国際交流基金賞50周年記念 王 勇さんからのメッセージ

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平成27(2015)年度 国際交流基金賞

浙江大学 アジア文明研究院 副院長、浙江大学 日本文化研究所 所長

王 勇

[中国]

ブックロードに結ばれたご縁

1973年に創設された国際交流基金賞はめでたく50周年を迎えることとなり、2015年度の受賞者として、中国・杭州より熱烈な祝意をお届けいたします。

国際交流基金は1980年に中国における日本語教師養成のため、北京に「大平学校」を設置しました。わたくしはその四期生で、一年間ネイティブの日本語授業を受けました。それが基金とのご縁の始まりであるとともに、世界をのぞく窓をひとつ開いてくれました。

一、言語の壁

言語は不思議な二面性を持つものであります。対内的にはコミュニケーションの媒介として、人びとの意思疎通や知識授受を有効に働かせる一方、対外的には相互理解や情報伝達を大いに阻害します。

『旧約聖書・創世記』の記述を借りますと、元々「同じ言語を話す」人類はすごいパワーを発揮し、天国にも届くバビロン塔を建造しようとしましたが、危機を感じた神様が人類に別々の言語を話させ、意思疎通が出来なくなった人類はしだいに分裂し、バビロン塔の建造を放棄したそうであります。

神話伝説はともかく、「同じ言語を話す」ことは古今東西を問わず、人類の求めつづけた美しい夢であることに間違いありません。遠くは19世紀末、ポーランド人ザメンホフがその崇高な理想を抱いて、エスペラント語を発明し、近くは20世纪末、フランス人ポール・ネリエールがGlobalEnglishを合わせて、Globish、つまり地球語を開発したことは広く知られています。

浮き草のような人造世界語に比べて、多国語を習得することはより現実的であり、無碍な言語交渉によって、政治・経済・文化の摩擦が多少なりとも解消できると思われます。

そこで、基金が一貫して日本語の国際教育をつよく支援し、「国際交流」という創立主旨を具現した功績に、その恩恵を蒙った一人として、賛辞を送りたいものであります。

二、基金とのご縁

1985年、「大平学校」の進化版とも言うべき「北京日本学研究センター」が設立され、わたくしは大学院の一期生として入学しました。石田一良、源了圓、池田温、戸川芳郎、上原昭一、辻惟雄、吉田煕生、林四郎など、各分野の一流学者を目の前にして生声の講義を受けられることは幸せの至りで、今でも昨日のことのようにありありと覚えております。

わたくしは日本文化コースを選んだので、日本思想史、日本美術史の講義はもちろんのこと、日本文学と日本社会の授業や講座も時々傍聴しました。新鮮さや刺激感に満ちた、夢のような二年間でした。上原昭一先生の仏像彫刻の授業を聞いて、辞書類などで払子と混同されがちの「麈尾」について調べ、レポートをまとめ、宿題として提出したところ、上原先生はささやかな「発見」にもかかわらず、参考資料を提供し、レポートの論文化を勧めてくださいました。幾度か改稿のすえ、1987年に「麈尾雑考」と題して『佛教芸術』(毎日新聞社)175号に掲載されました。これは修士課程のわたくしにとっては、日本語学習者から歴史文化研究者への転身を意味する、記念すべき体験であります。ここでつくづく感じましたのは、国際交流に深い理解と高い見識を有する多数の日本研究者が基金を支え、基金のパワーの源となっているということであります。

縁が縁を生むという通り、1986年に石田一良先生を追慕して日本に留学しました。そして、石田一良先生と沈善洪学長の支持をえて、1989年に杭州大学(今は浙江大学)に日本文化研究所を創設し、本格的に研究者への道を一歩踏み出しました。

基金とのご縁がその後も続きます。深く印象に刻まれた出来事を一件のみ挙げましょう。

1991年9月、基金の海外日本研究支援事業として、日本文学研究の世界的大家であるドナルド・キーン先生を講師に迎え、杭州大学で日本文学の集中講義をしていただきました。内容は明治文学、日記文学、欧米の日本文学研究史など多岐にわたりますが、金髪碧眼のアメリカ人が流暢な日本語に標準な中国語を交えて、日本文学を縦横に語る風景は、杭州に一大旋風を巻き起こしました。この貴重な講義録は十数年後の2003年に、『日本文学は世界のかけ橋』(たちばな出版)と題して刊行されました。それも基金のご縁にて結実した国際交流の成果でありましょう。

三、書籍の道

研究者としての道のりをみずから振り返ってみれば、いくつかの転換がありました。日本古代史から中日文化交流史、さらに東アジア文明史へと研究の視座が移り変わってまいりました。『聖徳太子時空超越--歴史を動かした慧思後身説』(大修館書店、1994)と『天台の流伝--智顗から最澄へ』(共著、山川出版、1997)は日本古代史の範疇に入り、『唐から見た遣唐使--混血児たちの大唐帝国』(講談社、1998)と『おん目の雫ぬぐはばや――鑑真和上新伝』(農文協、2002)は中日文化交流史に重点を置き、21世紀から朝鮮半島やベトナムを視野に入れて東アジア文化交流史へと領域を広げてまいりました。

2015年度の国際交流基金賞受賞の理由として、「ブックロード」の提唱が挙げられております。ブックロードとは、東アジア諸国の文化交流はシルクのような物資文明が主流ではなく、書籍に象徴される精神文明が主役なのだという主張であります。この学術概念の提唱も基金の国際交流支援事業と深いかかわりを有します。

基金の支援事業の成果として刊行された『中国典籍在日本的流伝與影響』(杭州大学出版社、1990)や『中日漢籍交流史論』(杭州大学出版社、1992)などを見てもわかるように、1997年に「ブックロード」を学界に提唱するまでの10年近くは従来の日本研究と一風変わった、書籍交流を中心とした孤独な模索に、基金が理解と支援を惜しまなかったことはとくに貴重であります。

2018年8月、米国のカリフォルニア大学バークレー校で、国際シンポジウム「シルクロードからブックロードへ」が開催され、わたくしは「八世紀のブックロード」と題して、基調講演をいたしました。世界各国の研究者に向かってブックロードを語りながら、千余年来、東アジア諸国の人びとが「書籍の道」を行き来する情景が脳裏を去来し、それがさらに東西をつなぐ国際交流の道となることに思いを馳せてやまなかったのであります。

国際交流基金賞設立50周年の佳日にあたり、祝辞を述べるつもりだったのが、ついに個人的な経歴や感想を長々と語ってしまいました。「国際交流」という基金創設者の崇高な理想が、より広い地域に広がり、より多くの団体や個人に受け継がれることを願って、筆を擱かせていただきます。

王 勇

(原文 日本語)

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