幅広い用途の日本文学
チアッペ・イッポリト・マティアス(メキシコ)

執筆者の顔写真 私の日本文学への関心は、日本語への興味から生まれた。今考えてみると、それは、日本語を勉強しようとする人が辿る一般的な道のりではない。おそらくほとんどの人は、日本文学を読んだりアニメを観たり、漫画を読んだりした後に日本語を勉強し始める。しかし、私の場合は、日本語の能力を向上させるための学習教材として、日本文学を読み始めた。その決心の裏には、ある言語の語彙、文法、調子、方言といった言語の特殊性を取り込む文化的実践としては、文学をおいては他にないと思っているからである。
 日本語を学びはじめた頃、私はブエノスアイレスにいた。アルゼンチンは、日本からは文字通り地球の反対側にあるので、日本の文化、歴史や地理をより深く掘り下げるためにも文学は、非常に貴重な文献資料でもあった。15年前、つまり、日本語を勉強し始めたとき私は、日本について、寿司や武道といった典型的なイメージしか持ちあわせていなかった。日本文学は、そうした世界に、新たなイメージを無限に注いでくれた。そうした新たな日本のイメージをもっとふくらませようとして日本文学をもっと読むようになり、その分野の専門家になりたいと思うほどになった。だから今でも、教えるときには、日本文学を学習教材や文献資料として使用している。
 現在、私は、メキシコ大学 El Colegio de México で日本文学を教えている。ただ、ここまでの道程は長かった。アルゼンチンには、日本文学を扱える大学院はないので、ブエノスアイレス大学を卒業した後、メキシコにやってきて、メキシコ大学院大学の修士課程で日本学を専攻した。そのあと、日本の文部科学省の奨学金を受けられることになり、日本で国際文化交流の博士号を取得した後、日本文学と翻訳を、日本のあちこちの大学で教え始めた。今は教師をやりながら、ラテンアメリカが日本の文人たちにどのような影響を与えたか、といった博士課程で取り組んだテーマを研究し続けている。いくつか例を挙げれば、堀口大學の中南米での日々、客員教授だった大江健三郎のメキシコでの国内旅行、吉本ばななのアルゼンチン文化への興味といったことなどである。そうした文人らの作品分析を通して、日本文学は、日本とラテンアメリカを接続する道順を示す地図帳にもなっていると感じている。
 日本に住んだ7年間で、私は、日本文学は自身の研究テーマとしてだけではなく、日本で暮らす道をも切り開いてくれたことにやがて気が付いた。言い換えれば、日本文学は、学習教材、文献資料、地図帳のみならず、ときには最高の観光ガイドにもなった。たとえば、かつて住んだ高円寺では、その近所に居を構えたことのあった中原中也の様々な詩をよく思い出した。同様に、地方に行くといつも松尾芭蕉の足跡や詩句の後を追っていたような感じがしたし、和歌山弁を聞くたびに中上健次の作品の登場人物たちの声が重なってくるような気がし、京都では寺院や城を訪れるたび、もしかすると紫式部や清少納言に出会ったりするかもしれないという予感がしたものだった。もちろん、文学的な日本の世界と現実の日本との間に相違点もあったが、こうした体験をすることで、日本文学が注いでくれた日本のイメージを塗り替えることができた。結局、文学と現実は、完全な(虚構と現実の)日本を構築するために協力しあっていたのかもしれない。
 中原中也、松尾芭蕉、中上健次、紫式部、清少納言といった文人たちが文学を綴るきっかけとなったものを想像するのが好きだった。日本に住んでいた間、そのことについて考えながら触発され、私自身も多くの短編、詩、エッセイ、他の文学作品を書いてみた。即ち、日本文学は自分のインスピレーションの源にもなった。当然ながら、文学を綴るということは、自分の考えや信念を言葉にすることだから、日本文学は、私の考えや信念の表現方法を変えたともいえるだろう。もし日本文学を読んでいなかったなら、今頃どんな文学を書いていただろうかといつも自問する。あるいは、もし日本文学を読んでいなかったなら、今頃どんな考えや信念が私にあるのだろうか、と思いを巡らせる。
 今はもう日本には住んでいないが、日本文学が使いものにならない日はまだ一日もない。日本文学は私にとって、学習教材、文献資料、地図帳、観光ガイド、インスピレーションの源だけではなく、料理本、辞書、日記、葉書、手帳、図鑑、その他の多くの情報源である。アルゼンチン文学を読みながらでも、その作者たちに日本文学が与えた影響があるのではないか、と無意識にいつも探している。科学と比べたら文学は役に立たないと言われるが、私と日本文学との関係は、そうではない。文学は、見知らぬ土地や世界へと連れて行ってくれ、可笑しくて忘れられない人物にも会わせてくれ、それに加えて、想像力を駆使して挑戦しながら様々な状況に適用できる実用的なツールでもある。というわけでここでは、今までの人生において私が発見した日本文学の幅広い用途について、紹介を試みた。

(エル・コレヒオ・デ・メヒコ)

What We Do事業内容を知る