「あなたは日本文学のどこか好きですか」
リシャルド・サミュエル(フランス)

 2021年の数字だが、年間で2200タイトルを超える日本語からフランス語への翻訳出版があったそうだ。英語からの翻訳に次ぐ多さとのこと。フランスでの日本への関心、マンガ人気は近年に始まったことではないが、それにしても多い。マンガの翻訳出版は桁違いだが、文学や児童書、美容や健康、生活エッセイ、思想書まで広く翻訳出版されてきている。翻訳以外でも、フランス人著者による日本滞在体験記、習慣や価値観を紹介するものも増えてきている。私の入社当初は、文学の棚には、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、井上靖が並び、漫画ではドラゴンボール、セーラームーン、シティハンター、アキラ。日本史と経済を扱った書棚、浮世絵が中心の芸術書棚で、分野としては、ほぼ全てだったように記憶している。

 書店は、来店する人に多種多様な「世界」への入り口を提供し得る、少し特殊な小売店だ。大げさに言ってしまうと、私が勤めている書店は、パリにある遠い日本への入り口の一つを担っている。フランス人来店客は年々増え、日本語学習者も増えているように感じる。日本語を学ぶ学生として来店していた方が、数年後日本関連書を出版したり、翻訳者として頑張っていることもある。日本に興味を持ち、のめり込んで行く人は、さまざまな分野にわたるが、自然にフランス語で書かれている日本関連書だけではなく、日本語で書かれている書籍も楽しむようになる。歴史、料理、文学どんな分野であっても、そこには、必ず「日本語」がある。その「言葉」に直接触れられる日本語の書籍を提供する意義がそこにもあると思う。

 言葉を学ぶのは簡単なことではなく、「壁」に突き当たる。私も何回か当たり、大小さまざまな「壁」を経験した。「フランス語」で生まれ、幼児期を過ぎたころに、突如、家を出ると、「津軽弁」と「標準語」の入り混じった大雪の降る世界になった。学校では外国語として「英語」を習った。進学した東京の大学では、私の「標準語」がそこの「標準語」ではないことに気づくまでに豪い時間がかかった。そしてパリの日本書店では、聞きなれない上司の話す「関西弁」に出会った。

 壁に当たり、言葉を学習・理解していく過程で最も惹かれるのは、その言葉の背景にある社会、言葉を作っている文化だ。生まれ育った土地の「方言」から歴史を発見したり、母国語として「こくご」を勉強する中でわかる漢字の成り立ち。それを憶える苦労。他にも、長年応援していた栃ノ心や外国人力士の「日本語」、「帰国子女」の「日本語」や「日系人」の「日本語」、それぞれにそれぞれの壁が存在している。(関心のある方は→山本冴里編の『複数の言語で生きて死ぬ』をお勧めします。)薬局に入って、「疲れを感じたら、この一本」「のどのイガイガにはこの一錠」というキャッチコピーを目にする。日本語話者には、一本がドリンク剤、一錠が錠剤ということを指していることは、考えもせずにわかるが、ほかの「世界」から来た人には、ピンとこない。

 一方、壁を飛び越えたり、少しずつ上っていき進展があった時のおもしろさというのは格別だ。最近私は日本語の助数詞の面白さにひかれ、そこから見えてくる文化にのめりこんでいる。

 ある飼い主が、犬を「一匹」飼い始めたと言った場合、おそらく日本語話者なら、なんとなく小型犬を連想するはずだ。一方、「一匹」を「一頭」と言った場合はどうだろうか。なぜか小型犬ではなく、大型犬を想像しないだろうか?どうして使い分けるのか?「匹」と「頭」の境目はどこなのだろうか?調べていくと、社会内での役割も関係することがわかる。助数詞には、指しているものを具体的に言わなくてもある種の情報を伝えることができる。物の数え方から見えてくる文化。

 1つ、2つ、3つ、と数えていき、9つの次は「いくつ」と言いますか?当然10(とお)ですが、なぜ「10つ」とならないのか。この疑問から、日本語を構成する、やまとことばと漢語へと探求が繋がっていく。もう関心は止められない。ちなみにこの先、10以降を知っている人はどのくらいいるのでしょうか。聞きなれない、「とおあまりひとつ」(11)、「とおあまりふたつ」(12)が続き、急に聞きなれた20「はたち」が出てきて、おお!こんなところの出身だったのか!と、古文テストで二桁の壁を越えられなかったことのある私は感心する。

 漢語が入ってきたように、言語は移り変わる。それがまた面白い。今風のカタカナ語で言うと、言語の「サステナビリティー」とでもなるのか??言語を変えるのは人、その土地に生きる人間。人間が移り変われば、言語も移り変わる。2023年のフランス人がキャラクターグッズを見て「フツー」に使う「Kawaii!」。日本語よりも、フランス語が美しく、「日本の公用語をフランス語に。」と提案した志賀直哉が聞いたら、どのように思っただろうか。

 時代をさかのぼり、平安時代の清少納言が使っていた「うつくしい」という言葉。当時は、幼少のものや小さいものがかわいらしいという意味で用いられ、「Kawaii!」と同じ意味の言葉だったことを知る。そこに言語が変化していく「美しさ」を感じ、今へと繋がる歴史を実感する。話題のAIも、何もないところから生まれてきたものではなく、人間の言語から生成されている。「マジでやばい」と若者が言う。ネガティブな意味にも、ポジティブな意味にも使われた面白い言葉。美しくないと感じる人もいるかもしれないが、私は江戸時代の言葉が源だと聞いて、江戸時代を身近に感じた。やはり、あらゆるものが言葉で繋がっている。これからも、言語そのものの重要さ、面白さを手に取ってもらえたらと思う。

(パリ・ジュンク堂書店代表)

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