文芸対話プロジェクト”YOMU” 日タイ作家トーク「文学に映し出される社会」

日タイ作家トーク「文学に映し出される社会」

文芸対話プロジェクトYOMUでは、2023年4月にバンコクにて、日本とタイを代表する作家 4 名による日タイ作家トーク「文学に映し出される社会」を開催しました。日本からは、『おばちゃんたちのいるところ』の英訳版が 2021年世界幻想文学大賞を受賞するなど、世界中の読者に愛されている作家・松田青子さんがご登壇。タイの人気作家ウィーラポーン・ニティプラパーさん、チダーナン・ルアンピアンサムットさん、プラープさん、そして松田青子さんが、社会と文学の関係について語り合いました。

日時:
2023年4月1日(土曜日)
会場:
クイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター(バンコク)
主催:
国際交流基金(JF)バンコク日本文化センター
共催:
タイ出版・書籍販売業者協会(PUBAT)、Eka Publishing
協力:
タイ紀伊國屋書店
後援:
在タイ日本国大使館、タイ国日本人会

概要報告

創作にあたってのインスピレーション

冒頭で松田青子さんは、女性の幽霊や化け物に魅了されて育った幼少時代の経験に触れながら、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社、2019年、以下『おばちゃん』)を執筆したきっかけについて語った。家父長制的な価値観による抑圧の犠牲となった昔話の女性たちへの共感と、相も変わらず日本社会に存在し続ける抑圧のシステムへの疑問が本作品の創作に大きな影響を与えたとし、「物語の中で生きることのできなかった昔の女性たちと、いまだ同じような抑圧に苦しんでいる現代の日本人女性の手を結ばせることで、ともに支えあっていけるような場所を作りたかった」と執筆の動機を明かした。

ウィーラポーン・ニティプラパーさんは、「社会を反映しようと意識しなくとも、物語を書けばそこには自然と社会が反映されるもの」とコメント。自身も楽しく読んだという『おばちゃん』について、男性の目を通して解釈された世界には決して描かれ得ないもの、男性の目には見えていないものが描かれていると指摘。そして、現在でもなお「見えないもの」にされている女性たちの姿を、「見えない」幽霊と重ね合わせて効果的に描きだす作品世界を高く評価した。

続けてウィーラポーンさんは、タイに生きる中華系の家族と、彼らが直面した抑圧や困難を描いた自身の作品『黄昏の仏歴、黒バラ猫の記憶の記憶』(未邦訳)について、「直線的な主流の歴史ではなく、物語として語られてきた歴史に焦点を当てた、女性の問題とも深く関連する物語」と説明した。その中心にあるのは男たちが語る勇ましい歴史ではなく、幼少時代に台所仕事をしながら女性たちが語り合っていた家族の歴史であり、近所のおばさんが膝枕で語ってくれた第二次世界大戦時の出来事であったと振り返る。社会における主流の物語や歴史叙述には反映されることのない多彩で生き生きとした物語、それがウィーラポーンさんの創作のインスピレーションとなった。

創作スタイルとプロセス

自身の創作スタイルについては、「自分が書きたいこと」と「どう書くか」がなんとなく見えてきた時に初めて作品を書き始める、と松田さん。それまでの間は普通に日常生活を送りながら作品について考えたり、インプットにつとめ、手が自然に動き始めるタイミングを待つという。『おばちゃん』を書くにあたっては、男性によって書かれ、男性によって語られてきた物語を、自分の視点でどう書き直すかが重要だったと語る。昔話は面白い一方で、女性の描き方にシンパシーがなく目線が「冷たい」と感じることも多いので、自身がハッピーな気持ちで読める作品を書きたかったという。楽しいものやライトなもの、女性が書いたものが軽く扱われる傾向にある日本文学の世界で、わざと楽しいものを書きたかった、という思いも明かした。

続けてチダーナンさんとプラープさんが、自身の作品のジャンルや創作スタイルについて語った。チダーナンさんは、「作品のテーマが決まったら、まずはテーマに適したジャンル―ラブロマンスから純文学、SF、ライトノベルまで―をあれこれとシミュレーションし、その後、物語のダイナミクスの視点から登場人物の関係性を考えていく」と説明。プラープさんは、「内容やスタイルをあらかじめはっきりと決めていることはない」という。気になるテーマが見つかると、まずは自分自身に問いを投げかけながらリサーチを繰り返す。プロットを組み立てる過程では、社会的な制約、時代感覚、自身の経済状況などによって、作品の方向性が変わっていく場合もあるという。しかし、いったんプロットができると、あとは物語が自ら展開していくに任せると語った。例えば、主人公の大切な宝物であるテディベアがある日突然人間になってしまうBLBoys Love)作品『The Miracle of Teddy Bear』(U-NEXT、2023年、福冨渉訳)では、奇跡の定義や格差というテーマに着目してリサーチを重ねるなかで、社会的不正義を探求するストーリーへと発展していったという。比較的重めの文学作品を発表してきた自身がBLを書くことについて、既存の読者からの反応が気にはなったものの、結果的にタイの文化や社会を反映する作品となったと語る。

想定する読者層に関する質問に対し、松田さんは、「日本社会の不思議さを、それに気づいていない人にいかに伝えていくか」という観点から、作品によっては一定の読者層を想定して書くとコメント。ただ、デビュー作の『スタッキング可能』(河出書房新社、2013年)を書いた際は、自分の目に映る社会の違和感を小説にすることに必死で、特定の読者は意識していなかった。しかし、ある女性編集者に「これはフェミニズムです。私の周りにいるフェミニストの女性たちがこの本を読んで本当に喜んでいます」と言われ、このことをきっかけに、「日本の女性があのときと同じように喜んでくれるかどうかを、自分の視点の一つとして大切にしたい」と思ったという。読者に合わせて伝え方を工夫しながらも、最終的には自分が伝えたいことを優先している、と語った。

これからの文学の役割

多様なコミュニケーション手段が存在する現代社会においての文学の役割について、ウィーラポーンさんは、「文学とは見えないものを見えるようにするもの。それゆえに、すべての始まりでもあり、すべての終着点でもある」と語る。映画、ドラマ、ゲームなどへの翻案も、まずは作家が書くことから始まっているとし、その役割の重要性を説いた。

プラープさんは、「自分自身が問題を抱えて心が騒ぐようなことがあると、物理的な紙の書籍を読みに戻る。同じ作品のオーディオブックを聴いても、同じように心は落ち着かない」と明かし、紙の書籍には他のメディアでは代替のきかない独自の立ち位置があるという。そして、異なるメディアが存在するなかで、自身が本当に言いたいことを社会に伝える機会を提供してくれるのは本の執筆であると語った。

ゲームのスクリプトから映画の脚本の小説化にいたるまで、さまざまな執筆活動に携わるチダーナンさんは、自身にとってなぜ文学が重要なのかという問いに対し、まだ明確な答えをみつけられていないと語る。そのうえで、休日の時間を割いてセッションに参加してくれているオーディエンスの中にはきっとその答えがあるはずなので、各自の思いを大切にしてほしいとコメントした。

最後に松田さんは、全般的に本の売り上げが落ちている日本の出版状況に触れながらも、社会の状況に悲観することなく、自身の作品を地道に書き続けたいとの姿勢を示した。多くの意見や評価が飛び交うSNSの影響についても言及し、他人の意見に惑わされることなく自分自身の考えを大切にする必要性をあわせて強調した。そしてなによりも、小説とは自由で面白いものであり、自分の声を表現する場所として重要であると語った。

オーディエンスとの質疑応答後、セッションは終了した。

注:同書の英語版はMemories of the Memories of the Black Rose Catのタイトルで2022年River Booksより刊行(Kong Ritdhee訳)

ウィーラポーン・ニティプラパーさんと松田青子さんの写真
ウィーラポーン・ニティプラパーさん(左)と松田青子さん(右)

  • ウィーラポーン・ニティプラパーさんの写真
     
  • プラープさんの写真
    プラープさん
  • チダーナン・ルアンピアンサムットさんの写真
    チダーナン・ルアンピアンサムットさん
    (c) Eka Publishing Co. Ltd.

2023年4月1日、クイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター(バンコク)にて の写真
2023年4月1日、クイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター(バンコク)にて
(c) Eka Publishing Co. Ltd.

  • 本イベントは、第51回ナショナルブックフェア&第21回バンコク国際ブックフェア(2023年4月開催)の一環として開催しました。

登壇者プロフィール(登壇当時)

松田青子

松田青子氏の写真

作家兼翻訳家。2013年、『スタッキング可能』でデビューし、同作が同年、三島由紀夫賞及び野間文芸新人賞候補に。2019年、短編「女が死ぬ」がシャーリィ・ジャクスン賞短編部門の候補となる。2021年、短編集『おばちゃんたちのいるところ』が、BBC、ガーディアン、NYタイムズ、ニューヨーカーなどで絶賛され、TIME誌の2020年の小説ベスト10に選出。LAタイムズが主催するレイ・ブラッドベリ賞の候補になったほか、ファイアークラッカー賞 (フィクション部門) 及び世界幻想文学大賞 (2021年) を受賞。

ウィーラポーン・ニティプラパー Veeraporn Nitiprapha

ウィーラポーン・ニティプラパー氏の写真

最初の小説『迷路の盲目のミミズ』 が2015年に東南アジアで権威ある東南アジア文学賞を受賞、2018年には2作目の『Memories of the Memories of the Black Rose Cat』が再度東南アジア文学賞を受賞し、女性初の同文学賞2冠となる。作品には小説や短編があり、タイの古典文学の影響を受けた独特の叙情性と、現代アジア社会における人間関係や現在の政治との交差を繊細に考察している点が高く評価されている。

チダーナン・ルアンピアンサムット Jidanun Lueangpiansamut

チダーナン・ルアンピアンサムット氏の写真

1992年生まれ。タマサート大学教養学部にてロシア語を専攻。2017年、短編集『檻の外のライオン』で東南アジア文学賞を受賞。25歳での受賞は史上最年少受賞。国内のほぼすべての文学賞を総なめにしており、2013年に短編集『壊れた破片』で、2016年には長編小説『絶望の時代』でYoung Thai Artist Awardを受賞。2015年にはナーイ・イン・アワード最優秀短編賞を受賞。タイ文学を英語で紹介するタイ初のアートジャーナル『バンコク文芸レビュー』で、「The Raven Arrives(ワタリガラスの飛来)」と「The Girl Who Was Raped Through Her Earholes(耳の穴からレイプされた少女)」を発表。また、映画『Bad Genius(バッド・ジーニアス 危険な天才たち)』の脚本を小説化。小説はJamsai出版社から出版され、ベトナムと台湾でも翻訳販売されている。「ロー・ルアナイマハーサムット」のペンネームでボーイズラブ小説を中心としたヤングアダルト小説も執筆しており、今後の活躍に注目が集まっている。

プラープ Prapt

プラープ氏の写真

1986年、バンコク生まれ。本名チャイラット・ピピットパッタナープラープ。「プラープ」の筆名で知られる。タマサート大学商学・会計学部業務管理専攻を卒業。18歳のときにインターネットで若者向けのコメディ小説を発表、2004年にデビュー作となる『押し倒す愛』を上梓。会社勤めをしながら数年にわたって執筆を続け、最初のサスペンス小説『狂騒の混沌』(2014年)は、国内の多くの文学賞を受賞。殺人事件の手掛かりとして古典的な詩を使ったこの小説は、2014年ナーイ・イン・アワード最優秀推理小説賞を受賞し、プラープは「タイのダン・ブラウン」と称されるようになる。プラープは、サスペンス以外にもSF、ラブ・コメディ、ホラー、BLなど、さまざまなジャンルの小説を並行して執筆している。社会的不平などを暴き出したディストピア小説『シャムの墓所』(2020年)は、基礎教育委員会書籍コンテストで優秀賞を受賞した。 メディアの注目度も高く、『狂騒の混沌』はチャンネル・ワンで、ラブ・コメディ『この運命は衰えない My Precious Bad Luck』はチャンネル・スリーで、それぞれ2018年と2019年にテレビドラマとしてシリーズ化された。

ティティラット・ティップサムリックン Thitirat Thipsamritkul(モデレーター)

ティティラット・ティップサムリックン氏の写真

タマサート大学法学部日本法研究センター講師。京都大学卒業後、神戸大学大学院国際協力研究科及びロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で修士号を取得。多くの日本文学のタイ語翻訳編集に携わる一方、自らも法学書を英語からタイ語に訳すなど多方面で活躍中。

福冨渉(通訳)

福冨渉氏の写真

1986年、東京都生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。青山学院大学、神田外語大学で非常勤講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー』(河出書房新社)、『絶縁』(共訳、小学館)など。

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