日本文学を原文で読むという人生の喜び
杜海玲(中国)

執筆者の顔写真「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」

 日本に来て数年が過ぎたころ、日本語でこの文に触れ衝撃が走りました。新しい世界が私の目の前に広がったのです。

 中国語訳版で読んだことのある日本文学作品をすべて原文で読めるこの楽しさは、人生の喜びとなっています。もちろん代表的な日本文学作品には精巧に訳された中国語訳版もあり、その訳は正確で簡潔明瞭かつ美しいもので、外国文学を読む際には翻訳作品に頼ることが一般的です。幸い私は原文の日本語のまま読むことができ、また日本在住で書籍をいつでも入手できるため、ここ数年は日本語で日本文学を読んできました。文学の魂は一つであり言語は媒介にすぎないとは言いますが、日本文学を愛する中国の友人からは日本語で読める私は羨ましがられています。

 日本文学が中国の作家に与えた影響については、郁達夫に始まり魯迅・郭沫若・周作人・梁啓超など先人が早くから研究し多くの資料が残されているため、ここで私が語ることはやめておきます。私には多くの日本文学ファンの友人がいます。村上春樹の研究者や、日本の作家が泊まったという温泉旅館を巡って旅行する友人などです。私自身も伊豆の踊り子号で伊豆に行き、その道中、下田での物語に思いを馳せました。またある年には青森に行き太宰治の斜陽館の中で撮った写真と感想を中国の友人たちが良く使うSNSに投稿したところ、ある人はどれだけ彼を好きかメッセージに残してくれたうえ、私が自分の携帯で適当に撮った館内の写真を保存してくれていました。

 中国でいくらか文学作品を読んだことのある人なら誰でも、夏目漱石・三島由紀夫・大江健三郎などは知っていますし、村上春樹や東野圭吾などに至っては今の若い人に大変な人気です。出版の研究をしている友人が言うには、2020年には2039点の日本の書籍の著作権を輸入しており、著作権切れで誰でも出版できるようになる年にはさらに盛り上がりを見せるとのことです。今年は川端康成の著作権が切れるため、十数社の出版社が再版を競っています。

 日本文学はそのものの魅力に加え、川端康成や大江健三郎といったノーベル文学賞受賞者がいるのも(賞がすべてではありませんが、少なくとも一つの評価指標として)関心を持たれる理由でしょう。読んで初めて日本文学の色彩豊かで奥深い世界に惹き込まれるのです。またノーベル賞があることで、日本では毎年村上春樹のノーベル賞前夜イベントが恒例行事のように行われています。これについては私も以前随筆で次のように書きました。「村上春樹を許してあげましょうよ、まったく、毎年この時期になるとやり玉に挙げられ家の外にはメディアが集まり、家の中には編集者が待機、賭けサイトには名前が挙がり、ファンは(速報を待って)バーに集合。文学賞は毎年同じように実施されさまざまな人が受賞していきますが、村上春樹だけはいないのです。」

 中国初のノーベル賞受賞者である莫言は2013年ごろ訪日し、川端康成などの文豪の足跡を辿っています。その際に残した旅行記は、作家の毛丹青より転送され、私たちの新聞にも載せました。莫言も日本文学の影響を強く受けている作家のひとりで、彼は『雪国』の中の「黒く逞しい秋田犬がそこの踏石に乗って、長いこと湯を舐めていた。」という一節で文学での描写に目覚めたと書いています。

 日本文学について感じていることのひとつに、中国語の表現では感嘆符が比較的多いのに対し日本語の表現では省略記号が多いということがあります。実際どうかというよりは感覚的なものにすぎないのですが、日本文学式の表現に慣れると、強烈な言い切りもなく読者に共感の余地を与えてくれちょうど良いと感じます。押しつけがなく、余韻を残している感じでしょうか。私は自分の興味から、随筆で遠藤周作・曽野綾子・塩野七生・須賀敦子・瀬戸内寂聴などの作家についても書いているのですが、これらの内容も中国の読者に喜ばれています。

 私が普段の読書でも基本的に日本の本を読むのは、日本語の叙述形式や内容が私の美意識と読書における興味により近いからです。しかも日本文学は日常以外で日本を知ることができる窓口でもあります。宮本輝に富山県の空と海を、桜木紫乃に北海道の広大さを教えてもらいました。実際旅行で近くに行ったこともありますが、文学作品の描写はまた違った視点で見たり感じたりさせてくれ、これらが入り組みより輝きを生みだすのです。

 文学の良いところは時空を記録し収めることです。先日銀座で新しくオープンした書店でレコードを聴いた際、レコードは録音時に天気や温度の影響を受けるため、どれだけ年月を経ようと再生時には録音当時を再現できると司会者が語っていました。私は文学も同じだと思います。書籍を開けば中の物語は何度でもよみがえります。日本は四季が明確なので季語の概念もあるなかで四季は移り変わり、歴史や世情も作品の中で繰り返されます。

 司馬遼太郎・芥川龍之介・瀬戸内寂聴らも皆中国での暮らしや旅行記を書いており、このような場面に出会うといつも嬉しい驚きを覚えます。

 日本での生活も長くなると、私も芥川賞や直木賞にも注目するようになりました。数年前に芥川賞の作品紹介で若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』を知りました。当時は夫が病気で他界し私自身の人生にも変化があったときで、この本は心に深く刻まれました。その後中国国内のある出版社がこの本の翻訳を募集していると文学愛好家グループ内で知り、すぐに応募しました。とにかくこの本を翻訳したいと言っただけで特に私的な理由などは伝えていなかったのですが、数千字の試訳が良かったのか幸運にも翻訳者として選ばれました。ゆっくりとパソコンと向き合い、一字一句推敲していく中で私の心も整理されていき、2020年の中国語版の出版時には何か運命的な力を感じました。文学はまたしても私の心を癒してくれたのです。

 この文の締め切りは中秋節にあたり、中国人にとってはちょうど「こうべを挙げて名月を望み、こうべをたれて故郷を思う」または「杯を挙げて名月をむかえ、影に対して三人を成す」時ですが、夏目漱石はかつて学生に「Iloveyou」を「月がきれいですね」と訳させたとのこと。これは確かな証拠もない一種の伝説ではありますが、日本文学の情緒を表していると思います。日本文学を原文で読みこのような情緒を味わうことができる、これは私の人生の喜びのひとつなのです。

(中文導報記者)

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