平成15年度 国際交流基金賞/奨励賞 授賞式 石澤 良昭氏スピーチ

平成15年度 国際交流基金賞・国際交流奨励賞

国際交流基金賞/石澤 良昭氏

このたび、名誉ある国際交流基金賞を私にお与えいただき、心から感謝を申し上げます。身にあまる光栄でございます。今回の受賞の喜びを、申すまでもなく、カンボジアのシアヌーク国王陛下およびその政府、カンボジア人の友人たち、上智大学の同僚、私たちを支援くださいました調査団の皆さまと共に分かちあいたいと存じます。今回基金賞をいただく選考の対象になったのは、1961年から私がアンコール遺跡の現場に入り、文化遺産の保存・修復、調査・研究を行なってきたことだと思っております。


私の研究の出発点は、アンコール・ワットの石柱等に刻まれた碑文を解読することから始まりました。アンコール王朝約600年の歴史は、周辺諸国の各民族、文化、地域に多くの影響を与え続けてきました。そういう意味で、私はカンボジアを「東南アジアのギリシャ」と呼んでおります。建国数百年の後に、アンコール・ワットという大伽藍として結晶しましたカンボジアの文化の深さではないかと思います。


最初にアンコール・ワットの前にたったとき、大きな衝撃を受けました。これが一番目の衝撃でした。そして、ポルポト時代の後、密林に埋もれたアンコール・ワットの保存・修復、研究は、1980年に始まりました。かつて一緒に保存・修復、調査・研究の仕事をしたカンボジア人友人の保存館の生き残りの一人から、新聞社の方を通じて手紙をもらってからです。何とかアンコール・ワットを助けてほしいということでした。内戦中で国交もないカン?ボジアへ私は出かけていき、それから遺跡の保護作業が始まりました。


このとき2番目の衝撃を受けましたが、11年間放置された遺跡がジャングルに覆われ、遺跡がどこにあるか分からないほどになっていました。

3番目の衝撃は、数年あるいは十数年にわたって一緒に遺跡の修復・研究・調査・研究をしようといっていた保存官30数名がポルポト時代に不慮の死を遂げたことでした。そして、あの大遺跡群をどう保全するか、誰が責任を持つのかということが大問題に直面するわけです。私は、研究をある意味では少し減速させながら、30数名の友人の鎮魂をこめて、カンボジア人保存官の養成をはじめました。「カンボジア人によるカンボジアのためのカンボジアの文化遺産保存・修復」を私たちの哲学として方針に掲げ、自前発掘・自前修復・自国研究の三つを最終的な目標として、現在13年目になります。遺跡保存官の候補者、中級程度の技術を持った作業員、そして熟練した石工、この3本立てでずっと続けています。私たちがある部分を手伝うことはできますが、長期的にやっていくとなりますと、やはり現地のカンボジアの人に責任と文化主権を持ってもらうことが必要だと考えたのです。

最近最も嬉しいことがありました。保存・修復の研修を始めて11年目に、バンテアイ・クデイという遺跡の地中から274体の仏像が出てきたのです。何よりも喜びたいのは、それを取り上げたのがカンボジア人の保存官候補者だったということでした。自国の文化遺産を自分の素手で取り上げるわけですから、大変な感激をしておりました。彼らは非常に信仰深く、一体取り上げるたびに合掌しました。発掘作業が遅れ、日が暮れてしまうわけですが、むしろ私はそこから彼らの信仰の深さを学ばせてもらい、私もそうありたいと願ったわけでございます。現在、日本で、2名が博士学位を、4名が修士学位を取得し、カンボジアに戻っています。彼らが徐々に陣頭指揮を取っています。そしてその教え子たちがやはり現場に立つ、そういうことを期待しています。


アンコール遺跡に入れなかった時代、1975年から80年代の中ごろまで、私はボロブドゥール、パガン、スコタイ、アユタヤなどに出かけ、国際シンポジウムをやったり、その保存・修復現場の担当者から方法論、技術論を語ってもらい、一緒に研究したりしました。

今後も微力ではございますが、東南アジアの文化遺産の保存・修復、学術交流に一層の精進をしたいと思っております。本日はどうもありがとうございました。


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