サンフランシスコの中学校での二年を終えて

プレシディオ・ミドル・スクール
河野 力也

二年間アシスタントティーチャーとしてきたこと

アシスタントティーチャー(以下、AT)としてこの二年間行ってきたことは、主に授業のアクティビティーをリードティーチャー(以下、LT)と交互にリードしながら、ティームティーチング、準備、採点を中心に行いました。クラス内では日本人の親を持つ学習者がいたり、幼稚園から日本語を学習している学習者がいたりして、学習者の日本語レベルもそれぞれ異なるので、クラスを二つに分けて、どちらか一つのグループを担当して教えていました。それによって前までは授業が簡単過ぎたり難し過ぎた学生たちに相応なレベルのタスクを与えることができるようになりました。また、LTよりも距離が近いということもあり、仲良くなりやすいポジションだったので、学生のメンターとしての役割も果たせたと思います。毎日同じ時間に授業があるので、学生達が疲れていたり、授業に集中できていないこともありました。そのような時に、色々と話を聞いたりして、学習を促していました。それがクラスマネジメントにも繋がっていたと思います。
また、日本の最近の流行りのアニメやファッション、ゲームなどを日頃から授業に取り入れたり、紹介するようにしていました。「最近」というのが学生にとって実はとても大事で、それだけで興味を持ちますし、目の色が変わります。やはり生活とかけ離れたことを勉強するのは辛いし、今後の自分の人生に必要ないのではないかと思ってしまいがちです。そういう意味で、「最近」のことを授業に盛り込むことに貢献できたことは、彼らの生活と日本語学習がリンクしていると感じさせて、学生を授業にエンゲージさせることに繋がったと思います。今後も「最近」の流行りをしっかり調べながら、アニメなどを駆使して、学生が自分の生活とリンクできるような授業を作っていきたいと思います。

派遣先以外での活動

派遣校の近くにあるプリスクールのサマースクールで二週間ほどボランティアをしました。日頃の授業の手伝いから、最終日は夏祭りのバザーがあったので、太鼓や歌のパフォーマンスの練習、屋台などの設計、料理などを手伝ったりしました。秋には、一年に一度ある全米の外国語教師が集まるACTFLの学会で、プレゼンターとしてLTと「Growth Mindset」についてプレゼンテーションをする機会をいただきました。また、二年目は派遣校の向かいにあるワシントンハイスクールの日本語のクラスとの交流を深めるために、ワシントンハイスクールの日本語クラスで何か催し事がある時などは出向いて、お手伝いをさせていただいていました。一番印象深かったイベントはWorld Food Day CampaignTable For Twoというキャンペーンをワシントンの日本語クラスでした時です。クラス内でおにぎりを作り、写真をとってinstagramに写真と一緒にハッシュタグでOnigiriActionと載せると、協賛の企業が写真一枚につき、発展途上国の子ども達に5食分の給食を寄付するというキャンペーンです。日本語のクラスを通して、語学だけに収まらない、今ほとんどの高校生にとって身近なソーシャルメディアを使って、社会を勉強してそれに貢献する活動をするというのは、自分にとっても新しく、とても勉強になりました。その他には、J-pop Summitでボランティアをしたり、一年目に引き続き日系のボランティア団体の一員として日本町で行われる祭りやその他のベイエリアでの日本の文化関連のイベントでよくボランティアとして参加しました。

日米間の若者交流

他のカリフォルニアの都市部でも言えることかもしれませんが、サンフランシスコの異文化交流は日米間だけに限らず、非常に盛んです。最近ではアニメやゲームの影響で日本に興味を持っている人がたくさんいることもこの二年間で身を以て感じました。去年にサンフランシスコ市と大阪市の姉妹都市が解消ということになったことで交流に支障がでなければいいなと願っています。他の人種に比べると、日本人の人口自体は少ないのが現状です。日本人の友達がいたり日本文化に詳しい人もいれば、一方で全く縁のない人もたくさんいるので、そのような学生達が混在している公立の中学校でビギナーのクラスにいたような日本語や日本文化を初めて勉強する子ども達に、日本の文化や流行りを教えたり、文通で手紙を送りあったり学校紹介のビデオを送りあったりするアクティビティーをしてもらうことで、少なからず日本を身近に感じてもらえるようになったのではないかと思います。また、日本語を数年勉強している学生でも、私のような年代の日本で生まれ育った日本人と接したことがない学生が多くいましたので、LTよりも距離が近いポジションということもあり、仲良くなるとともに、日本の魅力を伝えることができたのではないかと思います。

今後の展望

自分も含めて、これから海外で日本語を教える若手教員は、海外、または日本に移住する日系人のアイデンティティーの保持に協力することに加え、これからも増え続けるであろう日本を訪れる外国人観光客、または日本に移住する外国人の手助けになる存在であると自負しております。その架け橋となるような存在がこれからグローバル化していくこの社会で日本にとって必要不可欠な存在であると思っています。これからも私たちが日本の顔となり、それと同時にグローバル人材であり続けられるように願っています。そして、常にアクティブに様々な所に行き、様々な人と知り合い、色んなことに積極的に挑戦していくべきだと思います。 サンフランシスコは比較的なんでも揃っていて、日本語教育の面でも需要はあるし、何ら不自由のない生活を送っていました。来年からはまた違う国、違う環境で日本語を教える仕事をする予定です。これからも日本語教育に何らかの形で携わっていけたらいいなと考えています。自分も教師としてはまだまだなので、もっと色んな経験をして、器の大きい人間になりたいと思います。

  • 派遣先での写真1
  • 派遣先での写真2
  • 派遣先での写真3