平成12年度 国際交流基金賞/奨励賞 授賞式 池明観氏 挨拶

国際交流基金賞

翰林大学校翰林科学院教授、日本学研究所所長池明観


藤井理事長より池明観氏へ賞状を授与する写真

 

このような栄誉ある賞を頂いて心から感謝いたします。韓国では、私のような70歳の世代は、日本をいろいろ複雑な思いで経験し、眺めてきた、そういう世代であると言っていいのではなかろうかと思います。日本の植民地支配下で教育を受け、自己形成をしてきた世代であるからです。ある意味では、そのような複雑な心情を持っている70歳の世代が、そういう意味での最後の世代になるかもしれません。この世代にとっては、日本または日韓関係は、一つの課題として常に心の中に深く刻み込まれているものでした。ときには日本のほうに手を伸ばし、ときには反発しながら、アンビバレントな心情で日本と関わってきたのではないかと思います。


 特に私は、1972年から、韓国が非常に困難であった20年間、日本で教える場と学ぶ場を与えられました。いま申しましたアンビバレントな自己は、このような日本経験によってますます強められたのではなかろうかと思います。


 私は、93年の春に定年退職で帰国し、このようなアンビバレントな心情から逃れようと思ったのです。そして、私が本来関心を持っている思想史の課題に集中しようと思いました。にもかかわらず、日本学研究所に招かれて、真正面から日本の問題に取り組まざるを得ない境遇に置かれたのです。そのときに私は、20年以上にわたる日本滞在において、お世話になり、励まされ、助けられた多くの日本人の方々を思い浮かべながら、このご恩に報いるためにも、やはり努力してまいりたいと思ったのです。そこにつたないものではありますが多少の実りをお認めくださって、このような大きな賞を与えてくださったことを本当に心から感謝いたします。


池明観氏の写真1

 韓国の金大中大統領の日本に対する想い、そして日韓関係に対するご努力に対し、大統領と同じ世代である私は、心から共感を覚え、それを理解し、協力を申し入れたいと思ってきました。そして新しい日韓、新しい韓日の時代をつくりたいと思ったのです。金大中大統領には、対日関係に対する思想と言いましょうか、哲学と言いましょうか、そういうものがあると私は考えています。かつて、富と繁栄は人のものを奪うことによってもたらされると考えられてきたかもしれません。しかしいまは、できるだけ広く交流し、お互いが協力し合うことによって、富があり、相互の繁栄があり、相互にとって美しい実りがある、というのが大統領のお考えであると、私は理解しています。


 実際、1965年の日韓条約にはいろいろな問題がまだ残されていると言われますし、あるいは条約に対して多くの批判をする人々がいます。しかし両国の貿易高を見ただけでも、これがいかに重要な交流の始まりであったかを、われわれは知ることができるだろうと思います。日韓条約締結当時の貿易高に比べると、両国の貿易高は数百倍に発展してきているのです。


 大統領はしばしば、われわれは両方が勝利するウィン・ウィンの関係をつくっていかなければならないと、国民に向かって強調しています。願わくば朝鮮半島における南北関係も、このようなウィン・ウィンの関係になってほしいと思います。日本と韓国の間がウィン・ウィンの関係になったように、日本と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の関係もこれからウィン・ウィンの方向に変わっていくことができますように、そして、こうした関係が東アジアの平和と繁栄に貢献するようになることを願ってやみません。


池明観氏の写真2

本来であれば、このような時代に向けていろいろ努力してきた韓国の多くの人々に、この賞は与えられるべきはずです。私一人が受賞するのは、独り占めしたようで、かたじけない、恐縮な気持ちでいっぱいです。国際交流基金賞がその名において示すがごとく、ますます私も日韓の間の国際交流に励んでいきたいと思います。


 本当に多くの問題がまだまだありますが、残された人生、許された人生の中において、ごく一部なりともこれからも担っていきたいと思っています。このように、この受賞を祝ってお集まりくださった多忙な皆様に、心から感謝いたします。国際交流基金のますますの発展と貢献を祈りながら、私のあいさつの言葉に代えさせていただきたいと思います。


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