オハイオ州での1年

ペリー・ハイ・スクール
廣池 桜子

オハイオ州について

私の任地、オハイオ州は、米国有数の穀倉地帯、コーンベルトに位置する自然豊かな州です。農業を主要な産業としており、州の面積116.096平方キロの約42%を農耕地が占めています。とうもろこしや大豆の生産が盛んで、車を走らせると、いたるところに広大な畑が見られます。また、全米有数の工業州でもあり、特に、自動車産業に関しては、ミシガン州に次いで活発な州です。州都コロンバスには日系の自動車工場があり、日本人も多く住んでいます。
オハイオの教育制度は、初等教育、中等教育、高等教育の3段階に分かれているところは、日本と同じですが、学区によって学年制が異なっています。教える内容については、中等教育までは州の監督下にありますが、細かな内容については各学校の裁量に任されています。
州全体をみると、在留邦人の数は8400人強と、州全体の人口(約1161万人)に占める割合としては多いとは言えませんが、日系企業との関わりが深いためか日本語教育への関心は高く、21校の初・中等教育機関、23校の大学及び短期大学で日本語が教えられており、合計3600名程度が日本語を学習しています。
学習目的は学習者により様々ですが、アニメやゲームなどのサブカルチャーをきっかけに日本語や日本文化に興味を持ち、学習を始める人が多い印象を受けます。また、歴史、音楽等、もともと興味を持っていた分野を通じて日本の文化に出会い、日本語の学習を始める人もいるようです。

ペリー高校の日本語教育

ペリー高校は、1956年に設立された、学区唯一の公立高校です。教員数は85名前後、学生は約1550名です。人種の内訳は、白人の生徒が90%と最も多く、残りの10%をアジア系、黒人、ヒスパニック、ネイティブアメリカンの生徒が占めています。学校全体の傾向として課外活動が活発で、二つ以上のクラブに所属している生徒も少なくありません。近隣ではレスリングや、ソフトボールなどの強豪校として知られています。昨年度はフットボールチームが州大会の決勝戦まで勝ち進み、コミュニティ全体が大いに盛り上がりました。
日本語の授業は1から4まであり、合計約120名の生徒を、リードティーチャー(以下、LT)のクレイマー先生と、アシスタントティーチャー(以下、AT)の私の、二人で教えています。教科書の使用は補助程度にとどめ、基本的に教科書「今(いま)」をもとに作られたワークシートにそって授業を進めています。
ATの主な業務としては、ひらがな・カタカナ・漢字などの文字の教授、ビジュアルプロンプトや文化紹介のスライドなどの教材作り、作文添削などがあります。また、LTとともにレッスンプランを考え、LTにアクティビティやゲームなどのアイディアを提案することも、ATとして大切にしている仕事の一つです。

授業外の活動について

授業以外では、勤務校と、隣接するインターミディエイト・スクールで月一回ずつ日本語クラブを行いました。日本語クラブでは、七夕、福笑い、節分など季節の行事に加え、書道・折り紙教室、「だるまさんがころんだ」、手相撲などの遊び、日本料理の体験など、LTとともにアイディアを絞って、色々なイベントを実施しました。
夏季休暇に入ってからは、 オハイオ州外国語協会(OFLA)の主宰する1週間の外国語キャンプに参加し、小・中学生に日本語・日本文化を教えました。キャンプでは「ジャパニーズ・ナイト」という日本文化紹介イベントの運営に携わり、生徒とともに日本の料理を作って参加者に振舞ったほか、阿波踊りや紙芝居、十二支や漢字の成り立ちなどを披露しました。このイベントを通じて、日本語の生徒だけでなく、他の言語のキャンプに参加している生徒たちにも幅広く日本の文化に触れてもらうことができました。
また、ケント州立大学で行われた、高校生を対象とする5週間の夏季日本語プログラムには、アシスタントとして参加し、授業をサポートしました。このプログラムは初級日本語の授業をメインとする内容でしたが、映画館での日本のアニメ映画鑑賞会や、JOIコーディネーターの方を講師とした書道・茶道のクラスなど、生徒に日本文化を体験してもらう機会にも恵まれました。日本語の学習と合わせて、生徒にとっては貴重な文化体験の機会になったのではないかと思います。

1年目を終えて

この1年は、古き良きアメリカの風景や文化が残るオハイオで過ごし、アメリカの文化をたっぷり経験できた年になりました。赴任前は地図の上の記号でしかなかった「オハイオ」という地名が、くっきりとした輪郭をもった、単なる言葉以上の概念として自分の中に根付きつつあることに小さな感動を覚えます。
2年目の大きな目標は、私が去った後も勤務校で使える教材やリストなどをできるだけ多く作るとともに、それらをJ-LEAPに参加する学校にシェアすることです。私がいなくなった後も、J-LEAPに参加する学校のより良い日本語学習の環境づくりのために貢献することが、私のATとしての責務だと考えています。また、勤務校、近隣の日本語プログラムを有する大学、習い事、近所の人達など、いろいろなコミュニティの人達とより強いつながりを築くことも、目標の一つです。赴任当初は特に、コミュニティの中に踏み込んで人と関わることにためらいがあったのですが、どこにいっても暖かく受け入れてくれるオハイオの人達との関わりを通じて、一人一人と真摯に向き合い、より強いつながりを築いてきたいと思うようになりました。残りの1年で、教師としてはもちろん、一人の人間としても成長できるよう、一つ一つの出会い、機会を大切に、毎日を過ごしていきたいと思います。

  • 派遣先での写真1
  • 派遣先での写真2

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