僕は日本文学の何が好きなのか?
Carlos Rubio López de la Llave (Spain)

 人を好きになるのと同じで、どうして日本文学が好きなのかといえば、自分でもよくわからない。ただ、好きだということだけは、わかっている。
それでも、どういうところに魅かれるのかを考えてみると、次の三つを挙げることができる。

  1. 1.本質を失わずに、変化してきた素晴らしさ。
  2. 2.作品自体が、読み手に生き生きと語りかけてくる不思議さ。
  3. 3.言葉少なに多くを物語る作家たちの特異性。

 第一の点について説明すると、明治時代の数十年に当たる19世紀末から、日本文学は、西洋の文化・文学から実に強い影響を受けていると思う。例えば、叙述技巧や倫理および社会的概念、そして文芸ジャンルや主題などにおいてである。それなのに、美的感覚や文学的価値は、500年前や1000年前のものとさほど変わっていない。というのは、あくまで私見ではあるけれども。現に、今から1500年も前、すでに同じことが起こっている。奈良時代から平安初期の100年間にかけて、中国文学の強烈な影響を受けながらも、日本文学は、揺るがぬ底流のごとく、その独自性を保つことができた。だからこそ、その後の数世紀にわたって、『源氏物語』や『平家物語』、そして西行の和歌などの優れた作品が次々と生まれたのだと思う。

 第二の点については、僕が読んだほとんどの作品には魂が、つまり「こころ」があると言いたい。その一個の生きた心が、作品自らに語らせるのだ。これは個人的にそう感じることで、言葉で説明することは難しい。作品自体が語りかけてくるというこの非常に独特な性質は、日本人が一般的にその作品に吹き込む誠実さ、「まこと」という価値観の効果なのかもしれない。よくわからないが、その可能性はあると思う。あるいは、日本文学に秀でる「自然」によるものかもしれない。西洋の文学作品のように単なる描写上の美化や背景としての自然の存在ではなく、日本の場合、自然は作品全体に浸透し、作者や登場人物たちと一体となった本質、または場面に漂う匂いなのだ。それは、古典の数々の和歌集にも、俵万智の現代短歌にも、永井荷風や小川洋子などの小説にも共通するものと解釈している。

 日本の文学において好きな第三の特質は、多くを語らずとも、あるいは、わずかな言葉で、物事をそれとなく表現する、ほのめかす、匂わせるという日本人特有の素質。おぼろげで曖昧な印象を通して、実に数多なことを連想させる才能、些細に思えるような事柄を巧みに描写する才能だ。これらが、日本の文学作品を特異なものとし、他国の文学伝統と区別されるゆえんであると思う。たとえば、1400年前に万葉歌人たちが用いた「ほのぼの」という観念は、吉本ばななの人気小説の中にも見い出すことができる。もう一つの例は、おそらく世界で最も短い文学形式である俳句。たったの17音節に、あれほどの含みを持たせることができる。俳句は、日本人のささやかなものへの愛着と、言葉に頼らずとも、さまざまなことをさりげなく表現できる日本の芸術性の両者を象徴するものだ。

 僕が日本の文学作品に出会ったのは、今から45年ほど前、1976年から1979年にかけて、カリフォルニア大学バークレー校に在学中のときだった。日本人留学生たちと親しくなって、熊本出身の彼らは、僕が日本に興味を持っていると知ると、当時アメリカで人気だった日本の小説のペーパーバックを何冊かくれた。谷崎や川端の英訳だった。これらの作品は、僕にとっての大きな発見で、それまでに読んでいたものとは異なる作風に、驚きもしたし感心もした。その後、自分でもさらに数冊購入したうちの一冊が、夏目漱石の『こころ』。この著名な小説に深い感銘を受けた僕は、「ああ、いつかこの本をスペイン語で世の中に送り出すことができたら!」と、夢を膨らませたのだ。

 人生とは不思議なもので、1985年から1990年まで、僕は東京に住むことになり、その間に日本語を少し学んだ。そうして2003年、かねてからの願望だった漱石の『こころ』を翻訳し、学生時代の夢を叶えることができたのだった。それ以降、知識不足ではありながらも、スペイン語に翻訳することで、日本文学の普及に努めてきた。本国スペイン、ならびにスペイン語圏諸国全体において、日本の文学作品は過去20年間に、ますます受け入れられるようになってきた。これには、大きく二つの要因が寄与していると思う。一つは、村上春樹の人気。二つ目は、マンガやアニメ、ビデオゲームなどのポップカルチャーを通じたクールジャパンが、特に若年層の関心を引くことだ。僕の愛読書を挙げるとすれば、『平家物語』。これには日本の心が凝縮されていると思えるから。近代の文豪の中では、谷崎潤一郎と永井荷風に特に魅かれる。種田山頭火の俳句にも。また、河野多恵子や倉橋由美子などの、1960年代から1970年代に発表された女流作家たちの大胆な作品も好きだ。
あの1970年代の遠い日々から、僕はいったい何冊の日本の作品を読んできたのだろう?わからない。決して十分でないことは自覚している。それでも、日本文学を紹介すること、つまりスペイン語圏の人々に、それを広めることは、僕にとって、呼吸をするのと同じくらい自然なことになっていることにも気づいている。

Emeritus Professor, University Complutense of Madrid

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