平成12年度 国際交流基金賞/奨励賞 授賞式 ウィリー・F・ヴァンドゥワラ氏 挨拶

国際交流奨励賞

ルーヴァン・カトリック大学文学部東方・スラブ学科長、日本学専攻課程教授 ウィリー・F・ヴァンドゥワラ


藤井理事長よりウィリー・F・ヴァンドゥワラ氏へ賞状を授与の写真

 第一次世界大戦が勃発して間もなく、私どもの大学の付属図書館が敵軍の兵火を浴びて炎上したことは、広く知られていることでございます。数百点の揺籃時代の古活字版、数千冊の紀行書をはじめ、数多くの書籍が1冊も残らず灰燼と化したのです。秦始皇帝の焚書坑儒もかくやと思わせるこの暴挙は、文明そのものに対する蛮行として国際的な非難を浴びました。


 終戦後のベルサイユ会議では、ルーヴァン図書館の再建を図る委員会が設置される運びとなり、日本国も連合国の一つとして、これに参画しました。この大義を果たすために、日本国内で一流の学者、政治家、実業家などの後援のもとに実行委員会が組織され、総力を挙げて書籍の購入、収集にとりかかり、ルーヴァン大学に多量の書籍を発送し、寄贈されました。寄贈書には多種多様な写本や古活字版が含まれており、まさしく日本文化そのものの縮図を紹介する構成となっていました。この事業は日本政府が直接手を下したのではないにもかかわらず、日本国が外国における日本学を促進するために行なった、史上初の援助ではないかと思います。


 これは、半世紀後、国際交流基金の設立というかたちで具体的に制度化されていく、多岐にわたる事業の嚆矢とも言えるでしょう。第ニ次世界大戦の勃発に際して、再び同じ図書館の蔵書が紅蓮の炎の犠牲となったとき、ほとんど完全に火の手を逃れたのは、奇しくも日本から贈られた書籍のみでありました。これは戦後、日本とベルギーが末長い関係を築き上げる上で、幸運な予兆であったと私は解釈しております。


ウィリー・F・ヴァンドゥワラ氏の写真1

 ルーヴァン大学は80年代初頭に日本学科を独立させましたが、それ以来多方面にわたって、国際交流基金から惜しまない援助を頂いております。しかし先ほども述べましたとおり、日本とルーヴァン大学との関係は第一次世界大戦にまでさかのぼるのです。このたび私が頂くことになった国際交流基金奨励賞は、この80年にも及ぶ関係を公式に再確認するものであると、私は理解しております。私より優れた功績のある方々が数多くおられるにもかかわらず、僭越ながらも私が受賞者として選ばれたことは望外の光栄であり、心から感謝の意を表する次第でございます。


 「国際交流基金」という機関名には「国際」という一語が含まれております。この機会をお借りして、この表現の重要な含意について、どうしても一言申し添えねばならないと思います。


 国際化というのは、国と国との間、あるいは個別の国を超えたどこか別のところに存在するもの、また各国固有の文化的色彩を抜き去って洋の東西を問わず通用するコミュニケーションの様式、さらにはいわゆる国際語によってすべての用を足すことのできる画一的なマナーとルールにのっとった特別の空間に帰結するかのように解釈する向きもあります。しかし私の考えでは、本当の国際化はおのおのの国の内にあり、したがって国際化とはおのおのの国の言語、文化を理解する努力というふうにしか定義できません。いわゆる国際語のみが通用する世界は、国際的ではあり得ません。それぞれの地方や国の特色が百花繚乱と咲き乱れる世界共同体の形成こそが、国際化の意味するところであります。


 多くの人々にとって、国際化は口先だけのお題目の域を出ないのではないかと思います。実際、外国のフォークロアや料理の混合が国際化であると早合点する人も少なくありません。しかし、コミュニケーションの手段がますます発達するにつれて、多数の文化や言語の存続が危ぶまれかねません。確かに多種多様の言語や文化を共存させるには多大な努力を要しますが、価値あるものは努力なくして獲得できないのが自明の理です。多文化の世界共同体を実現させるためには、多彩な文化や言語の価値を認め、それを研究し、理解する努力を払う必要があります。国際交流基金もその事業実績から判断すると、「多彩な文化の共存が世界文明の存続の条件である」という信念を活動の基底に置いているように見受けられます。


ウィリー・F・ヴァンドゥワラ氏の写真2

私もまた、学問および教育の分野において、そういう発想に立脚した国際化を目指して歩んできたつもりですし、今回の奨励賞受賞を励みにして、ますますその方向に邁進していく所存であります。私は、専門家のみならず一般読者も対象として、複数の言語で執筆活動をする試みが有益であるという認識に繰り返し立ち返ってきました。日本語学者としての自分の活動を、地方レベルから国際レベルに至るまで、常に自分の属する多層な共同体への貢献と見なしてきました。この抱負を理解してくださった国際交流基金、とりわけ私を推薦してくださった方々、および選考委員会の皆様に対して衷心より感謝の意を表する次第でございます。


 私の場合、受賞するのは一介の個人に過ぎないのですが、自力で成し遂げた功績とて一つもありません。いままでの経歴を振り返って見ますと、まぶたの裏に数多くの恩人の姿が浮かんできます。若き時分、初めて日本に留学したとき、生活、研究の両面でお世話になった里親、先生方や友人。帰国後、兵役服務を終えて就職したホンダ・ヨーロッパの皆様。また、大学助教授に就任したとき、国際交流基金をはじめ、ご支援いただいた方々。独立した日本学科専攻課程を開設したとき、ご理解、ご指導いただいた方々。さらにユーロパリア・ジャパン日本文化フェスティバルの実施に当たって多大な貢献をなされた皆様。そして歴代の駐ベルギー日本大使ご夫妻、日本ベルギー協会の皆様。また、京都大学、関西大学、国際日本文化研究センター、東京大学史料編纂所、九州大学の先生方、学友など。お名前を申し上げるいとまがありません。


 2年前に近つ飛鳥博物館の館長に就任されたばかりの先学の先生をお訪ねしたとき、博物館に通ずる歩道の両脇に、古墳時代の巨石が転がっているのに気が付きました。手を当ててみると、雨風にさらされたため丸みをおびたこの巨石に、一種のぬくもりが宿っている印象を受けました。そして、気取らず、何げなく古墳時代を語り続けるこれらの石たちは何と頼もしいものかと感じました。以上、総括的にしか言及できなかった恩人、先学、学友などの皆様との友誼関係が末長く保たれんことを、あの頼もしい巨石に託して祈念している次第でございます。今後ともよろしくお願いいたします。


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