私と日本文学
マイサラ・アフィーフィー(エジプト)

執筆者の顔写真 私は小さい頃から読書が好きだった。高校時代は昼休みももちろん暇な時間さえあれば、すぐ学校の図書室にこもって本を読でいた。

 その時読んだ本の中に、「大陸の探検」という旅行記の本があった。その大陸というのは著者が旅をしたアジア大陸のことだ。「大陸の探検」の中に、いわゆる「三島事件」を詳しく紹介して、三島の自決から作者自身は非常に大きな影響を受けたことを書いている。これは私が日本文学に触れた最初の機会で、自殺したという日本人小説家である三島由紀夫のことを知った。

 そうして、私は大学 2 年生の時、日本語との出逢いという人生の分岐点が訪れた。在エジプト日本大使館にある広報文化センターで日本語を習い始めた。当時私はカイロ大学理学部地球物理学科に在籍しながら、週 3 回広報文化センターで 1 回 1 時間半の日本語の授業を受けていた。日本語を勉強して徐々に特に漢字というものなど、その難しさをわかってきた。日本語学習者は数え切れない程の漢字の書き方と読み方を覚えなければならない。

 先に書いたとおり私は日本人小説家の中で最初知ったのが三島由紀夫と彼の自決に至った事件だが、漢字がわからないので作品が読めない状態だった。しかし、1996 年に留学のため来日して、最初に買った小説は三島の作品だった。住んでいる家の近くの古本屋さんに『美徳のよろめき』が 100 円で売られたので、安いしページ数も少ないので、迷わず買った。漢字がわからないので、それを読み始めたら、一回目は内容の 25%程度しか理解しないが、2 回目は 40%に、3 回目はもっと上がるようになった。最終的に大体のストーリーを理解するようになった。私のやり方は辞書を引かないで、わからない漢字を推測しながら飛ばして読むことだった。最後はきっと 100%わかるようになると確信していた。

 私の日本語のレベルは日本文学を読むまでに値しないものだったが、それでも好き文学を、取り分け好きな日本学を読むため工夫してなんとか悪戦苦闘しながら日本の文学読めるようになったのだが、どうやって日本文学の翻訳家になれたのか。

 私はエジプトで在カイロ日本大使館の広報文化センターで、週 3 回の 1 時間半で全 6 レベルまで日本語を学習してから、エジプト国家試験を経てエジプトでの日本語ツアーガイドとして 1 年間働いたあと来日して、日本でさらに日本語を勉強して 1 年後、日本語能力試験一級に合格した。本来の計画では日本の大学院に進学するはずだったが、当時の状況でそれを諦めた。日本語学校を卒業して、日本で日本語とアラビア語間の通訳として働き始めた。そして結婚して日本に長期滞在することになった。

 そこで、1998 年に平野啓一郎氏は京都大学在学中デビュー作の『日蝕』で、当時史上最年少で芥川龍之介賞受賞し、文壇に大きな波紋を起こし、テレビなどいろいろなメディアにたくさん出ていた。私はそれを見て非常に高い関心を抱き、特に三島の再来という謳い文句が私を魅了させた。

 その時ちょうど、私は耳の手術のため 10 日程入院することになった。そうしたら女房が入院生活退屈しないようにと、『日蝕』を私にプレゼントしてくれた。入院中、『日蝕』を読み始めると、難しくて内容を理解する以前に漢字が読めない状態だった。

 理由は平野氏が森鴎外の影響で、わざと難しい漢字を使うなど明治時代の作風を採用したからだ。そこで私は何がなんでも『日蝕』を読破すると意地を張った。私は考えたのは、苦手な漢字をまず解読しなければならないと思った。当時はパソコンもインターネットのアクセスも持てなかったので、私が選んだやり方は、小説全部を自筆で書いて、難しい漢字や単語を辞書で調べ、私の自筆のノートの上に書き込むというやり方だった。

 この大変な作業をしているうちに、読めない漢字や難しい単語だけではなく、小説全体を翻訳すれば良いではないかと考えるようになった。特に小説の内容が非常に面白くアラブ世界でも関心のあるテーマで、中世のヨーロッパを舞台で、特に、古代ギリシャの文献がアラブ世界を経由してヨーロッパに渡り、啓蒙時代に貢献したという事実の他、アヴィセンナやアヴェロエスやゲーベルのアラブの思想家たちが中世ヨーロッパに幅広く知られていたとも言及していた。

 そこで私は時間をかけて『日蝕』をアラビア語に翻訳して、それからアラブ世界で刊行される方法を模索した。ところが素人の私にそれを実現できるのは翻訳作業よりも、もっと大変なことで長い時間が必要と分かった。

 それでも、2015 年にエジプトの国立翻訳院からアラビア語版の『日蝕』が私の翻訳で出版された。私は『日蝕』を翻訳している中で文学の翻訳が私の天職だと思うようになり、他の文学作品の翻訳を手掛けた。これまで私は 40 冊近くの本を日本語からアラビア語に翻訳したが、それに止まらず 100 冊になることを目標にして、これからも翻訳を続けるつもりだ。インシャッラー。


『日蝕』を書き写した実際のノート


『日蝕』を書き写した実際のノート


『日蝕』アラビア語翻訳版

(翻訳家)

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