国際交流基金賞50周年記念 ピーター・コーニツキーさんからのメッセージ

ピーター・コーニツキーさんの写真

平成4(1992)年度 国際交流奨励賞

ケンブリッジ大学名誉教授/日本研究

ピーター・コーニツキー

[英国]

1976年、幸いにも国際交流基金の日本研究フェローシップを受賞することができた私は、同年9月、日本に旅立ち、京都大学人文科学研究所でその後18カ月を過ごしました。それより以前は、1970年に2カ月、また1972~73年の1年間も東京で過ごしました。ですので、京都での最初の問題は、関西弁に慣れることでした。京都大学の講義やセミナーは当たり前のように関西弁で行われていたからです。当時、英語で書かれた関西弁の学習書はなく、耳で覚えるしかありませんでした。

オックスフォード大学での博士論文のテーマは、尾崎紅葉の小説と江戸時代の文学の関連性でした。そのため、もっぱら文学部と中央図書館の資料を活用し、仕上がった章からタイプで打って博士論文を仕上げようとしていました。ですが、そのうちの1章は、書き直す羽目になりました。新幹線で原稿を入れたブリーフケースを置いたまま、食堂車に行ってしまったのです。戻るとブリーフケースが消えていました! 大惨事ではないにせよ、この事件は面白い顛末を迎えました。京都駅の交番に盗難の届け出を出しに行くと、担当の警官は、両足を机の上に乗せネクタイをゆるめ、全く興味がなさそうな様子だったのですが、私が京都大学に在籍していると知った途端、やおら立ち上がってネクタイを直し、お辞儀をしてすぐに捜査すると約束してくれたのです。結局、ブリーフケースは戻ってきたものの、1章分の原稿は見つかりませんでした。

京都での18カ月が、私という人間の基礎を形作りました。関西弁や日本の大学と図書館の仕組みに慣れ、素晴らしい友人と出会いました。彼らとは今も連絡をとりあっています。そして何よりも研究者としてのキャリアを歩みだし、やがてタスマニア大学、再び京都大学(今度は助教授として)、最後にはケンブリッジ大学にたどりつくことになったのです。当然、国際交流基金には大きな恩義を感じています。フェローシップなしには、日本でこれほど長く有意義な時間を過ごせなかったでしょう。心から感謝しています。

長年にわたり多くの人が国際交流基金に支えられてきました。これからも若手研究者が、私と同じように日本で研究するチャンスを手にできるよう切に願っています。1992年に林望教授と私は、ケンブリッジ大学図書館のアストン・サトウ・シーボルト・コレクションの総合目録に関する共同事業で国際交流奨励賞を受賞したのですが、東京で行われた授賞式で、私たちはちょっとした混乱をまき起こしました。林教授は英語で、私は日本語でスピーチをしたのです!また私たちは、天皇皇后両陛下のご接見を賜る機会を得、昭和天皇が皇太子時代の1921年にケンブリッジを訪問された際、ケンブリッジ大学付属図書館に寄贈された書籍を記録した目録の項目をお見せすることができました。両陛下は興味を持って御覧下さいました。

ピーター・コーニツキー

(原文 英語)

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