、こうした交流活動への参加と支援をCSR(企業の社会的責任)活動の一環として盛り込むよう求める。また日本政府に対し、これら重要な中核機関を通じた民間支援の拡大を可能にするために、税制優遇措置に柔軟性を持たせ、民間による交流活動支援を促進するよう要請する。

政策提言を含む「日米関係再定義」全文【PDF:346KB】