世界の日本語教育の現場から(国際交流基金日本語専門家レポート)Yeah! Yeah! Yeah!

ロンドン日本文化センター
福島青史

このページの原稿提出締切が近づくと、「さて、今年は何を書こうか」と頭を悩ませるのですが、今年は一つの出来事がインパクトがありすぎて、その心配はありませんでした。その出来事とは、紆余曲折を経てついに始まる「イングランド初等教育の外国語教育必修化」(以下、「初等必修化」)のことで、今年はこの「初等必修化」について書きたいと思います。

-宿願の「初等必修化」遂に成る!-

Colour Honigon!! 子どもの言語ポートレート画像
Colour Honigon!! 子どもの言語ポートレート

イングランドでは2014年9月より初等教育(3年生~6年生)において外国語教育が必修化されます。この「初等必修化」は、前労働党政権時代から現在まで、10年以上の長きにわたり準備されてきたもので、ようやくこの秋から開始されます。国際交流基金ロンドン日本文化センターも、この日に向けて準備をしており、筆者の前任の日本語上級専門家が「日本語授業計画案例」を作成したことは、2010年度の日本語専門家レポートのページでも報告されています。

「初等必修化」はもともと2010年から実施予定だったのですが、同年、労働党が選挙に敗れ、政権交代に伴い計画も中断されます。そして、2012年11月、キャメロン現政権より新カリキュラム案が提出されましたが、そこには、学習する言語として、仏、独、西、伊、中およびラテン語・古代ギリシャ語の7言語が指定されていました。そうです。日本語がありません。日本語どころか、ウルドゥー語、ヒンディー語、ポーランド語など、英国でよく耳にする言語も見当たりません。この言語指定については、多方面から異議が提出され、日本語についても、日本語教育関係者をはじめ、様々なルートを通じた働きかけが行われました。こうした働きかけが功を奏したのか、2013年7月に言語指定は撤回され、どの外国語を学習しても良いことになりました。これで万々歳のはずなのですが、実は、当時、変革に対する教育省の態度が強かったこともあり、この「指定撤回」は、現場では「えっ? 本当? 日本語も対象になったの?」という、俄かには信じられないような出来事でした。そういうわけで、日本語教育界にとって「初等必修化」は、晴天の霹靂のごとく、その開始一年前に現実化したのでした。

-刺激的な小学校での日本語教育-

それでは、この一年で何を準備するのかといえば、9月に始まる新カリキュラムに向けた3年生用の教材作成が中心となります。前出の「日本語授業計画案例」に基づき、授業ごとのパワーポイントなどを準備しています。筆者が最初に行ったのは、実際に公立の小学校に行って、「日本語授業計画案例」を試用することでした。なぜなら、筆者は日本語教育業界に入ってそろそろ20年が経とうとしているのですが、小学校での教育経験はなかったからです。試用は本稿執筆現在も進行中ですが、この現場は筆者が持っていた言語教育観、言語学習者観を、毎度毎度破壊し続ける刺激的な場所です。

授業は、週一回、45分程度。一クラスに7‐8才の子どもが30人います。授業時間数は、4年間合わせても100時間程度にしかなりません。100時間だと、学べる内容も限られているし、学んだところで、いったいどの程度の子どもたちが日本語を使うのでしょう。つまり、この現場では、日本語習得だけでなく「日本語を忘れても残るもの」を念頭にシラバスや教室活動を考える必要があるのです。

筆者は欧州評議会の「複言語・文化間教育Plurilingual and intercultural education」、CLILContent and Language Integrated Learning)、ドラマ教育を参照しながら授業内容を考えています。学習内容に「文化」「教科」「物語」を取り込んで、授業の成立のために日本語を使うという仕掛けです。これならば、将来、日本語を忘れても、異文化に対する知識・ノウハウや、地理、歴史、数学、美術、音楽などの知識、物語に触発されて生じる感情や体験は、子どもたちに残るかもしれません。この点、「遠い日本」はアドバンテージになります。なにしろ、アジアにあるのです。地図で示してもほとんどの子どもは知りません。その自然や街並みも子どもの注意を惹くものが多いです。習慣や礼儀・作法も欧州のものとは違うものが生きています。お馴染みの侍・忍者もいるし、アニメ・漫画もあります。言語教育の選択基準を「○○語をやると就職機会が高まる」という数式に当てはめると、日本語は欧州において苦戦を強いられますが、「言語教育を通して異なる世界と接し、自己を育成する」という局面においては、日本語教育は固有の価値を持つと思います。

-「人生捨てたもんじゃないよね」-

日本語クラスの写真
日本語クラス

現在、2クラス、計60人の子どもを見ています。ロンドンの公立校なので、人種、民族も多様、学習能力もバラバラ、おそらく家族の経済的状況も様々でしょう。知識社会においては、学業の成否は社会参加の重要な要因になります。このためには、子どもたちは、成績不良でも、あきらめずに学習し続ける能力が必要となります。そこで、小学校の日本語教育には、日本語の習得以上に、今ある社会には様々な次元が隠れており、それは面白いものかもしれない、という社会に対する積極的な態度を育成する機能も重要だと思います。よって、日本語教育は学習の楽しさや、成功経験、また、意外性を含むものでなければならないと考えています。

今年の春に子どもたちは、国際交流基金拠点の日本語学習者とともに、「恋するフォーチュンクッキー」のビデオ制作に参加しました。出番は「Yeah! Yeah! Yeah!」と「人生捨てたもんじゃないよね」の二回。競争が激化する英国社会で、この60人がすべて順風満帆の人生を過ごせるとは限りません。しかし、ある基準からは評価されなくとも、自分自身を守り、それを乗り越えて、最後に「Yeah! Yeah! Yeah!」と言ってもらいたい。課題は山積みですが、このような「市民育成のための日本語教育」に日々取り組んでいます。

派遣先機関の情報
派遣先機関名称
The Japan Foundation, London
派遣先機関の位置付け
及び業務内容
ロンドン日本文化センターは1997年に日本語センターを開設。その業務は、JF日本語講座、当地の教育情報の収集と支援事業の企画・実施である。
・教材開発と提供:初等教育用には「Japanese Scheme of Work」「Ready Steady NihonGo!」、中等教育用にはリソース群「力CHIKARA」を開発、公開している。
・初中等各校における日本語導入促進を目的とした出張授業、教師研修会や日本語コース、教育情報を提供するコースなどを実施している。
・このほか、スピーチコンテストの実施、英国日本語教育学会との共催事業、ウェブサイトを通しての情報提供などを行っている。
所在地 Russell Square House, 10-12 Russell Square,London WC1B 5EH,UK
国際交流基金からの派遣者数 上級専門家:1名
国際交流基金からの派遣開始年 1997年
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