日本文学の「言葉の力」
朴 裕河(韓国)

 わたしを日本文学に初めて出会わせてくれたのは太宰治の『斜陽』だった。まだ高校の頃で、主人公の和子にすっかり魅了されたものである。何よりも、そこには「悩める人間」がいた。もちろん、中学では三浦綾子の「氷点」が回し読みされていたし、高校では夏休みの読書課題リストに川端康成の「雪国」などが入っていたりしたのだから、それまでに日本文学に接する機会がなかったわけではない。しかし、「日本人」以前のひとりの個人としての「人間」に、深く出逢わせてくれたのはやはり太宰治だったように思う。日本人をどうしても「日本人」として見てしまいがちだった元植民地の少女をして「日本人」以前の人間に触れさせるような力を、宗教性や美的感性の強い他の作品よりも太宰の作品の方が持っていたことになる。
 そうした体験が、その後大学で日本文学を専攻しやがて日本文学研究者となっていったわたしの人生において無関係だったとは思えない。太宰をはじめとする数々の日本文学の中に登場した強くも弱い人間群像への共感は、わたしの日本理解の最初の一歩となり、人生の土台とさえなった。
まだ10代の、元植民地の女の子に強いインパクトを与えたのは、たとえば敗戦とともに没落し、生きるすべを見出せなくなった若い女性が手紙にしたためた次のような一節だった。

「このような手紙を、もし嘲笑するひとがあったら、そのひとは女の生きて行く努力を嘲笑するひとです。女のいのちを嘲笑するひとです。私は港の息づまるような澱んだ空気に堪え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。憩える帆は、例外なく汚い。私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何も出来やしないんです。」(『斜陽』―4)

 和子は「革命」を夢見たが、それは同時代の常識と規範に挑戦する心意気と勇気と同語でもあった。そして、和子の言う「港の外は嵐であっても、帆をあげたい」「憩える帆は、例外なく汚い」という言葉を、わたしは長らく胸にとどめていた。小説では単に恋の成就が目的かのように見えるけれど、それは敗戦後の絶望のなかで生きるための切ない光でもあった。先の見えない未来をともかくも自力で開くための、それこそ「文学の言葉」だったのである。
 日本に留学して日本文学科を希望したところ、学科の先生は「なぜ日本文学を?」と質問された。そこでまだ学部1年だったわたしが「日本人を知るため」と答えたのは、意識はせずとも日本文学との最初の出会いがあったためかもしれない。つまり、日本人以前の人間を文学に見出したからこそ、そうした文学を生み出す「日本人」に関心を持ったのだろう。それ以降、わたしの関心は常に「文学」と「日本」を行き来した。そういう意味で日本文学は、わたしにとって普遍としての文学でありながら、日本を知り、理解する最上の資料でもあった。わたしのとっての日本文学とは、「人間と日本がともに住まう」空間だったのである。
 そして、日本文学とのはじめての出会いからすでに40年以上になる。まさしくわたしの人生は日本文学とともにあったが、そのことを幸運に思うのは、元植民地の者だからでもある。日本文学は、日本を程よい位置から眺めることを可能にしてくれた。
 とはいえ、わたしの好みはいわゆる「日本的」感性よりも、先に触れた太宰や、後期に惹かれることになる大江健三郎など、より普遍的な作品のほうにあった。留学を終えて帰国した九十年代以降、間に柄谷行人の『日本近代文学の起源』や夏目漱石の『心』をも挟みながら三〇年近くの間に大江健三郎の小説を五冊翻訳したのもそうした志向ゆえのことと思っている。
 大江健三郎を訳すのは日本の現代を訳すことでもあった。いわゆる戦後民主主義の騎手でもあったからこそ、「帝国日本」のイメージを引きずっている韓国に紹介したかった気持ちがひとしお強かったのかもしれない。他の翻訳者たちの努力もあって、今や大江健三郎は韓国で最も人気のある作家の一人となっている。いささか難解で大衆的な人気を得ているわけではないが、最近翻訳刊行された大江健三郎最後の小説『晩年様式集』が発売一ヶ月にならないうちに重版を刷ったのもそうした結果と考えている。
 大江健三郎は言うまでもなく夏目漱石や柄谷行人も、韓国では膨大な量の撰集が翻訳刊行されている。もちろん、村上春樹や東野圭吾、宮部みゆきなどの作家の人気も高い。太宰治の『人間失格』が2022年「外国小説ベストセラー4位」になったのも、日本の近現代文学は韓国で間違いなく幅広く読まれている証拠だ。
 ただ「戦後文学」の紹介は十分とはいえず、韓国における日本の戦後理解が未だ浅い理由の一つになっているのかもしれない。いわゆる本土だけでなく、かつて「外地」と呼ばれた朝鮮や満州、その他の植民地・占領地で育った作家たちの紹介ももっと進めば、日本や日本文学理解はもっと深まるだろう。人生の大半を日本文学と付き合ってきた「一番好きな」作品をあげるのは難しいが、日本文学との出会わせてくれた『斜陽』はいつか韓国語で朗読もしてみたい作品である。

(世宗大学、名誉教授)

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