平成14年度 国際交流基金賞/奨励賞 授賞式 大岡 信氏 挨拶

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今年は国際交流基金設立三十周年記念のめでたい年になります。 その年に国際交流基金賞という、予想したことさえない名誉ある賞を私にお与え頂き、心から感謝もうしあげますと共に、名誉に伴う責任の大きさをも、ひしひしと感じております。

国際交流基金には、海外に出張する時何度かお世話頂きました。その点では大勢の方と共通していると存じますが、私にとっての基金との関りで、常に暖かい感謝の思いを新たにして来ましたものに、基金による定期刊行物「国際交流」誌との関りがあります。

何度か諸外国の詩人との有意義な対談や往復書簡のお相手役としてお招き頂いたほか、エッセーなどの執筆もいたしました。中でも1990年に寄稿しました「車座社会に生きる日本人」という長文のエッセーは、まもなく英語、フランス語、スペイン語に翻訳され、基金の海外向け機関誌に掲載され、その反響もあり、私としては記憶に値する論文となりました。

 しかし、今回基金賞を頂く上で多少とも選考の材料となったと思われますのは、私が過去二十年余り試みてきた海外詩人たちとの「連詩」の試みを、国際交流の観点からも意味があるとお認めくださったためではなかろうかと思います。「連詩」という、多くの人にとってはまだ耳慣れないであろう集団制作の詩的創作行為は、もとをただせば、日本の古代以来の詩歌制作で根本原理の一つであった、連歌(れんが)、連句という集団制作の方法と、現代詩に対しても適用しようと考え、私が数人の友人たちと共に創始した形式でした。

 この試みが海外の日本現代詩研究者や詩人たちの関心を惹き、欧州や米国各地で各国の詩人たちと「レンシ」を試みるべく招かれるようになるのに、さして時間はかかりませんでした。もっとも、ローマ字のRenshiという単語まで、ヨーロッパのいくつかの国の詩人たちの間で使われるようになったことは、私にとっても意外なことでありました。

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 共同制作の詩というものも、それを面白いと感じ、作ってみようというお互いの間の協力の意思さえあるなら、実際に可能だということを、具体的制作行為を通じて欧米やアジア、日本国内各地の詩人たちが認め合ったのです。この試みを通じて、いままで未知だった国々の詩人たちとも机を並べて談笑し合い、食事も共にするという数日間を持つことができます。詩という、ふだんは多くの人にとって縁遠いはずの存在を真中に置いて、たいそう味の濃い交友関係がたちどころに成立します。そのような興味深い事例が、過去二十数回世界各地で行なってきた国際連詩の会の歴史の中でも、いくつも思い出されます。

このような、ある意味では大がかりな準備を必要とすることもある試みが、大過なく実現できているのは、いくつかの国際活動の実績を持つ機関の中に、連詩という、いわば雲をつかむような企ての意義を理解し、積極的に支援してくれた人々が何人もいわからでありました。「一々そのお名前はあげませんが、連詩の試みが意味するものになりえたのは、毎度の会に参加された詩人、翻訳者たちと共に、右のような方々のおかげもありました。この機会に、それらすべての方々に対して、心からの御礼を申し上げます。

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