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納土知樹さんの写真
日本国旗

日本 → 米国ワシントン州シアトル市

納土 知樹さん

知識や経験が乏しくても、
恐れず海外に飛び出せば道は拓ける

アメリカの日本語教育への支援と日米の文化・人材交流を目的に、国際交流基金が全米各都市の初等・中等教育機関に日本人アシスタントティーチャー(AT)を2年間派遣する「J-LEAP(米国若手日本語教員派遣事業)」。ATは派遣先で、日本語授業の補助活動をはじめ日本の文化や社会に関するプレゼンテーション、イベントなどに取り組む。J-LEAPに参加し「アメリカで日本語教育に携わる」ことでできる経験、得られることは何か。2016年7月に2年間の活動を終えた納土 知樹さんにインタビュー。

日本語教師の道に進むためのチャンスを逃すわけにはいかない

語学教育に力を入れる大阪府立枚方高等学校国際教養科から、関西外国語大学の外国語学部英米語学科に進学――。この学歴から、英語力を生かす仕事を志望していたのではと思いきや、納土さんは大学在学中から日本語教育に関心を持っていたのだという。

「大学で英米語学科を専攻し、教職課程を取ってはいたものの、中学、高校と英語が得意ではなかった自分が生徒に教えるのはどうかと思っていました。逆に、国語が得意だったこともあり、日本語なら自信を持って教えられる気がして、日本語教師を目指そうという気持ちが強くなっていったんです」

そこで、在学中に日本語教育能力検定試験を受験。みごと合格を果たし、日本語教育の分野でどんな仕事ができるか本格的に探し始める。その過程でJ-LEAPの存在を知った。

「国語の教職課程を取っていない、日本語教育養成講座も修了していない僕が、J-LEAPの選考にパスする確率は果てしなく低いことはわかっていました。でも、日本語教師の道に進むためのチャンスを逃すわけにはいかない。アメリカの学校で日本語を教える自分の姿を思い描き、熱意が伝わることを願いながら抱負や将来設計などを書いて応募したんです」

日本語教育に関する課程や講座を修了していなくても、日本語教師になりたいという願望と日本語を教える意欲は人一倍ある。そんな納土さんの思いはかなう。J-LEAP4期生の一人として、2014年の夏にアメリカへ派遣されることが決まったのだ。

先生ぶらず、自分も「教わる」というスタンスで生徒と向き合う

アメリカ西海岸のワシントン州シアトル市にあるチーフセルスインターナショナル高校。そこが納土さんの派遣先だ。チーフセルス高校の生徒数は約1200人。選択科目とされる外国語は日本語の他にスペイン語、中国語、アラビア語がある。納土さんがATを務めた2014~2016年は、日本語を履修した生徒は120~130人だった。

納土さんの派遣先、チーフセルスインターナショナル高校の写真納土さんの派遣先、チーフセルスインターナショナル高校。

「日本語の授業は毎日あり、リードティーチャー(LT)とATが2人で教案を考えてチームティーチングに臨みます。チームを組んだアメリカ人LTは新しい試みを取り入れたいという考えの持ち主だったので、僕も積極的にアイデアを提案するよう努めました。

授業は日本語を教えることが全てではありません。日本の文化や最新の情報を紹介することも、日本人ATの重要な任務です。たとえばある時は、日本人が持つ謙遜の精神について話をしました。生徒たちは日本人のメンタリティをなかなか理解できないようでしたが、少なくとも関心は持ってくれましたね。彼らは授業が面白ければ反応してくれるし、つまらなければ『面白くない』とはっきり言います。そこはシビアです」

シアトルといえば大リーグのイチロー選手がかつてシアトル・マリナーズで活躍し、任天堂の子会社や紀伊國屋書店などもあるが、チーフセルス高校で日本語を履修する生徒たちの日本に対する知識や関心はどうなのだろう。

「アニメや漫画、ゲームなどのポップカルチャーをきっかけに日本のことを知るようです。ただ、日本に関する知識が多少あるとはいえ、日本語への興味から日本語を選択したという生徒はあまりいなかったと思います。

中には、日本語のクラスを取っていながら頑なに日本語を話そうとしない生徒もいました。チーフセルス高校があるウエストシアトルは移民が多いエリアなんですが、その生徒はヒスパニック系で、家族間で使う言語はスペイン語。彼を授業に引き込むために、僕は『この日本語はスペイン語でどう言うの?』と日本語で質問する作戦に出たんです。そうすると彼は僕が言ったことを推察して、スペイン語を教えてくれます。日本語とスペイン語でのやり取りを通して、彼の中に少しは日本語をインプットできたのではないか……。そう願いたいですね」

納土さんには、生徒と向き合う時に心がけていたことがある。それは、先生ぶらず、生徒と同じ目線に立つという姿勢。

「僕は日本語を教えることはできるけれども、英語やスペイン語、アメリカ文化については知識が十分ではないから、みんなと同じ教わる立場である――そういうスタンスで生徒と接するようにしていました。僕が質問すると、彼らはちゃんと説明してくれます。日本語が話せる生徒は日本語で教えてくれたり、通訳してくれたり。生徒と同じ目線に立ち、自分から寄っていくことで、コミュニケーションをより深められた気がします」

J-LEAP活動中のリードティーチャーと納土知樹さんの写真チーフセルスインターナショナル高校のリードティーチャー。彼と一緒に教案を考え、チームティーチングをしていた。

「アメリカの地で日本の文化を伝える」ことの意義と重要性を学んだ

ATが担当することは日々の授業だけではない。校内行事や学外イベントに参加し、日本文化をプレゼンテーションすることも大切な活動だ。

「たとえば、各言語クラスの生徒たちがそれぞれの国の歌やダンスを発表したり料理を作ったりする『多文化の夜』というイベントがあります。日本語クラスは有志で盆踊りを披露しました。こういった校内行事も、日本の文化を発信する機会になっているんです。

日本独特の慣習に関してはもしかすると、生徒たちが『不思議』『変わっている』と感じたものもあったかもしれません。でも僕は、それはそれでいいと考えていました。アメリカで日本語や文化を教えることの意義は、単に日本に関する知識や理解を深めてもらうことじゃないと思うんです。生徒にとって日本語や日本文化を知ることが、自国の文化や自分のルーツを見つめ直すきっかけになれば。それこそが大事じゃないでしょうか」

アメリカに赴いて日本語を教える、日本文化を伝えることの重要性は、生徒や教師たちとの関わりの中から学んだことでもある。また、J-LEAPに参加したことで「国際交流」の捉え方にも変化があったようだ。

納土知樹さんと生徒の写真チームティーチングでは個別指導の機会が増えるため、個々の生徒の質問にも答えることができた。

「実を言うと、自分の中で国際交流の定義がはっきりしていなかったんです。今回、J-LEAP参加者の一人として感じたのは、『国際交流に努めなければ』と大上段に構える必要はないということ。異なる国の人同士が出会い、お互いを知り、一人ひとりがつながることが、結果的に国際交流に結びついていくのではないかと今は思っています」

アメリカで暮らし活動した2年間で「視野が大きく広がった」と話す。それだけ得たことも多かったに違いない。

「ワシントン州日本語教師会が毎年、ワシントン州の高校で日本語を履修している生徒を対象に、書道や茶道、合気道、和太鼓などの文化的なアクティビティを体験しながら日本語のみを使って過ごす『イマ—ジョンキャンプ』を開催しています。その企画運営を、コミッティーの中心となって担当したことは大きな収穫の一つでしたね。日本語教育の機会を提供する立場としての活動にも関わることができたからです」

イマ—ジョンキャンプをディレクションした経験を今後に生かしていきたい――。次に目指す方向は見え始めている。

「日本語を教えるスキルをブラッシュアップすることはもちろんですが、一方で、教育の機会を提供する側で運営に携わりたいという気持ちも芽生えています。学校の枠を越えた、地域単位の日本語教育プログラムを立ち上げることはできないだろうか……。今、そんなことを模索しています」

そして、納土さんはこう続けた。

「知識や経験が乏しくても、勇気とバイタリティさえあれば、海外でもできることは決して少なくありません。恐れずに行動を起こせば、必ず道は拓ける。未熟だった僕がJ-LEAPにチャレンジして得た実感です」

2016年8月

  • 米国若手日本語教員(J-LEAP)派遣事業
  • J-LEAP4期生ブログページ
納土知樹さんの写真
Profile
納土 知樹(のうど ともき)/1991年、大阪府生まれ。大阪府立枚方高等学校国際教養科から関西外国語大学外国語学部英米語学科へ。大学卒業後の2014年7月にJ-LEAPのアシスタントティーチャーとして米ワシントン州シアトル市のチーフセルスインターナショナル高校に着任。2年間の活動を終え、2016年7月に帰国。

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