韓国で出会った日本の現代文学
チョン・セラン(韓国)

執筆者の顔写真copyright_MelmelChung 韓国において日本文学は韓国文学に匹敵するくらい読者に親しまれている。読書を楽しめるようになった年頃に、初めて接する海外の文学として日本の作品に出会う確率はとても高い。地理的に近く、社会文化的に類似していて、日韓共通の漢字語も多く語順も似ているなど、様々な要素が同時に作用した結果だと思われる。読者としては、何よりも、優れた翻訳家の功績ではないかと推測している。日本文学を読む時、海外の文学であるにもかかわらず、すっと心に染み込んでくるように読めることに驚かされる。他の言語に移し変えても、意味が失われていないというレベルの話ではない。作品固有の魅力や文章の美しさまでもそのまま伝える翻訳家が多数存在するということだ。韓国文学が日本に向かう際にも、重要な架け橋としての役割を果たしている翻訳家が多数活躍しているということを知っている。両国の文学界の間で滞りなく流れる通路をその翻訳家の方々が作ってくれている。
 初めて読んだ本はどんな本だったのだろうか。記憶をたどってみると、13歳の時に読んだ田中芳樹の『創竜伝』だったと思われる。16歳の時に読んだ、韓国語に翻訳された村上春樹の『ノルウェイの森』と、江國香織と辻仁成の共作『冷静と情熱のあいだ』も心に強く残っている。どちらとも大変なベストセラーだったので、まだ対象年齢ではなかったものの何気なく読むことができた。また、綿矢りさの『蹴りたい背中』と金城一紀の『ザ・ゾンビーズ』シリーズに魅了されたり、江國香織の『東京タワー』とリリー・フランキーの『東京タワー』は、タイトルだけが同じで内容は全く異なるものだったので、それが面白かったという記憶もある。大学卒業後は、吉本ばななや山田詠美の本を多数出版した出版社で働いていたので、自由で感覚的な彼女らの作品にのめり込むように夢中になっていた。日本文学は触れれば触れるほど、ジャンルも幅広く、作風も多岐に富んでいた。
 作家は、生まれた国の文学だけでなく、ある年齢で盛んに接した他の国の文学からも多大な影響を受ける。10代から20代にかけて最も多く接した海外文学は、英米文学、日本文学、南米文学だった。その後執筆した作品の中で日本文学の影響を最も多く受けたのは、やはり『保健室のアン・ウニョン先生』ではないだろうか。日本の学園ホラーというジャンルが特に好きだ。学校の建物の構造や運営が似ているので、共感しやすい。恩田陸の『六番目の小夜子』や辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』は、思い出すだけで背筋が寒くなる。また、『保健室のアン・ウニョン先生』のアン・ウニョンは変身もしないし少女でもないが、何となく魔法少女モノの色彩を帯びていて、文学だけでなくマンガやアニメの影響も受けているといえる。
 対談イベントを通じて日本の作家の方々と直接対話する機会を得たことは、非常に嬉しいことだった。朝井リョウさん、小川糸さん、津村記久子さん、村田沙耶香さんと言葉を交わすことができるとは想像もしていなかったので、とても貴重な体験をさせていただいた。感銘を受けながら読んだ作品の作家は、作品の外の現実世界で話す時もキラキラとした光を放っていた。対談以降、その作家たちの新刊を手に取ると、古い友人の手を取ったように嬉しく、深い友情を長く抱き続けることになると思われる。直近の日本の出版業界との共同作業は、小学館が発行した『絶縁』だ。日本文学がどのようにアジア文学とつながるのかについての素晴らしい前例となるのではないかと、企画者として誇りをもって紹介したい。
『保健室のアン・ウニョン先生』韓国語版及び日本語翻訳版の書影 前述の作家に加えて、作品が出たら全部読みたいと思う作家がいる。小野不由美、東野圭吾、宮部みゆき若竹七海、三津田信三、米澤穂信、森見登美彦、澤村伊智、恒川光太郎、伴名練、青柳碧人、松家仁之、松田青子、似鳥鶏……。そして、まだ翻訳されていない作家の作品が、できれば遅延なく海を渡ってきて、このリストが一層豊かになることを願っている。文学と文学が出会う境界の渦の中で、価値をすぐに判断するのが難しい素敵なものが生まれるということを知っているからこそ、翻訳出版に対する支援と育成策が増えることを願っている。読者としても作家としても、これからの出会いを楽しみにしている。

(小説家)

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