EPA日本語講師インタビュー
H30(2018)年度フィリピン派遣

Republic of Philippines
フィリピン

フィリピンEPA講師三人目の写真

EPA講師として派遣されるまでのご経歴~

アパレルメーカーの企画部で14年勤務したのち、海外留学経験を活かし、子どもに英会話を教える仕事に5年ほど携わる。その後、ネイティブである強みが活かせる日本語教師となり、タイとベトナムでそれぞれ2年、エジプトで1年ほど日本語教師として勤務。EPA研修は今回が2回目。

Qなぜ、日本語教師のキャリアとして、EPA日本語講師を選んだのですか?

A

EPA研修では、教務主任・副主任として派遣されている日本語教育専門家の支援が受けられ、密度の高い経験ができると考えたからです。

Q現地の候補者の印象は?

A

日本で働くという明確な目標があるのでモチベーションが高く、熱心な候補者が多いと思います。また、楽しむことが上手で、授業内の活動やゲームにも進んで参加し、発表のときも物怖じせず、本番に強い人が多いという印象があります。

QEPA訪日前研修で驚いたこと(想定外)だったことはなんですか?

A

EPA研修にはバックグラウンドや経験、年齢もさまざまな講師の方々が集まっているので、揉め事も多々あるのかと想像していたのですが、基本みんな同じ立場で同じベクトルに向かって進んでいるので、 自然と一体感が生まれ、いい環境ができていると感じています。

Q実際に現地で教えてみての感想は?

A

1回目の派遣のときより、断然2回目の今回の方が上手く授業が運営できている実感があります。1回目の反省を活かせるということもありますが、2回目の方が候補者のことも自分自身のこともよく見えるようになったからだと思います。

Q現地で良く訪れる場所はどこですか?それはなぜ?

A

ほぼ毎週土曜日は運動も兼ねて、早朝から歩いてサタデーマーケットまで行っています。宿舎から徒歩30分ほどの所にある土曜日のみ開催しているマーケットで、新鮮なオーガニックの野菜や果物を一週間分まとめ買いして帰って来ます。

Q現地の様子は日本で想像していたのと違いましたか?

A

英語を使うフィリピン人が多いと思っていたのですが、タガログ語やビサヤ語などミックスして使っている人がほとんどで、驚きました。

EPA日本語講師を一言で表現すると?

協働

チームでクラスを運営する中で、視点の違いや様々な考え方、アイィデアに触れ、互いに意見交換をしながら力を合わせることで、一人では成し得ないことが可能になることを実感しています。

フィリピンEPA講師一人目の写真

EPA講師として派遣されるまでのご経歴~

日本語模擬試験の作成や、大学の付属高等学院で勉強している留学生の取り出し授業を1年担当したあと、オーストラリアのメルボルンにある現地の私立中高等学校と日本人補習校で1年日本語アシスタントをしていました。帰国後は地元の公立中学校で英語を教えていました。

Qなぜ、日本語教師のキャリアとしてEPA日本語講師を選んだのですか?

A

まったく新しい環境でこれまでとは異なった経験を積むことで、今後の日本語教育におけるキャリアの可能性を広げたいと思ったからです。もともと基金の日本語教育専門家になることが学生時代からの夢でした。EPA日本語講師として基金の事業にかかわれることや、日本語教育専門家の支援を直に受けながら指導に取り組めることはまたとない絶好の機会だと思い、応募しました。また、日本語の授業以外に、「社会文化理解」「自律学習支援」「日本人講師と現地講師のチームワーク」といったEPA日本語講師だからこそ 経験できる密度の高い業務内容にも大変魅力を感じました。

Q現地に来る前、不安だったことは何ですか?

A

『みんなの日本語』を使って教えたことも、成人を対象に教えたことも、東南アジアに住んだこともなかったので、業務に対しても、生活に対しても具体的なイメージがわかなかったことが一番不安でした。新しいことに挑戦したい気持ちと不安との葛藤も、派遣前研修があったおかげでだいぶ和らぎました。

Q現地の候補者の印象は?

A

どんなときも前向きで、お互いに助け合って一生懸命取り組む姿が大変印象に残っています。「日本で看護師・介護福祉士になる」という明確な目標を共有していることが、候補者同士の関係性をより近く、強いものにしているのでしょうか。候補者の「あ!わかった!」という授業中の嬉しそうな顔や、イベント後の達成感と満足感にあふれた笑顔を見るたびに、こちらのモチベーションも上がりました。

Q実際に現地で教えてみての感想は?

A

過去のデータや参考図書など教材教具が充実しているため、授業準備がしやすかったです。通勤時に翌日の授業についてほかの講師と相談したり、共用スペースで現地講師から日本語学習経験者ならではのアイディアが聞けたりしたのも大変参考になりました。EPA日本語講師としての業務は授業をはじめ多岐にわたるので、毎日があっという間に過ぎていきました。

QEPA日本語講師を経験しての感想は?

A

壁にぶち当たったときや、何かやってみたいアイディアが浮かんだとき、すぐに相談したり助言を求めたりできる環境であったことに大変感謝しています。知識が豊富な日本語教育専門家の方々や、さまざまなバックグラウンドを持った講師の方々の支えを日常的に受けられたからこそ、日本語教師として経験が浅い私でも、安心して一歩ずつ自分のできることを増やし、チームにおける役割を広げられたように思います。

QEPA日本語講師の経験は、帰任後の仕事や生活にどのように活かされていますか?

A

学習者の気づきと発見を大切にし、コミュニケーションを目標とした授業づくりの視点は、現在マドリード日本文化センターで『まるごと』講座を運営したり、JFスタンダード*に基づく新しいコースを開発したりする際大変役に立っています。コースの企画運営は周囲の支えが必要不可欠なため、自然とこれまで以上に「つながり」を大切にしている気がします。EPA講師として得た知識と経験を今後は日本語教育専門家として、一人でも多くの日本語学習者や日本語教育関係者に還元していけたらと思っています。
*JFスタンダード(JF日本語教育スタンダード): 相互理解を理念とした日本語教育のための枠組み。
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EPA日本語講師を一言で表現すると?

つながり

人と人との「つながり」がいかに大切かを実感する場面が多かったからです。訪日前研修では、チーム・クラス・グループ・係単位での活動が多くありました。小さなことでも大きなことでも、無事に終えられるたびに、周囲の支えの大きさとありがたさに気づかされました。みんなで協力すれば、一人でするより何十倍もいいもの、思い出深いものになる、そんな素敵な経験がいく度もできた研修でした。

フィリピンEPA講師二人目の写真

EPA講師として派遣されるまでのご経歴~

2015年:(2月)会社を早期退職。(12月)日本語教育能力検定試験合格。
2016年:(3月)日本語教師養成講座(420時間)終了。(2016年5月~2017年3月)日本語パートナーズとしてタイ(4期)に赴任。
2017年:(4月~2018年10月)国内の日本語学校に非常勤教師として勤務。

Qなぜ、日本語教師のキャリアとして、EPA日本語講師を選んだのですか?

A

自分の年齢を考えた時、教師としての寿命はそう長くないと思い、 自他共に認める一人前の教師になるためには 高みを目指せる環境に自分を置く必要があると感じていました。その高みを目指す環境を満たすものがEPA日本語講師でした。

Q現地に来る前、不安だったことは何ですか?

A

日本語教師としての経験が浅い自分が、はたして学習意欲の高い候補者の期待に応える授業ができるのかどうかが一番の不安材料でした。

Q現地の候補者の印象は?

A

非常に勉強熱心で、素直であることに驚かされました。また、時間が経過するにしたがって、クラスの中に連帯感も生まれ、みんなで頑張って日本へ行くんだという雰囲気を感じました。

Q実際に現地で教えてみての感想は?

A

赴任前に期待していた以上に、自分自身が学び、気付かされることが多く、また、教務の先生や同僚からアドバイスや授業のアイディアを数多くもらい、EPA日本語講師を選んだことに満足しています。

Q授業で印象に残ったエピソードは?

A

授業の終わりの挨拶の時に、候補者たちが突然「ハッピーバースデートゥーユー(Happy birthday to you)」を、日本語と英語で歌ってくれた時は感動しました。

Q休日は何をしていますか?

A

授業の準備をすることも多いですが、余裕があるときは目にした風景を水彩画にしたり、日本から持って来たフィリピンを舞台にした小説を現地の空気を感じながら読んでいます。

QEPA日本語講師を選んでみての感想は?

A

期待以上の経験ができたと大満足しています。現地での研修も充実し、他のEPA日本語講師と相互に授業を見学し、 コメントやアドバイスを頂く機会は日本国内ではなかなかないので、自分の授業を見つめ、見直す素晴らしい機会になりました。

EPA日本語講師を一言で表現すると?

目から鱗

私は会社での長年の研究・技術職から離れ、第二の人生として全く分野の異なる日本語教師として歩き始めました。しかし、現地での研修で教務の先生方の講義を聞いた時、見方を変えれば会社生活で培った発想法や動機付け、組織マネジメントなどの中には日本語教育にうまく活用できる要素がたくさんあることに気づかされました。まさに私にとって「目から鱗」でした。

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