日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第38回

日本語・日本語教育を研究する
このコーナーでは、これから研究を目指す海外の日本語の先生方のために、日本語学・日本語教育の研究について情報をおとどけしています。

大阪大学大学院文学研究科 教授 青木直子

学習者オートノミー、自己主導型学習、日本語ポートフォリオ、アドバイジング、セルフ・アクセス

1.初めに

 私はこの10数年、学習者オートノミーという言葉をキーワードにした研究をしている。1980年代の初めにコミュニカティブ・アプローチに関する文献を読み始めた頃から、この言葉は気になっていたが(青木, 1991)、この言葉について本格的に考えるきっかけになったのは、日本人の大学生を教え始めて、彼らのやる気のなさそうな態度の背後に自分の人間的成長に役に立つことを学びたいという強い気持ちが隠されているのを知ったことである(Aoki & Smith, 1999)。その後、2001年度から2003年度に在日外国人のために開かれている日本語教室での学習の実態を調査して、学習支援活動が必ずしも有効に機能していないことがわかり、学習者オートノミーという概念を日本語学習支援の文脈に持ち込むことで問題が解決できないだろうかと考えた(青木, 2004)。目下の最大の関心事は、その発想をどうやって具体的な形にするかということである。私は、日本で生活する日本語を第二言語とする人たちが自分らしく生きていくために日本語を学ぶのを助けるためには、少なくとも3つの条件が必要だと考えている。それは、学習の計画・実行をサポートするツール(例えば、『日本語ポートフォリオ』)、学習者が学び方を学ぶためのサポートをするアドバイジング、そして学習に必要なリソースに自由にアクセスできる場(例えば、セルフ・アクセス・センター)である。本稿では、学習者オートノミーとは何かを簡単に述べた後で、これら3つの条件について解説する。最後に、これらの条件がなぜ必要条件であり十分条件ではあり得ないのかを、社会的文脈という観点から説明する。

2.学習者オートノミーとは何か

 学習者オートノミーは定義が難しい。しばしば引用されるHolec (1981)の「自分自身の学習を管理する能力」という定義に異議を唱える研究者や教師はまずいないが、問題は、管理するという表現があまりにも漠然としていて、具体的に何を指すのか解釈が分かれるということである(Benson, 2003)。さらに、このような能力は責任なのか権利なのかという解釈も人によって異なる。学習者は自らの学習に責任を持つべきだと言う人もいるが、それに対して自分が学習したいことを自分にとって都合のいい方法で学習するのは権利であって、その自由が許されなければいけないという論の立て方をする人もいる。Holec (2009)は、学習者オートノミーの実践であると主張されるものの中には実は2つの全く異なるパラダイムが存在するとさえ言っている。私は、学習者オートノミーとは、自分の学習に関する意志決定を自分で行うための能力であって、またその能力を使う権利だと考えている。自分の学習について自分で決めるというのは、学習の目的、目標、内容、順序、リソースとその利用法、ペース、場所、評価方法を選ぶということである。

 学習者オートノミーが能力であるということは、具体的な学習者の行動を指すものではないということである。能力の使い方は人さまざまであるし、一人の人でも時と場合によってどのように自分の能力を使うかは変わりうる。一つ比喩を挙げるなら、自分で個人旅行の手配もできるが、今回は忙しいからパック旅行で、という選択をする人もいるということである。能力と行動を区別するために、学習者オートノミーを行使した学習活動はしばしば自己主導型学習と呼ばれる(Holec, 1985)。学習者オートノミーは自己主導型学習を経験することによって育つと言われている(Little, 1991)。

3.『日本語ポートフォリオ』

 多くの学習者にとって自己主導型学習はなじみの薄い学習形態である。いきなり学習に関する諸々の選択をすべて委ねられても、どうしてよいかわからなかったり、方法自体に懐疑的になったりしがちである。学習者が自分の学習目的にかなった賢い選択ができるようになるためには何らかのサポートが必要である。その一つが学習を管理するためのツールである。ツールには様々な形が考えられるが、ここでは典型的なものとして『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』と、それにヒントを得て私が作った『日本語ポートフォリオ』(青木, 2006)について紹介する。

 国境を越えた人口移動の激しいヨーロッパ諸国では、外国語教育の継続性を確保するために、能力記述と学習記録の標準化を必要としていた。これらの目的のためにヨーロッパ協議会が開発したのが『ヨーロッパ共通参照枠』と『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』である。

 『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』は、一人一人の学習者が自分で自分の学習の記録を残していくためのツールであるが、一つの物理的産物ではない。開発者のためのガイドライン(Schneider & Lenz, n.d.)に従いつつ、学習者の年齢や学習目的に合わせて、様々な国、様々の機関が独自の『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』を開発している。現在ヨーロッパ諸国では、初等教育から成人教育まで100を超える『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』が存在する。

 『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』はパスポート、バイオグラフィー、ドシエの3つのパートを持たなくてはならない。パスポートは、学習者のこれまでの外国語学習や異文化接触の経験を簡潔に記録するもので、『ヨーロッパ共通参照枠』の自己評価表が含まれている。違う学校に行く時や就職したい時にこれを見せれば、国は違っても自分の能力の証明に使える。バイオグラフィーは自己評価、目標設定、学習方法の選択、学習計画の作成などを助けるための各種フォームからなっている。ドシエは、学習記録や学習の成果をファイルするところである。『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』には、持ち主の外国語能力を示す報告機能と、外国語の学び方を学ぶ、つまり学習者オートノミーを育てるという教育的機能があるとされている(Little & Perclová, n.d.)。

 『日本語ポートフォリオ』は、留学以外の目的で日本に滞在する成人を対象として、地域の日本語教室で使ってもらうことを想定して作成した。『日本語ポートフォリオ』は以下の13のセクションからなっている。

  「はじめに」
  「日本語教室に行こうと思った理由」
  「私の言葉」
  「自己紹介」
  「日本に来るまえ、日本に来てから、そして、これからの希望」
  「私の自己評価」
  「日本語でできます!」
  「近い目標」
  「学習の日記」
  「日本語を覚えたり、練習したりするチャンス」
  「私の好きな勉強の方法」
  「私にとって大切な言葉」
  「私の作品」

 『日本語ポートフォリオ』が対象とする人々は仕事をしたり、子育てや家事、場合によっては家族の介護をしたりしていて、学習にさける時間が限られている。『日本語ポートフォリオ』の「はじめに」にある学習者にあてたメッセージには、こうした問題を解決するために、自分で自分の学習のイニシアティブをとり、生活の中で言葉を覚えていくことが大切であるということが書かれている。この他にも対象者の属性を反映した特徴がいくつかある。一つは、「日本語でできます!」のセクションにある能力記述文が、仕事や生活に関することが中心になっていることである。例えば、留学生であれば、学習・研究に関わる能力記述文を含める必要があるが、『日本語ポートフォリオ』にはそれはない。二つめの特徴は、能力記述文が『ヨーロッパ共通参照枠』のレベルでB2までしか含まれていないということである。これは決して、留学生でない人はそれ以上のレベルに達する必要はないという意味ではない。地域の日本語教室に通う人たちの大多数は初級者であり、いたずらに能力記述文の数を増やして近づきがたい印象を与えたくなかったためと、B2以上のレベルに達した人たちは日本語教室に通わなくても日本語のレパートリーを増やしていくことが可能だろうと考えたためである。三つめの特徴は、学習者の母語の使用である。日本語の表記体系を身につけることは非漢字圏出身の学習者には大きな困難を伴う。学校に行っていない人たちの中には、話すことはできるが読み書きは苦手という人はたくさんいる。また、『日本語ポートフォリオ』は後述するように学習者に言語学習観の転換を求めるものであるが、たとえ漢字圏出身の学習者でもそのメッセージを初級者が日本語で理解することは難しい。そこで、少なくとも最初の段階では母語版が必要であると考えた。現在のところ、日本語の漢字仮名まじり版、ローマ字版の他に、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語、スペイン語、ベトナム語、インドネシア語の7言語がある。母語版を用意することには、学習者の母語ができない学習支援者が初級前半の学習者とでも『日本語ポートフォリオ』を介して、ある程度の意思疎通が可能になるという利点もある。

 『日本語ポートフォリオ』には『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』の「パスポート」にあたるパートはない。これは、『日本語ポートフォリオ』が全国的に通用し、そこに記されている言語学習歴や言語能力の記述がどこでも認知されるわけではないので、報告機能を持ち得ないという事情による。『日本語ポートフォリオ』は教育的機能だけを考えて作られている。

4.アドバイジング

 『日本語ポートフォリオ』は自己主導型学習を支えるツールであるが、冊子を学習者に丸投げするだけでうまく使ってもらえることは稀である。『日本語ポートフォリオ』を上手に使えるようになるために、ひいては、学習者オートノミーを育てるために、多くの学習者はさらにサポートを必要とする。アドバイジングはそのサポートの一つの形である。アドバイジングの目的は、学習者が言葉の学び方を学ぶのを助けることである。アドバイザーの役割は大まかに言って3つある。一つめは学習者がplan-do-seeのサイクルを作るのを助けること。学習者オートノミーを行使するとは学習者が目標設定、計画、実行、評価というサイクルを繰り返すということである。このサイクルが自分で作れるようになる過程を援助するために必要なことは、アドバイザーが質問をするということである(青木, 2001)。何ができるようになりたいのか、そのためにどんなリソースをどのような方法で使えばいいと思うか、目標が達成できたかどうかはどのようにすればわかるか、計画はうまく行ったか、行かなかったとすればそれはなぜか、といったような質問をすることで学習者の思考のプロセスの道標を作る。ここで大切なことは、質問をしたら、学習者が考える時間を持てるようにアドバイザーは黙って待つこと、質問の答えは傾聴し、決して途中で割り込んだりしないこと、学習者の言うことを承認することである。アドバイザーは学習者の考えに必ずしも賛成ではないかもしれないが、自分の考えを押しつけてはならない。言語学習の方法は一通りではない。人によって向いている学習方法も異なる。学習者のアイディアではうまくいかないとは言いきれないし、たとえ失敗したとしても、学習者はそこから何かを学ぶことができる。

 どうしたらいいか分からない人には選択肢を提示する。従って、アドバイザーは様々な学習目的それぞれに適したリソースやその使い方の知識を持っていなくてはいけない。しかも、選択肢を1つしか提供しなければ、それはこれをやりなさいと言っているのと同じことになってしまう。だから、複数の選択肢を提供できるだけの豊かな知識が必要だということになる。ここで難しいのは、どうしても学習者からアイディアが出てこないということがわかるまでは、自分の知っていることを言ってはならないという点である。知っているとどうしても言いたくなるが、そうした気持ちは抑えなくてはならない。また、「こういうことが役に立つかもしれない」、「興味があったら、やってみたらどうですか」のように、指示として受け取られないような表現を使うことも大切である(Gremmo, 2009)。

 二つめの役割は学習上の問題を解決するために言語学習のノウハウに関する専門知識を提供すること。例えば、聞き取りの困難を訴える学習者がいた場合、心理学的に言って聞き取りのプロセスはどのようになっているのか、困難の原因として考えられるものには何があるか、それらの原因を取り除くためにはどうしたらいいかについて専門的な情報を提供するということである。しかし、学習のしかたのノウハウの中には、学習者同士でシェアすることが可能なものもある。例えば、忙しい学習者がタイム・マネジメントの能力を身につけたいという希望を持った場合、学習者同士で経験にもとづいたアイディアを持ち寄ることもできるだろう。このような事柄に関してはグループでのワークショップのほうが1対1のアドバイジングより適当かもしれない。学習者が自分たちで問題を解決できることを実感することができるからだ。従って、アドバイザーにはワークショップのファシリテーター役をつとめる能力も必要になる。

 三つめの役割は動機の維持を助けることである。第二言語教育における動機づけの研究の歴史の中では、多くの場合、動機というのは学習者が言葉を学びたい、あるいは学ばなければいけないと思う理由と同義であった。しかし、理由があるということと実際に学習活動を継続的に行うこととはまったく別の問題である。やる気を維持するためには理由以外の要因が必要である。最近は、時間とともに変化するやる気の研究が行われている(Norton, 2000; Dörnyei, 2001)。やる気の変化に関する理論はいろいろあるが、ここではDörnyei(2009)の「理想の私」という理論に照らし合わせて、アドバイザーの役割を考えよう。Dörnyei(前掲)は、以下の5つの条件が満たされた時にやる気の維持が可能になると主張している。1)学習者が、将来の「理想の私」について詳しくはっきりしたイメージをもっている、2)「理想の私」になることができると思っている、3)「理想の私」と「あるべき私」が矛盾していない、4)「理想の私」を思い出す手がかりがある、5)「理想の私」に近づく方法を知っている。

 アドバイザーの質問は、学習者が最終的に日本語ができるようになったら何をしたいのかを明確にすることを助ける。これは上の条件の1)を満たす助けになる。また、アドバイザーの質問は、学習者が定期的に設定する短期目標が学習者の「理想の私」像と整合性を持っているかを考える手がかりになり、適切な短期目標を達成するための計画を立てる手助けとなる。これは上の条件の4)と5)を満たすことに貢献するだろう。定期的にアドバイザーと会うこと自体が「理想の私」を思い出す手がかりにもなるかもしれない。さらに、学習者とのやりとりの中で、アドバイザーがポジティブな物の見方をし、ポジティブな表現を使うことで、学習者は自分の学習の成果をポジティブに捉えられるようになるだろう。また、とにかく学習を続けることが先決なので、あきたら他のことをしてもいい、無理だとわかった計画はあきらめてもいい、無駄だと思ったら最後までやらなくてもいいなど、やる気を失いがちな状況を克服するための、自分にやさしいストラテジーを奨励することでも、無理をしないで「理想の私」に近づく方法はいろいろあるということがわかってもらえるだろう。これらは上の条件2)を満たすのに役に立つだろう。3)にある「あるべき私」とは、他者が学習者に何を期待しているかということである。アドバイザーは学習者の周囲にいる他者の態度を変えることはできないが、少なくともアドバイザーは自分の近づきたい「理想の私」像を理解し、自分の学習に関心を持ってくれると感じてもらえれば、アドバイジングの場では「理想の私」と「あるべき私」は矛盾していないと思ってもらえるだろう。その意味でも、アドバイザーが学習者の学習の進展に関心を持ち、学習計画のフォローをきちんとしていくことが大切である。

5.セルフアクセス・センター

 『日本語ポートフォリオ』を使って目標を設定し、学習の計画を立てたとしても、言語はリソースなしでは学べない。目標言語で書かれたテキストなどの言語資料はもちろんだが、目標言語話者とのやりとりも第二言語習得には不可欠である。さらに、辞書や文法書などの参考書、社会・文化的背景知識を得るための資料も必要である。また、音声や画像の再生装置、録音・録画装置、コンピュータとソフトウェア、インターネットへの接続などなどの道具も、あれば学習方法の可能性の幅が大きく広がる。伝統的に、これらのリソースは教師がコントロールしていた。授業で使うテキストを選んで用意するのは教師であり、学習者が接触する目標言語話者も教師であった。教室でテープレコーダーを操作するのも教師であった。しかし、それでは学習者が自分の学習に関するイニシアティブをとるのは困難である。自己主導型学習を行うためには学習者がこれらのリソースに自由にアクセスできる必要がある。フランスのナンシー大学などでは1970年代からセルフアクセス・センターを設けているが、インターネットの普及と電子機器の低価格化に伴って、セルフアクセスの可能性は大きく拡大した。

 セルフアクセス・センターは図書館に似ているが、図書館と違う点は、学習者が自分に必要なものを見つけやすいようにリソースが分類されてカタログが作られているということである。また、学習に使うための道具(コンピュータ、DVDプレーヤ他のAV機器など)も自由に使えるようになっている。センターには勉強できるスペースが設けられており、会話の練習がしたい人には話ができるスペースもある。また学習の相談に乗ってくれるアドバイザーがいる。勉強方法などに関するワークショップが企画されることもある(Murray, 2009; Karlsson & Kjisik, 2009)。

 セルフアクセス・センターの設置と運営は、教師や日本語ボランティアに発想の転換を要求する。例えば、学習者が自分で自分の学習目的にかなったリソースを探したいと思っても、多くの初級の教科書は背表紙に日本語しか書いておらず、日本語が読めなくては中身がわからないという事実にどのくらいの日本語母語話者の教師や日本語ボランティアが気づいているだろうか。また、そうした教科書の多くは教師が授業で使うことを想定して作られており、学習者が一人で使おうと思っても、各課の目標や使用法、練習問題の答えなどが学習者にわかる形で明示されていないという問題もある。大阪大学の日本語教育実習で開いている日本語教室は、リソースを毎回会場に運び並べるという極めて原始的なセルフアクセス方式をとっているが、教科書の背表紙にシールを貼って、シールの色と模様でどのような学習目的に合った本であるかが一目でわかるようにしている。また、本の表紙の内側に、どのようなレベルの人向けであり、どのような副教材があり、教師あるいは日本語が堪能な誰かと一緒でなくても使えるものであるかなどの情報を記したフォームを貼った。これらのフォームには日本語、中国語、英語が使われている。これは、大阪大学のキャンパスではこれら3言語があれば、9割以上の学習者に理解可能になるからである。もっとラジカルなやり方としては、教科書を壊して、ページをラミネートし、使い方のヒントや練習問題の答えなどとセットにして、学習目標別に分類して並べるという方法も考えられる(Holec, 2009)。

 リソースをどこにどうやって置くかというのも重要なポイントである。とにかく、学習者が気軽に手にとってみようと思いやすい形にすることが大切である。閉架式の書庫はもちろん論外であるが、開架式であっても学習スペースと別の部屋にあったり、扉つきの本棚に入っていたりして、目につきにくい場所にあってはリソースの存在をアピールできない。また、扉を開ける、誰かに鍵を開けてもらうなど、わざわざ何かをしなくては手にとれないようではそれが心理的な障害にもなりうる。一言で言えば、紛失などを防止する管理の発想ではなく、使い手の身になったディスプレイの発想が必要なのである。さらに定期的にあるべきものがあるべきところにあるのをチェックする必要もある。

6.学習者を取り巻く社会的文脈

 自分の学習を自分で管理するためのツールがあり、自由にアクセスできるリソースと学び方を学ぶためのアドバイジングのサービスが提供されていても、すべての学習者が自分の望む学習ができるとは限らない。学習は常に社会的文脈の中で行われるもので、社会的文脈は学習の助けにも障害にもなりうるからである。

 学習を支える社会的文脈の条件は、マクロのレベル、メゾのレベル、ミクロのレベル、と三つに分けると考えやすい(Aoki, 2009)。マクロのレベルは、学習を支える制度であると考えればよい。例えば、多くの在日ブラジル人のように日に12時間以上も働いている人たちが日本語を勉強しようと思っても、学習に必要な時間も体力も心理的余裕も確保するのは難しいだろう。アイルランドでは難民が英語を学ぶ時間を確保するために生活費が支給される(Little, 2009)。このように充分な学習時間が確保できるシステムを作っていかなければならない。また、『ヨーロッパ言語ポートフォリオ』のように学習の成果が社会的に認知されるような仕組みも必要である。現状では、学習者が自分の日本語能力を証明しようと思えば、日本語能力試験を受けるぐらいしか方法がない。だから学習者は日本語能力試験の内容や方法が自分の実生活でのニーズに照らし合わせて妥当であってもなくてもとにかく能力試験の準備のための勉強をせざるを得ない。この種の試験に合格することがビザの更新や就職の条件になったら、この傾向はさらに助長されるだろう。学習者が学習者オートノミーを行使するのを許すためには、試験制度の見直しも必要になる(青木, 2008)。

 メゾのレベルは、周囲の他者との関係において学習者がどのようなアイデンティティを構築できるかという問題である。言葉を身につけるということは、ある意味で「○○語を話す私」という新しいアイデンティティを作っていくことである(中山, 2009)。アイデンティティは自らが宣言、主張するものであると同時に、他者から付与されるものでもある(Riley, 2003)。学習者が構築したいと考えるアイデンティティと他者が付与しようとするアイデンティティに整合性がなければ、第二言語を使って生きることはストレスに満ちた経験になるだろう。自己主導型学習に関連させて言えば、周囲の他者が学習者に「ノンネイティブ」あるいは「外国人」というラベルを貼って、それを理由に社会参加の機会から排除したり、完璧な日本語能力を要求したりすれば、学習者が自分でたてた目標を達成したと感じることは著しくむずかしくなる。能力記述文の「一人でできる」の欄にチェックを入れるためには、他者が学習者が能力を発揮するのを許し、その能力を認める必要があるのである。

 ミクロのレベルというのは、言語の微視的発生(Ohta, 2001)に適した環境を作るために学習者が会話の流れをコントロールするのを会話の相手が許しているかということである。会話の相手が何をする必要があるのか具体的に言うと、学習者が何をどういうか考えたり、新しいインプットを記憶に留めるための時間を持てるように十分待つ、学習者のターンに割り込まない、相手のターンをひきとって終わらせない、わからないことは確認する、助けを求められたら必要とされる情報を過不足なく提供する、話題を勝手に変えない、自分の使う言葉を学習者が理解可能なレベルに調整するなどである(Aoki, 2009)。このようなことは教師や学習支援者なら必ずできるというものでも、一般の人は誰もできないというものでもない。要は、一人一人の学習者が日々接触する日本語話者の中にこうしたことのできる人が何人いるかが、その学習者の日本語能力の伸びを左右するだろうということである。

 以上述べたように、ツール、リソース、アドバイジングは学習者オートノミーが育つための必要条件ではあるが十分条件ではない。ミクロ、メゾ、マクロのレベルの社会的文脈が学習者を支えなければ、学習者に自己主導型学習を求めるのは不当な要求でしかない。

7.終わりに

 『日本語ポートフォリオ』というツールは作ったが、日本語を第二言語として使って生きる人たちが学習者オートノミーを育て、行使するために理想的な条件を整えるにはまだ道のりは長い。大阪大学の日本語教育実習でアドバイジングのやり方を教えたり、日本語ボランティアを対象としたアドバイザー養成講座を開いたりしてはいるが、アドバイジングができる人はまだまだ少ない。神戸で一般の外国人向けの小さいセルフアクセス・センターを作るお手伝いもしたが、こうした場所はもっともっと必要である。しかし、セルフアクセス・センターを増やしていくために場所やリソースを新たに確保しようとしても、そのための資金調達はかんたんではない。公立図書館や自治体の国際交流センターのようなもともとリソースを持っているところに場所を提供してもらってセルフアクセス・センターを作ることも考えられるが、そのためには行政の理解が不可欠である。さらに、社会的文脈の条件を整えるためには、諸々の制度の改善のための働きかけもしなくてはならないし、一般の日本人への啓蒙活動も必要である。こうした活動に当事者である学習者の人たちが主体的に関わるのを妨げている障害も取り除かなくてはいけない。私一人の力でできることには限りがある。趣旨に賛同してくれる仲間はいつでも募集中である。

参考文献

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