日本語教育通信 文法を楽しく ~ている・~ていた(2)

文法を楽しく
このコーナーでは、学習上の問題となりやすい文法項目を取り上げ、日本語を母語としない人の視点に立って、実際の使い方をわかりやすく解説します。

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~ている・~ていた(2)

  前回の「~ている・~ていた(1)」では「~ている」のいろいろな意味用法について見てきました。今回は「~ていた」について考えます。
  次のような「~ていた」を用いた文はどんな時に使われるでしょうか。

  皆さんの頭の中に浮かんでくるのは、次のように、過去のある時点の「その時(は)/そのころ(は)/その時点で(は)」+「~ていた」ではないでしょうか。

  では、まず、「~ていた」がよく使用される用法について見ていきましょう。ここでは、(1)の「動作の進行・継続」、(2)の「結果の状態」、および、「反事実過去」を取り上げます。

1.「動作の進行・継続」の「~ていた」の場合

「動作の進行・継続」の「~ていた」の場合の図

  話し手(人の顔のアイコン)の注意は過去のある時点に置かれ、その時点ではすでに、「庭を掃除する」「手紙を書く」という行為が開始され、その時点まで続いていたことを表します。つまり、「動作の進行・継続」の「~ていた」は、過去のある時点で物事が一定時間続いていたことを表します。

2.「動作・動きの結果の状態」の「~ていた」

「動作・動きの結果の状態」の「~ていた」場合の図

  1と同様、話し手の注意は過去のある時点に置かれ、その時にはすでに愛犬は死んだ状態、車は止まった状態であったことを表しています。つまり、「動作・動きの結果の状態」を表す「~ていた」は、過去のある時点で事態はすでに終わっていて、その結果の状態が残っていることを表します。

  以上の1、2については、次の(7)の「反復」や、(8)の「記録・経歴」を表す「~ていた」などにも同じことが言え、「過去のある時点で、すでに反復や記録・経歴が行われていた」ことを表します。

3.反事実過去(~ていれば/ていたら、~)

  反事実過去というのは、実際には起こっていないことに対して、「その時、別のことをしていたら、状況が変わっただろう」と仮の状況を描くものです。仮定のことを述べるので、「~ば」や「~たら」が使われます。その時点で「早く出発しなかった」「前に禁煙しなかった」わけですから、もっと前に「やっておけばよかった」という「過去の前(過去の過去)のことを想定する」意味で、「~ていた」が現れやすくなります。
  「~ていた」の付け方としては、従属節(条件節)のほうに「~ていれば」「~ていたら」を付け、主節のほうは、「~ていた」があってもなくてもそれほど違いはありません。

  以上、「~ていた」がよく使われる場合について見てきましたが、「~ていた」には次のように「視点」1に関係する使われ方があります。

4.視点(話し手の注視点)に関わる「~ていた」

1)「~た」と「~ていた」

  次の2文を見てください。2文はどのように違うでしょうか。

「~た」と「~ていた」の図

  (11)で、aは「歩いた」、bは「歩いていた」を使っていますが、abとも「僕たちが並んで夕暮れの公園を歩いた」ことを表しています。両者には意味的にどのような違いがあるのでしょうか。次の問題を通して違いを考えてみてください。

  いかがでしょう。次のようにa-i、b-iiとした方が多かったのではないでしょうか。

  (11)’aは自分たちが公園を散歩する行為について述べていますが、話し手の視線は、公園の全体的な情景の描写に置かれています。単に過去の事実として全体を描写しています。一方、bは「公園を歩いていた。ある時/その時・・・」というように、公園を歩いていた状況に視点を置いて、その時何が起こったのか、どうなったのかと具体的なできごとの描写に移っています。前者では話し手が俯瞰的に物事をとらえて述べているのに対し、後者は視点をもっと近づけて、一つの事柄にスポットを当てている感じがあります。

問題11の図。男女2人が公園を歩いているイラスト。左下は(11)’ a の公園の様子、右下は(11)’ b の様子を表している

  藤城 (1996)2は、「~ていた」には「出来事を感知したときの観察者の視点を浮かび上がらせる機能がある」と述べ、それを「感知の視点」と呼んでいます。
  次の会話を見てください。次の会話でBは、「来ました」とも「来ていました」とも答えることができます。

  「来ました」は単に来たか否かについて述べていますが、「来ていました」は、話し手が田中さんが来たことを見て、言い換えれば「来たこと」を「感知し、認識して」述べています。
  藤城 (1996)は、「していた」が「感知の視点」を表す場合として、次の二つを挙げています。

  1. 文脈から、話者や登場人物の視野に変化があった、または、新しい視野が広がったとき。
  2. 話者が、ある出来事を、(外から)感知したものとして提示し、そうすることによって、
    その出来事と、話者または登場人物との接点のあり方を表そうとする場合。

  (11)’bは①の場合に当てはまると考えられます。公園を歩いていて、2人の男に気がついたというような視野の変化、広がりを表しています。

2)「(~と)言っていた」について

  では、次に、伝言の時などに用いる「(~と)言っていた」について考えてみましょう。
  あなたは今から知人のDさんに会いに行きます。出かける時、同僚のCさんから「Dさんによろしくね」と言われました。では、Dさんに会った時、あなたは次のどちらを言うでしょうか。

適切なのはbですね。aの「言いました」は、Cさんが言ったか言わなかったかという事実を問題にしていますが、b「言っていました」は、(あなたが)Cさんの言ったことを伝言としてDさんに届かせようとしています。「言っていました」を用いることで、「よろしく」という内容を相手に伝えていると考えられます。
  これは、話し手であるあなたが、登場人物のCさんとDさんとの接点を示そうとする藤城 (1996)の、「感知の視点」の②の場合だと考えられます。

  1. 1:視点には視線の出発点を意味する場合と、到達点(注視点)を意味する場合があるが、ここでは後者の場合を中心に、話し手が何に注目し、どうとらえ、そして、どう伝えるかという点から考える。
  2. 2:藤城浩子(1996)「シテイタのもうひとつの機能―感知の視点を表すシテイタ―」『日本語教育』88号 1-12

(市川保子/日本語国際センター客員講師)

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