国際交流基金賞50周年記念 ヨーゼフ・クライナーさんからのメッセージ

ヨーゼフ・クライナーさんの写真

昭和62(1987)年度 国際交流奨励賞
平成15(2003)年度 国際交流基金賞

ドイツ・ボン大学名誉教授
法政大学国際日本学研究所客員所員 / 日本民族学

ヨーゼフ・クライナー

[オーストリア]

国際交流基金賞50周年記念に思う

昭和47年(1972)初秋のある晴れた日に、日本ペンクラブが世界の日本研究者を京都に招いた初めての日本研究世界大会が開催された。その席で、確か当時の設立委員会の井上理事からだったと記憶しているが、諸外国で行われている日本語、日本の文化、歴史や社会に関する研究を援助することを通じて、世界における日本のより良い、より正しい理解の育成を目指す国際交流基金の設立が発表された。その夜、同じ国の大学の日本研究機関に属しながらも横のつながりを持たずに、当時まったく孤立していたヨーロッパからの参加者数人がホテルのロビーに寄り合い、今後の協力の可能性について話し合った。翌年、イギリスの Richard Storry リチャード・ストーリー先生が60人あまりの研究者に呼びかけてオックスフォード大学に集い、ヨーロッパ日本研究協会 EAJSが生まれた。その年に Serge Elisseeff セルジュ・エリセーエフ先生が初めての国際交流基金賞を受賞されたのであった。ロシアに生まれて、ロシアから日本へ留学して後にパリのソルボンヌ大学で活躍し、晩年はアメリカ合衆国ハーバード大学の日本研究所の基層を築いたこの巨人は、まさに西洋の日本研究を代表する先駆者であり、ヨーロッパの伝統と役割を証明するにふさわしい存在だった。

国際交流基金はまだ幼いヨーロッパの協会であるEAJSをその設立当時から暖かく見守り、援助し続けてくれていた。1976年にスイス・チューリッヒで開催された初めてのヨーロッパ日本研究大会で基調講演を行った社会人類学の中根千枝先生を派遣して下さって以来、各大会にゲストスピーカーを送り、またヨーロッパの研究者に数多くの基金賞を与えて下さった。しかし最も重要なのは、1975年に頂いた国際交流基金の奨励賞だったと感じている。この受賞によりヨーロッパ日本研究協会の本当の意味での出発が可能となった。私が当時二代目の会長として賞を受け取ることになった。この年の基金賞の受賞者はエリセーエフ先生の直弟子である Edwin Reischauer エドウィン・ライシャワー先生であり、このことは非常に意味深く思われた。協会はこの受賞により、輪番で事務所を持つことが可能となり、会員数は近年1500あまりにまで膨らみ、日本と世界の日本研究との間の非常に強い結びつきとなっている。

基金賞について考える時、私はまずEAJSに与えて頂いたこの賞のことを感謝と共に思い出さずにはいられない。

私事で恥ずかしいことながら、私はまったくの不勉強で、民間伝承というむしろ周辺にある研究分野にいる者である。それにも関わらず奨励賞と基金賞を2つも受賞できたことはもちろん大変名誉でありがたいことであり、嬉しく思っている。奨励賞の受賞は1987年のことで、その年の基金賞は恩師・中根千枝先生が受賞されたことも忘れ難い、心温まる出来事だった。しかし、それはいずれも私の研究成果を認めて頂いたというよりも、日本の島々や津津浦浦、山間の集落の方々が私に教えて下さったことのお陰である。その無名の方々に心から感謝の志を込めて、国際交流基金と基金賞の今後の益々のご発展、ご成功をお祈りするものである。

クライナー・ヨーゼフ

(原文 日本語)

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