トルコにおける日本文学受容の過程
エルキン・H・ジャン(トルコ)

 トルコと日本の交流の始まりは19世紀末に遡るが、日本文学がトルコに紹介されるようになったのは1960年代の後半であったといえよう。第二次世界大戦での日本の敗戦と被爆国となった衝撃は世界共通で、トルコでも文学作品の中にその反映が見られた。その後、朝鮮戦争で負傷したトルコ兵の日本での治療も、日本への関心を高める重要な要因の一つとなった。1964年の東京オリンピック開催も、日本への関心をいよいよ強める結果となった。

 1968年の川端康成のノーベル文学賞受賞は、トルコにおける日本文学への関心をいよいよ高めた。以後数年間、日本文学からの翻訳出版が活発化し、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成らの作品がトルコ語に翻訳された。しかし、これらの翻訳は西欧諸言語に翻訳された作品をその言語からトルコ語翻訳という形で行われた。それでも、その翻訳作業に携わった人々は殆ど名の知られる作家、または優秀な翻訳者力のある翻訳者で、トルコの文学界で影響力を持っていたことも注目すべきである。

 1960年代末に日本文学が盛んにトルコ語翻訳されたことにもう一つの要因がある。トルコ共和国は1923年に建国されたのだが、その後の革命の一つは文字の革命であり、その前までのアラビア文字利用が廃止され、新しくラテン・アルファベットが利用されるようになった。1930年代から1950年代にかけて世界古典が集中的にトルコ語翻訳がなされ、新しい文字で出版された。1960年代末の日本文学翻訳ブームはこの動きの延長戦にあるとも考えられる。

 その後、日本文学のトルコ語翻訳はしばらく停滞期に入ったと言えよう。1994年の大江健三郎のノーベル賞受賞も日本文学への関心を高める結果となったことは言うまでもない。しかし、その背景には1980年代にイスタンブル・ボスポラス海峡の第二大橋が日本の建設会社に任されたことや日本人観光客が数多く訪れることもあったと考えられる。なお、トルコ初の日本語日本文学科も1986年に学生を受け入れ始めた(アンカラ大学)。

 この二つのブーム期の共通している点はすべての作品は主に英語、またはフランス語・ドイツ語に翻訳された日本文学作品がその言語の翻訳文からトルコ語に翻訳されたことである。第二ブーム期には大江健三郎とともに太宰治、安部公房、吉本ばなな、江國香織、池澤夏樹、村上春樹らの作品がトルコ語翻訳出版された。しかし、そのいずれも西欧各言語訳文からの翻訳であった。

 日本文学の原文から直接トルコ語翻訳を見るのは2000年代以後のことである。現在までいたるこの時期も第三ブーム期といえよう。2000年代には夏目漱石『坊ちゃん』、太宰治『人間失格』、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』、村上春樹『海辺のカフカ』、阿部公房『砂の女』の日本語原文から直接トルコ語への翻訳が出版された。その中で特に村上春樹が注目を浴び、現在まではほぼ全作品がトルコ語翻訳出版をされたが、なぜか『雨天炎天』はまだ翻訳されていない。

 これらの作家・作品のトルコにおける高評価は読者の日本文学への関心を上昇させたことは言うまでもない。2010年代には以前西欧言語経由でトルコ語翻訳された作家の作品が今度は日本語から直接翻訳出版された。さらに、小川洋子、多和田葉子、村田紗耶香などがトルコ語翻訳出版された作家に加わった。

 さて、トルコの読者・評論家は日本文学のどのような要素に関心を持つか、幾つか具体的な例をあげながら触れておこう。例えば、川端康成の繊細な日本描写がトルコの読者に好評されている。『古都』や『雪国』に見られる日本の自然、伝統、日常生活、女性観などの描写は関心を集めた。次に、太宰治の『人間失格』に代表される、戦後日本の姿に対する批判的な視線も注目されている。大戦前の都市生活や政治運動、それに適応できない主人公の描写はトルコ文学の一部の作品とも比較されながら感心を引き付けている。三島由紀夫の作品も、独自の位置を占めていることを付け加えられる。

 現代文学からは村上春樹は様々な点から高評価されていることは言うまでもない。なお、村田紗耶香『コンビニ人間』における都会人間・女性描写、多和田葉子『献灯使』の現実に近いユートピア描写、夏川草介『本を守ろうとする猫の話』における出版業界・読者態度の語り方などがトルコの読者の関心を集めたようである。

 最後に、現在のトルコでは日本文学は確固たる地位を築いており、その魅力は様々な角度から読者を惹きつけているといえる。文学作品とともに日本の漫画翻訳も数多く出版されおり、殆どの大手本屋には漫画・日本文学コーナーが設置されている。今後も新しい作家や作品が続々と紹介され、日本文学への関心が強まっていくと期待できる。トルコにおける日本文学受容の過程を振り返ると、両国関係の深化とともに日本文学への関心も高まってきたことがわかる。文学を通じた国民間交流は相互理解を深める上で大切な役割を果たしていると言えよう。

(アンカラ大学教授)

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