1年を振り返って

アポクイニミンク・ハイ・スクール
宮澤 あかね

タックスヘブン デラウェア州

デラウェア州はアメリカ東部にある州です。よく「first state」として知られていますが、アメリカ合衆国憲法を1787年に批准した際に、連邦加入に関わる書類にどの州よりも先にサインしたため、そのように呼ばれているようです。面積はとても小さく、50州のうち2番目に小さい州です。他の州に比べ会社の設立が容易と言われる理由は、デラウェア州会社法にあります。他の州に比べ税金が低いため、わざわざデラウェア州にきて買い物をしたりする人もいます。このため「タックスヘブン」とも呼ばれています。ワシントンDCとニューヨークの間にあり、どちらにもバスで2時間から3時間ほどで気軽に行けるため、アメリカに英語を学びに来ている学生の滞在先としても人気のようです。
デラウェア州にあるデラウェア大学では日本語専攻があり、神戸、東京、福岡、秋田に留学するプログラムもあるようです。また、デラウェアから車で1時間ほどのペンシルベニア州フィラデルフィアに、フェアマウント公園があり、その中にある松風荘ジャパニーズハウスアンドガーデンでは毎年アメリカ人の小学生向けに一ヶ月ほど日本語キャンプが行われています。1週間ごとに内容が変わり、ボランティアで参加している高校生たちも日本文化に慣れ親しんでいるようでした。

6年生で始まり、12年生と終わる毎日

私の派遣先はAppoquinimink高校ですが、午前中は同じAppoquiniminkディストリクトにあるミドルスクールにも通っていました。朝はまず6年生と40分、8年生と40分授業をやり、2クラスが終わったらAppoquinimink高校に移動します。高校ではプランニングの時間に授業準備をした後、90分2コマがありました。レベル3が1クラス、レベル4とAPは合同のクラスでした。 日本語を担当している教師は私のリードティーチャー(以下、LT)のみで、2017年4月から6月にかけて高校で日本語の授業をとっていた生徒は、レベル3から4、APの25人程です。(4月以前に受講していたレベル1、2の生徒は派遣期間の都合により、私は教えていません)使用教材はアドベンチャーの教科書に沿って教えています。とても興味深かったのは、朝6年生から始まるので、板書は勿論ローマ字書き、説明もほとんど英語です。1日の終わりは12年生のAPクラスなので、板書は漢字、説明も日本語でした。頭の切り替えが大変でしたが、6年生の児童がいつか12年生の生徒のようになるかと思うと、人間の成長を短期間で見ているようで面白かったです。

キャンプをきっかけに日本へ

派遣先のデラウェア州の隣にある、ペンシルベニア州フィラデルフィアで日本語キャンプがあったので、ボランティアとして参加させて頂きました。参加者がまだ日本語を勉強したことのない小学生ということで、日本語の導入としていくつか簡単な挨拶や数字、日本の文化紹介等をしました。車のメーカーやジブリ映画など、既に日本について知っている児童もたくさんいて、とても嬉しかったです。また、山や木など、絵から連想できる漢字を10個導入しました。まだひらがなも読めないのに早いかとも思いましたが、絵と一緒に覚えたら簡単だったようで、漢字ゲームも盛り上がっていました。特に印象に残ったのは、ボランティアとして参加している高校生の生徒たちでした。彼らも小学生の頃からその日本キャンプに参加していたようで、今では日本文化を教える側になり、小学生の子供たちにプレゼンテーションをしていて、中には私よりも日本の伝統的な家の隅々まで詳しい生徒がいて、長い期間日本文化に興味を持ち続けてくれていることにとても感銘を受けました。そのうちの一人が日本の大学への留学を考えているようだったので、このようなキャンプをきっかけに日本に飛び出す生徒がいるんだと思うと、将来のためにこれからもしっかりと日本語や日本文化の紹介を続けていこうと思いました。

私の”セカンド”ステイト、デラウェア

私は幸運にも、最初の一年で二つの州、二つの高校を体験することができました。この経験を通して感じたことは、本当に州や学校によって状況が異なるということです。日本の教育現場のように国全体が文部科学省のカリキュラムに沿って教えるのではなく、州やディストリクト毎に日本語教育のカリキュラムがあり、それに沿って教えているので、色んな教え方を学ぶことが出来ました。
一年目は色々と大変なこともありましたが、全て良い経験になったと思っています。特に一人で教える練習をした際に、クラスルームマネジメントの方法を学べたのはよかったです。生徒へ指導することは私の教育実習の時からの課題だったので、今は大分自信がついて来ました。また、ピンチをチャンスに変える癖を身につけました。例えば急に一人で授業をやらなくてはいけない状況になった時に、焦るのではなく、自分で教えるチャンス!と前向きに捉えることができるようになりました。
2年目は、部分的にしか担当してこなかった授業を組み合わせて、全体を見渡せるようになれたら良いと思います。将来一人で教えることになったら、ということを常に意識し、全体の流れや授業以外のLTの仕事にも目を配ったり、先生方とのミーティング等にも積極的に参加していきたいと思います。

  • 派遣先での写真1
  • 派遣先での写真2
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